私の為の夜想曲/実写/メガトロン

その日は満月だった。
オーストリアの片田舎である私の街、というか村は夜になれば人も少なくなる。私は月の出ている夜に村外れの村が一望できる小高い丘に駆け上がり、大切に持っていた横に長いジェラルミンケースを開く。

その中には更に緩やかに曲線を描くヴァイオリンケース。それを開き、使い込まれ艶やかな茶色のヴァイオリンを取り出した。


私の家は、音楽家一家というわけではない。逆にヴァイオリンを作るほうで、私も小さい時からヴァイオリンに触れていた。

あの空気を震わせて人間の耳に入る低音の淫靡さと、まるで幼子のような清純な高音。子供ながらにヴァイオリンに惚れた私は家を継いで職人になった。

だが、作るだけじゃ満足できずにこうして弾きにくる。

街中で大道芸みたく弾くこともあれば、パブで歌手と合わせる時もある。まぁ、趣味の範疇を超えない程度で楽しんでいた。


今日の月を見たら異様に夜想曲を弾きたくなった。何故かは分からないけど。家に帰って愛用のヴァイオリンをひっつかむと、母親にちょっと弾いてくる!と叫んで丘を駆け上がっていた。


冷たい風が髪を撫でる。
ギターで言うところの、弦にあたるネックと、ピックにあたる弓毛を確認し、あごあてに顎を乗せ、ゆっくりと、ネックに弓毛を滑らせた。


音が村を超えてしまえばいい。
空気の震えがもっと長く続けばいい。
高音は艶やかで美しく、低音は厳かで強かに。


きゅい、と擦った馬毛が鳴くのもご愛嬌だろう。目を閉じて背を伸ばし、自然を感じながらドビュッシーの夜想曲「雲」を弾き終える。

興奮が外気で冷めてゆく。
思考が回らない頭でぼーっとしてると、空気を割るように、ぱちぱちと拍手がされた。


「え?」


見られてた恥ずかしさでゆっくりと振り向くと、街では見たこともない男性が一人立っていた。


黒みの強い銀の髪をオールバックにしていたが、その顔の左側(私の方向から見て左側だ)は火傷のように爛れている。目は、血みたいに赤くて黒のクラシックコートが良く似合うくらい端正な顔立ちに、男らしいがっしりとした体躯を持っている。


一見して危険な雰囲気を醸し出していた男性からの拍手だったらしく、私は急いでヴァイオリンを顔から離し、急いで頭を下げた。


「なかなかだった」


男性は一言だけそう言った。低く、脳髄に響く声だった。


「あ、ありが」


「だが、曲の中間で半音間違えたな」


「…」


「音の区切りも悪い。無理して音を繋げようとすると音が悪くなる」


何故初対面でこんなぼろくそに言われなきゃならないのかという怒りが湧き上がるが、それをぐっと抑え、ご鞭撻、ありがとうございます。と無理矢理笑った。

その笑顔がよほど歪んでいたのか、男性は一度溜め息を吐くと無骨で大きい手を差し出した。私が首を傾げると、一言「貸せ」と催促された。


ヴァイオリン?それ以外に何がある?


そんな短い会話をして、恐る恐る私は愛用のヴァイオリンを男性に手渡した。

男性は一度そのヴァイオリンを眺めた。


「八百年代のものか、良く手入れされている」


驚いた。
普通の人がヴァイオリンを見たって年代まで言い当てることなんてできやしないのに。男性は顎を乗せると、弓毛をネックに滑らせる。

ヴァイオリンが同一のものであると思えないくらいに空気を震わせる。伸びやかな音と、引き際の鳴きの声、ヴァイオリンが本来の音を奏でられたことに歓喜しているようだった。これこそが私の理想の音だ。

星空の下、火傷はあれど端正な顔立ちの男性が黒いクラシックコートを風に靡かせながら、この世のものとは思えない至上の音を奏でる。


目を閉じていた男性が目を開き、誰をも射抜く赤くて鋭い視線を私に向ける。


嗚呼、なんて、淫靡な人なんだろう。



「ここまでだ」



不意に男性が音を止めた。
夢から無理矢理起こされたみたいな感覚に陥っている私に、ヴァイオリンを返し、男性は丘をゆっくりと降り出した。


「ま、待って、あなた、プロ?名前、名前は?」


「何故貴様ごときに名乗らんといけない?」


「あなたの音に惚れたの、好きになったの!教えてくれるまで離さない!」


男性のクラシックコートを掴み、そう言い切れば男性は溜め息を吐いた。


「もっと精進しろ」


やんわりと指を一本一本離された。


「俺が「もう一度聞きたい」と思えるほどにうまくなったなら、教えてやる」


「……分かった、絶対、上手くなる」


私の最後の指の一本が離され、男性が丘を下っていくのを見送りながら、私は残されたヴァイオリンを持ち上げ、その背への凱歌のようにネックが歪むまで、その日はヴァイオリンを弾き続けた。







※続きます。

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