とある日、樋口さんに出会った際に、吐き捨てるようにこう云われた。
「貴女はまるでクラリモンドですね」と。
私の辞書の中にクラリモンドという単語は無かったのでクラリモンドとは何かと聞いたが、樋口さんは私を一瞥して仕事に戻って行ってしまった。
「芥川さん、クラリモンドって、何でしょうか?」
暗い一室で芥川さんに呼ばれ、何をするでもなくお茶を飲みつつ問えば、芥川さんは「吸血鬼だ」とさらりと答えて下さった。
「フランスの作家が書いた死霊の恋、という作品の話だ。
厳格なカトリック僧侶であるロミュアルがクラリモンドという美しき娼婦に恋をする。ただし、クラリモンドは人間じゃない。僧侶の血によって生き長らえる吸血鬼だ」
「樋口さん私のこと吸血鬼だとでも言いたかったのか……」
ぽそりと呟いた言葉を芥川さんは拾い上げた。クラリモンド。芥川さんは嗚呼確かにと頷いた。
「お前がクラリモンドなら、僕はロミュアルか」
お前になら僕の血を遣ってもいい。
芥川さんは私の目の前に手を差し出した。細い手だった。血を抜いたら死んでしまうのではないかと思うくらいに、白い手だった。
「クラリモンドは、ロミュアルの血によって生き長らえていた」
「吸血鬼ですものね。でも、私はいりませんよ」
白い手を握りしめた。
私を吸血鬼に例えておきながら、私よりも芥川さんの方が体温が低い。温めるように、包むように手を握る。
「だって、私はこうして芥川さんに触れてるだけで生きれます。芥川さんに会うために生きる気になれます。血なんかいりません。芥川さんが1日でも長く私と一緒にいてくれればいい。クラリモンドみたいに、血を貰って生きるよりなら、私は、私の血を芥川さんにあげて、芥川さんが1日でも長く生きてくれればいい。芥川さんが1日でも長く生きて、私を覚えていてくれればいいんです」
だから、私はクラリモンドとは違う。
クラリモンドみたいに血を飲んでまで生き延びようとは思わない。
「そういえば、ロミュアルとクラリモンドって、最後どうなったんですか?」
「……ロミュアルはクラリモンドの城で暮らしていたから、最後は二人で末永く暮らしました。程度の終わりだった」
「嗚呼、良かった。やっぱり恋物語はハッピーエンドに限りますね」
にこにこと笑う女の頭を撫でてやり、冷めた紅茶を淹れ直すことにした。
後日、樋口は芥川に呼び出された。任務のを言い渡され、はいと返事をして部屋を出て行こうとした樋口の背に、芥川の声がかかる。
「僕がロミュアルなら、樋口、お前はセラピオンか」
セラピオンはロミュアルの親友にして、
最後にクラリモンドの墓を暴き、その死体に聖水を掛けてクラリモンドを殺した、僧侶だった。
「芥川先ぱ」
「警告しておこう」
芥川の黒衣がゆらりと揺れた。
「僕の愛しい吸血鬼<クラリモンド>に手を出すな。ましてや、触れることも、話すことも許可はしない」
ロミュアルは、クラリモンドを守る騎士になろう。そのために嘘なら何度でも吐こう。
セラピオン――樋口は悔しげに歯を噛んで、はい、と再び返事をして部屋を飛び出した。
クラリモンドはロミュアルを愛し、ロミュアルはクラリモンドを愛し、守り続ける。
其処に、神の救いなどは、ない。
「クラリモンド」
芥川訳死霊の恋を読んだ記念夢。
※クラリモンドは本当はセラピオンに殺されてます。