イン・ザ・スカイ
戦争物死ネタ 益田戦闘機乗り 青木特攻 時代設定適当
遠くに炎が見えた。闇夜を引き裂くようにして閃光が走り、爆撃の轟音が微かに聞こえてきた気がした。 世界の終わりを見たことがあるか。 ある。この線の向こうで今、世界が絶える。
空はきれいで、ラジオから流れる音楽は哀しくて美しく、照明は何不自由無く鮮やかに照って手元を明るくして、手紙を綴ることが出来た。珈琲は注がれたままに湯気をたちのぼらせている。総てが果てたような沈黙のなかで旋律だけが耳をあやした。益田は今しがた自分の書いた、紙の上の黒々とした文字を追った。それは母への手紙だった。 ――ぼくは元気です。心配しないでください。いつか必ず還ります。―― 筆致が鮮やかな程、自分の心を裏切っていくのが判る。 こみあげそうになる涙と嗚咽を益田は呑み下した。しぬなど、それが何なのかなど、わからなかった。わかるのはただ、幾つもの幾つもの命をこの手で葬ってきたということ。そして今自分は生きていて、そして明日には殺されるかもしれないということだった。自分がそうしてきたように。 甘く震える音がノイズにまみれながら、残り少ない益田の生を縁取ってゆく。それすらも罪に感じた。生きているうちに慰めを得ているということ。 夜は――誰かが殺される為の夜は更けゆく。そしてまた誰かを殺す朝がくる。繰り返しだ。ずっとずっとずっと、勝利なんてものを掴む為に益田は、いや、多くの同僚たちが命を賭ける。それに意味があるのかどうかすらわからないまま。 (…生きたい) 生きたい。死を前に幾度も幾夜もそう願ってきた。そして隣で仲間がしぬのだ。はかないばかりの煙と炎の尾を引いて、真っ逆さまに墜ちていくのだ。
青木が笑った。 「どうしたの、こんな夜更けに」 「青木、く」 胸板に包帯を巻いて、青木は寝台に座っていた。益田を見て、丸い顔を笑いのかたちに歪めた。 ラジオが枕元で歌っていた。 独りごちるように彼が言う。 「夜はきつい、沈黙に責められるようで」 耳を澄ませば、悲鳴が聞こえて来るようで。 その調子は穏やかだった、けれどだからこそ益田は泣いてしまいそうになった。 「どうしたの」 青木がわらう。 青木がわらう。 ラジオが口早に何か呟く。益田は寝台に乗り青木に口づけた。たくましい腕が益田を支えた―。 堪えた涙を見透かして、青木は何も言わなかった。 「青木くん、僕を軽蔑していいよ」 青木の腕の中で益田が言う。青木の強さを裏切る涙をいとも簡単に流せる自らを、益田自身厭うていた。 「ごめんなさい―」 小さく益田が言った。何に向けているのだろう。青木に?殺した人間に?死んでいった同僚に?両親に?それともその全てにだろうか。ラジオがうたった、せめてもの慰めとでもいうように。せめてもの手向けとでもいうように。 その旋律を青木は裂いた。 「出撃するの」 「―うん」 「じゃあ、」 僕の分まで空を見て来て。 それは二人の間の、別れの度の挨拶だった。益田が頷く。かさりと髪のすれる音がした。彼が大きく息をつく。そしてその息の音を止めるようにラジオが鳴った。 おそれをしらない戦士のように振る舞うしかない―― ぼろぼろと益田の目から涙が転がり落ちた。たらりと一滴、青木の目からも涙が落ちた。 悲しみも恐怖も罪悪感もみな飲み下し、出撃しひとを殺し続けていつかは殺される。喜んでそれをせねばならない。国民の義務だと信じ込んで。 離れ離れにぼくたちは死ぬだろう。殺されるまでひとを殺すだろう。誰を憎むということもない、強いて言えば恵まれた奴らだろうか、平和に生き安らかに死ぬ幸福な人間が憎かった。 いまだ幸福を羨むのか? 「幸運を。益田くん」 青木が掠れた声で言った。幸運?生き延びようなど思ってもいない。 益田が見上げると、青木は頬を引き攣らせた。或いは笑ったのかもしれない。 「君が―苦しまず死ねるように、願うよ」 益田は上手く笑い返せた自信がなかった。ただ、それだけを望めば良いのだと思うと気分が楽になった気がした。 「うん」
空は青く清らかだった。雲は浄化されたように白い。ひどく長閑だ。ヒトのことなど知らないとでも言うようだ。神などいないということは知っているけれど。それでも世界が人間を突き放すそのやり方は、ひどくむごいと思った。 空は美しく晴れわたり、窓にはただただ青がよぎる。エンジン音は快調で、よく耳に馴染んだ。天国のようだった。こんな日に死ねるのなら、それは希望といってもいいだろう。 キイイン――敵機が空気を切り裂き襲来する。 青の中にそれは滲むようだった。青、青、青、やけに美しい戦場だった。闘うことなど本当は相応しくない場所なのだろうと思った。 益田は操縦管を握り直す。気圧、油圧、風向を確かめ増槽を落とし、闘うための準備を済ます。一度機を旋回させた。風の音がうるさい。おまえが死ぬか僕が死ぬかのどちらかで、勝負はあっけないほど一瞬で決まる。墜ちて行った同僚たち。どうして死なねばいけなかったのかわからないまま死んだ者もいただろう――エルロンを切った。敵機が後ろに回ろうと大きく弧を描こうとする。その軌道を避けるように飛び直し、すれ違いざまに撃った。当たったか。よく見えない。あ、と思ったときには大きくバランスを崩していた。 「――、」 舌を打つ。 左がやられた。 大きく機体が傾いで、水平に戻せなくなった。エンジン音が変わる。不吉な音だ。敵機は被弾を避けるために二、三ターンしてから、撃った。高度、油圧、油温、風向、敵機の翼がまばゆく光って、衝撃がきて、機が揺れた。操縦幹を動かす―効かない。黒い煙が見えた。細い、頼りない煙だった。高度が下がる。下がる。下がる。下がる。 「――ぁ、あ」 ラダー、フラップ、エルロン、スロットル。どこをいじってもみるみる減っていくその数字は止められなかった。 いくら美化したところで死は眼前に迫れば、やはりばかみたいに恐ろしかった。地面に叩きつけられた途端に炎上するだろう自分の機、すぐに飛び出せば助かるだろうか。いや、無理だ。帰ることなど出来はしない。 ふと、視界を青が掠めた―空、空だけは全く美しくそこにいて見蕩れてしまうようだった。恐怖が薄らいで、その代わりにいくつもの感情が発露した。その美しさが、憎らしくて愛おしくて欲しかった。 弾かれるように手を伸ばしたけれど、何に触れることもできなかった。 「あ、あ、」 ばらばらと感情の頁がめくられた。押し込めていた感情たちが空に溶ける。狡い、哀しい、どうして、いやだ、さみしい――誰か助けて、
「青木、く」
高度計が零をさした。
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たのしかったよ… ごめんなさい |