河紫主





気がつけば私は御影石の前に立っていた。


「あ……、あれ?」


何の気配もしない。手もない。誰かが後ろにいる気配もない。白昼夢?だったのだろうか?


「にしてはリアルな……夢?」


ふと腐りかけた注連縄に目をやり、私は再び硬直することとなる。


「縄が……新しい。」


多少くすんではいるものの、付けてから間もない色の注連縄は、まだその役目をこなしている。


『やぁ。また来たのかい?夜刀神』


あの声だ。
声のした川の方を見ると、白録色のウェーブを描く長い髪と、薄色の狩衣姿(平安の公家の平常服だ)、白い袴の人……なんだろうか?とりあえず人の姿をした人物は自分よりも大きくて黒い蛇に臆することなく軽く挨拶をする。


『君もいい加減暇だね〜?人間の姿にでもなって、吾<わたし>とまったりしない?』


「相変わらず食えない奴だ。俺はそんな話をしに来たんじゃない。さぁ、河紫主。俺にこの土地を明け渡せ」



『嫌。吾に家無しになれっていうのかい?それは図々しいなぁ、夜刀神』


白録色の神様は、そこでようやく黒い蛇――阿修羅と対峙した。
いきなしに空気が重くなり、夜刀神が……黒い瞳をじろりと動かす。
それだけなのに体はまさに蛇に睨まれた蛙のようにすくんで、全身の肌に一気に鳥肌が立ち、黒い鱗に覆われた体から目が離せなくなる。

……怖い………!
何が怖いのかは分からない。
ただ分かるのは、この「恐怖」は阿修羅から感じる。ってことだけ。



ここに、いたくない
離れたい。逃げたい
なのに体が動かない

逆に力が抜けて、へたん、と川原の砂利の中に座ってしまった。


「夜刀神・阿修羅」


阿修羅があんなに怖いなんて、思ってなかった。ただ目を動かしただけで内臓が悲鳴を上げ、吐き気をもよおす気持ち悪さと、ぞわぞわと頭の中を爪先で擽られるような相反する気持ち悪さが生まれる。


「(……これ、……嫌)」


イモさんとヤモさんが阿修羅を嫌っていた理由が分かる気がする。

『狂気の鏡か。恐ろしいね。前に会った時より強くなってないかい?』


「……やはり顕現の鏡を持つお前には効かないか」






「……は?」


顕現。

今、私の中に入ってる鏡の名も、顕現。


「え。でもこれ……阿修羅の鏡じゃないの?」


一人の神に四枚の鏡。
阿修羅の鏡の一枚は、私の中に。


「顕現の鏡は、あの人の鏡?」


白録色の神様。
たしか名前を阿修羅が言ってた気が……。えと、確か……


『河紫主』


「かしぬし」


『河に紫に主。で河紫主』


………!?
へたり込んだ肩に手の感触。
見上げれば、背中に白録色の狩衣姿の神様・河紫主。

え!?でも確か河紫主さん阿修羅と睨み合ってなかったっけ!?


「あ………」

『はじめまして、柚希ちゃん。吾が河紫主。この紫乃川の神様だよ』


そう言って白録色のたれ目の神様は、にぃっこりと笑ってまた私の目に手を置いたのです。

あぁもう……私は、何回意識を無くせばいいのでしょうか。







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