その女は、医者だった。
異能の医者であった。
僕(やつがれ)の病弱な躰を生かす為だけに樋口が何処ぞから連れてきた有能な医師だと云う。
その女に診て貰ってからと云うもの、僕の躰は頗る調子が良く、軽く咳が出るのみと成った。
しかし、僕の躰が良くなる反面、女の躰はみるみる痩せ細り、毎夜血を吐き、膿む躰に痛み止めを打ち、悲鳴らしくもない悲鳴を上げている。
女が僕を診てから一年もすれば、女は、かつての僕がそうであったやうに死の際に伏し、躰を起こす事も出来ぬ程に弱り果てた。
或る日、気紛れに見舞いなぞ行って見れば、女は、食事も採れぬ躰を起こすこともなく、視界に僕を入れ、一言「済みません」と謝罪の言葉を零した。
「……何故(なにゆえ)謝る」
「貴方の病を、完全に治せなかったから」
女は「病を治す」異能力の本質を明かした。
能力名「人身御供」
ありとあらゆる病を治癒する能力だが、対価として自らに治した病を背負わせる。
つまり、女は僕の病を肩代わりしていたのだ。
樋口がこのことを識っているのかと問えば、知らないでせうと笑って返した。
「安心して下さい、貴方の病はもうこれ以上は悪くはならないでせうから」
大本は全て私が持って逝きます。
女は笑った。優しい、と云う名が当てはまる笑顔で。
「生きたいとは思わなかったのか」
「私の無意味な命が誰かの役に立てるのなら、それは医者として本望で御座いませう。ただ一つ、我儘を申し上げるならば」
女は僕を指差した。
正確には僕の黒衣を。
「私めの死体が遺らぬやう、貴方の「羅生門」に、喰われたいのです」
樋口様には逃げようとしたから粛清したとお伝え下さいませ。女はそれきり、ゆっくりと目蓋を閉じた。
「羨ましいな、貴女は、死が恐ろしくないのだな」
「死を沢山見てきて、私めは悟ったのです。死は受け入れるものであると」
死は平等、万人に降りかかり、優劣がない。天国が無ければ地獄も無い。僕は女に問うた。
「死ねば人間は何処へ向かう?」
「死ねば全てが只の芥になりませう。遺るのは、残された人の中に在る只の記憶のみ」
「然り、」
女の息がか細くなる。
黒衣が蝙蝠の羽のやうに女の眠る寝台ごと女を包んだ。
せめて芥等、遺らぬやうに。
乾いた空気が喉を乾かす。
煙くないはずだのに、空気は非常に乾いていて、寝台の無くなった一室で肺から空気を鉄砲玉のやうに吐き出した。
「嗚呼、そう云えば」
僕は貴女の名を知らなかった。
「咳」