「オイオイてめぇは向こうに行け、俺がコイツを喰う」 「いや貴様が失せろ」 この藤襲山にはどれほどの鬼がいるのだろうか。登山早々に鬼と遭遇してしまった。しかも複数同時。 「相談の途中失礼、鬼を人に戻す術について御存知ありませんか?」 「久方振りの人肉だ!!」 私の言葉はそもそも耳に入っていない様子で鬼たちが襲い掛かってくる。これは駄目だ。 「残念です」 抜刀。斬首。二つの頸が宙を舞い、残った身体はあっという間にボロボロと崩れ去る。骨の一つも残らなかった。 「……鬼もピンキリということですか」 思ったよりも動きが鈍い。真菰の速さに慣れきっている私の目では格好の獲物もいいところだ。殆ど人を喰べていなかったのだろう、今回は運が良かった。いや……そもそも開口一番に鬼と戦うことになったのは運が悪いのか?……うん、プラマイゼロということで。 着ていた服だけを残して消えた鬼たちを観察しながら周辺の索敵を進めていると、腐ったような臭いを捉えた。 「うわァァァ何で大型の異形がいるんだよ、聞いてないこんなの」 青褪めた少年が叫びながら近くを通りがかり、そのすぐ後ろに先程嗅いだ臭いの主がズルズルと歩いてくる。 (強い、今まで会った鬼の中でトップだ!) 双子からの説明とは矛盾する鬼の存在。それを頭の隅に押しのけ急ぎ注意深く匂いを探る。鱗滝さんは更に嗅覚が冴えれば鬼が何人もの人を喰べたのか分かるようになると言っていた。しかしこれは嗅ぐ必要もない、あの鬼を一目見れば二年前にお堂で会った鬼や先程の鬼たちは赤子のようなものだとハッキリと理解できる。 多くの手が密集している異形の鬼は、その手の一つで受験者の一人の首を握っていた。この子はもう助からないことが分かった。鬼は手で隠れていた口元を曝け出し、大きく口を開いて捕食していく。 鬼は私の存在に気付くことなく、受験者を堪能していた。 ――水の呼吸 弐ノ型 水車 「こんばんは、食べ方が汚らしいですよ」 受験者を握っていた手と同時に他の幾つかの無防備だった手を斬り落とす。首を喰われた受験者の遺体は支えを失い、重力に従って地面に落ちた。 「また来たな、俺の可愛い狐が」 苛立たしげに見下ろしてきた鬼は厄除の面を見るや否や喜びだし、ギョロリとした目を動かす。 「狐小僧、今は明治何年だ」 「今は大正時代ですよ」 明治の頃から此処に閉じ込められている鬼に眉を顰めていると、私の返答を聞いた鬼が突如発狂し出した。 「アァアアア年号がァ!!年号が変わっている!!まただ!!また!!俺がこんなところに閉じ込められている間にアァアアァ許さん許さんんん!!」 逃げ惑っていた少年が引き攣った表情で鬼を見ていた。此処に残られても困るので、手で後退するよう合図を出す。仕草に気付いた少年は直ぐ逃走してくれた。逃げた先に別の鬼がいるかもしれないが、この鬼よりかマシだろう。そもそも少年は一般人ではなく受験者だ。助けられる範囲では助けるものの、逃走先のことは自己責任。第一、私には余裕がない。 「鱗滝め、鱗滝め、鱗滝め鱗滝め!!!」 「何故鱗滝さんの名を?」 「知ってるさァ!!俺を捕まえたのは鱗滝だからなァ忘れもしない四十七年前、アイツがまだ鬼狩りをしていた頃だ、江戸時代……慶応の頃だった」 明治どころか慶応まで遡るとは思わなかった。その間ずっとこの鬼は藤襲山で受験者たちを喰い散らかしていたということだ。 「鬼狩りどもが定期的に荒らしにやってくるが甘ぇんだよ、生け捕りにされた鬼だからって舐めすぎだぁ。俺はずっと生き残ってる、藤の花の牢獄で。五十人は喰ったなぁガキ共を」 会話の最中に鬼の手は復元されていくが、その回復の速さも今までの鬼とは比べものにならない。これが五十人もの人間を喰らった鬼。……鱗滝さんが捕えた鬼。とある予感が脳裏を過ぎった。 「十二……十三で、お前で十四だ」 「……なにが」 「俺が喰った鱗滝の弟子の数だよ、アイツの弟子はみんな殺してやるって決めてるんだ」 ああ、予感が当たった。 「そうだなァ、特に印象に残っているのは二人だな、あの二人」 そうか。此奴は仇か。 「珍しい毛色のガキだったな、一番強かった。宍色の髪をしてた、口に傷がある」 錆兎は男らしさに拘りを持つ人だ。何度挑んでも勝てなかった。一本取れた後でも中々攻撃を当て続けることは叶わなかった。 「もう一人は花柄の着物で女のガキだった。小さいし力も無かったが、すばしっこかった」 真菰は穏やかでのんびりした人だ。よく会話が弾み、鱗滝さんが大好きだった。性格の反面足が速く、当初私はまったく彼女のスピードに追い付けなかった。 「目印なんだよ、その狐の面がな。鱗滝が彫った木目を俺は覚えてる、アイツがつけてた天狗の面と同じ彫り方」 何時の間にか呼吸が荒くなっている事に気が付き、静かにゆっくりと整える。 「"厄除の面"とか言ったか?それをつけてるせいでみんな喰われた。みんな俺の腹の中だ、鱗滝が殺したようなもんだ」 殺意が漏れた。 「フフッ、フフフフッ、これを言った時女のガキは泣いて怒ってたなァ、フフフフッ」 (……真菰、) 「その後すぐ動きがガタガタになったからな、フフフフフフフッ、手足を引き千切ってそれから喰ってやったんだよ」 「ありがとう!感謝しましょう」 「……あぁ?何言ってんだお前は」 鬼を見据え、深呼吸。 呼吸は乱すな。 呼吸だけは荒らすな。 これは私の生命線。 死ぬ気で調整するんだ。 「七日間ある試験で、最も体調が万全であるこの瞬間にお前と出会えたこと」 「これを幸運と言わずして何と言う?」 「とてもありがたいだろう。だからその幸運に感謝する、と言ったんだ」 どうやら今夜の自分は運が良かったようだ。 一周回って晴れやかな気持ちで口角を上げながら鉾先を鬼の部位に向け、狙いを定める。 「お前のその頸――――俺が貰い受けよう」 戻る |