ティンカーベルの入浴
女の子。ふわふわした服を着て、爪だのに色を塗って、髪にものすごく気を遣って、たとえば男の子をすきになったらチョコレートなんかあげて。 一人暮らしの男の下宿にたとえそれが自分の体であるのだとしても、たとえばやわらかい、膨らんだ胸(たいして大きくもないけど)は不似合いな気がした。 しげしげと益田は自分の体を眺めてみる。白い肌。全体的に何となく丸みを帯びて柔らかくなっているような気がする。乳首の色までなんとなく違う。それに女のそれは肉の一部であるかのように柔らかだった。 何なんだろうこれ。 下半身も一通り検分し終わってから益田は思う。 …夢かな。 さっきばっきり目覚めた気がするのだが。それに体の手ざわりだとかが不気味なくらいに現実味があった。特に興奮を覚えないのも、曲がりくねった淫夢としては不自然だ。洗面所で顔を鏡にうつすと、心持ち、輪郭が柔らかになっている気がした。 ショックなのだろうか。 よくわからなかった。時計を見ると八時を過ぎていた。 とりあえず行かなければ。たとえ益田が男だろうと女だろうと蠅だろうと異星人だろうと彼は薔薇十字探偵社に勤務する探偵助手である。
女物の下着なんかもっていないし見たこともあんまりない。せいぜいが店屋か洗濯物だ。ブラのつけかたも知らないし。鞭を弄びながら益田は考える。でもまあ大丈夫なんじゃないかなあ。和寅さんとか気づいてないみたいだし。まあはっきり爆乳とかだったらさすがに気づいただろうけど。益田に関心をもつひとはこの地球上にあまりいない。そういうふうに振る舞ってきたから。 益田でさえも益田をかわいく思えないのだから、当然のことなのかもしれない。ぺん、ぺん、ぺん。鞭が拍を刻んでいる。 天気はぼんやりとした曇天で、益田の無感覚をそのままトレースしているようだった。時計を見ると午後二時。ああそろそろ起きてくるのかな――そう考えた途端にガチャンと扉が開いた。 「おハようッ」 「おはようご、」 「なんだそれ」 一瞥した途端に神は見破ったらしかった。ずかずかずか。大股で近づいてくるから焦った。 「あ、あの」 「――へえ」 目を細めて記憶を視てから、榎木津は胸元を見た。セクハラだ。 「いや、その」あ、朝起きたら。 「小さい胸だッ」 …まあそうですけど。 榎木津は愉快そうに笑い、おまえ面白いなあ女になるのかと言った。(ちょっと見とれた。)何だか珍しい特技のような言い方だ。お湯被ったらパンダになる的な。もしかしたら榎木津の世界では日常茶飯なことなのかもしれない。このひとのことはよくわからない。 「京極のところに行くぞ!」 探偵の手が益田の手を握った。どきっとした。ああ今の僕は女なのだなあ――と思う。探偵の華奢な手がそれでも大きくて、頼もしく思えたのだ。 「へ、ちゅう、中禅寺さんのとこですか?」 「そうダッ!」 いやか、聞かれて益田は首を振った。とりあえず中禅寺が知っていてくれるなら安心できると思った。 「た、探偵社は」 「臨時休業だろ、非常事態だぞ非常事態、うふふ、マスカマおまえホントウにカマだったんだなあ」 一応「非常事態」という括りには入れられていたらしい。非日常に子供のように喜ぶ榎木津。それに面白半分かもしれないが、一応心配もしてくれているらしくて、うっかり益田はうれしくなってしまいそうだった。 ――きっと僕はもっともっと、動揺するべきなのだ。性別が変わったなんて大事じゃないか。だがそれでもいまいちそれが、現実感を伴った切迫した出来事だと考えられなかった。
「ふうん」 中禅寺はまるで榎木津のような反応をした。 「あ、嘘じゃないですよ、見せましょうか」 「――」 悪鬼の如き顔で睨まれて益田は、釦をはずす手を止めた。じろり。 「な、何ですか」 「下着はつけているのかね?」 妻のある彼は流石にさらりとそう尋ねる。 「つけてませんよオ、なったの今朝ですし、そんなの持ってませんし」 「…敦子を呼ぶ。買って来い」 「え、」 びっくりして益田は中禅寺を見た。 「何でですか?」 苦虫を噛み潰したような形相で、古書肆が睨む。 「…君は今女なんだよ。君の意識はまあ、男のままなんだろうが、女が下着もつけずふらふらしているのは危険なんだよ」 「だってえ」 あまりの慎重さに益田は笑ってしまう。 「僕ア男ですよう。顔はあんまり変わってないですし、胸だって目立ちません。明日には直っているかもしれないですし…それに僕なんざ襲う物好きいやしませんよう」 「万が一ということもある。きみも強姦されたくはないだろう」 やっぱりそれはリアリティーのない言葉だった。元々が益田は、艶笑譚は好むけれどそう性欲の強いほうではなかったし、自分が誰かの性的対象物になっているのを想像するのは難しかった。 「世間には馬鹿もいっぱいいるんだ、知ってるだろう。まあそこの馬鹿は、変な気を起こそうとするような人間ではないが」 中禅寺は、寝そべる榎木津をちらりと見やってから、口早に続けた。 「…今の君はなかなかかわいい。危険だよ。さっさと買ってこい」 冗談かと益田は思って、でも中禅寺が微妙にばつが悪そうな顔をしているのを見て――妙にくすぐったく、むずがゆいような、おかしな気分になった。かわいい。一度も言われたことがないし、言われても男だったときはきっと何も感じなかったのに違いなかった。 こんな気分はしらない。
(おんなのこだから、なんですか?)
つづく! 最後デレちゃった京極さん 110817 |