こわがりふたり


この世の不幸を一身に背負ったような、そんな男だと思っていた。

益田は関口が嫌いではなかった。寧ろ共感することもあったし、彼のその人となりには少なからず興味を覚えてもいた。
彼が抱く絶望にも、狂気にも恐怖にも、青年には覚えがあった。眷属をみつけたような気持ちすら湧いていた。

不遇の小説家に対し、益田の心中には、同情でも嫌悪でもなく共感が芽生えていた。
自分より、もしくは同等によわい心をもった、やわらかな神経のにんげんと居ることは、なぜだか益田を安定させた。
つよい人間―軽薄で何に傷つくこともない、調子の良い上っ滑りの―自ら進んで擬態をしているくせに、そういう人間と出会うと益田は妙に打ちひしがれた気分にさせられた。そして疲れた。なぜこんなふうに話す必要があるのだろう――鏡を覗き込んで疑問をおぼえる、それとすっかり同じことだった。
ぐったりと疲弊して、それでもやはり幇間の仮面を被るのが益田は1番良いように思っている。何より効率的だ。臆病で卑怯で調子の好い。そういう卑屈さが探偵業にはよく合うし、彼自身にもそういう卑屈さは合っていた。

益田は以前の冬に箱根山で確固たるものを失くした。
もし本当に軽薄なら、警察なんか辞めやしない。適当にやって安定した収入を貰ってくだくだ生きる筈だ。もしくは実際世界を揺るがすものになど、向き合うこともしようとしなかったのに違いない。

確固たるものを失くした。確固たるもの。中禅寺の弁舌の影響はおおきかった。社会や正義ではなく、個人と卑屈を身に着けることを益田は撰んだ。まだそっちの方が、益田にはマシなもののように思えた。

「きみは本当は弱いんだ」
無感動に関口がそういった。
益田は、地面を靴底で擦りながらそうかもしれませんね、と返した。小説家は陰鬱な表情で虚空を見つめていた。視線を追ってみてもなにもない。せきぐち、たつみ。
きみは、
関口はそう呻くとくちびるを痙攣させた。益田は手近の樹によりかかる。
「きみはきっと――」
寝言みたいに不明瞭な発音だとおもった。彼はもごもごとした発音で続けた。きみはきっとつらいんだ。
益田はさも無関心そうに、明後日に目をそらした。
まあそうかもしれません、憮然とした声をだす。あまのじゃく、頭の隅で何かが囁いた。無視する。男は尚も言い募った。
「き…きみはたぶん、そうだろ、さみしいんだ」
言葉の途中でこえが裏返っていた。額からは汗がだらだらと垂れていた。益田はぴしゃりと言った。
「関口さんなんでそんなぼくを―追うんです」
つめたい声をだすつもりだったがうまくいったかは知らない。益田は、とにかく表情だけは、不機嫌そうに繕おうとした。心の中に踏み込まれるのは不愉快だ、と―そういう擬態。
関口はう、と唸った。
いぬのような人だとおもう。忠誠じみた一途さという点に於いても。それに彼は、馬鹿に叱責に従順だった。
沈黙がながれた。
流れる沈黙はふたりがおなじときとばしょを共有していることを浮き彫りにした。憐れな青年はときがとまったような錯覚を覚えていた。仮面が嘲笑うように告げた。
「―僕のことが好きなんですか、関口さん」

猫背の鬱病者は大いにうろたえ発汗し顔を赤らめた。益田は情けないと思うように努めている。共感などしては―駄目だ、惹かれてはいけないのだ。何よりも不器用であるこの男に、誰よりも自分を厭う猿に似た探偵の下僕に。努めて益田は表情を喪くすようにした。どんどんと距離を失くす心の無視。
奇妙な快感があった。器用なことだ、自分で自分を加虐して、そして自分に自分で被虐して悦んでいる。
――蛆虫。

虚ろなこえが頭の中にひびいた。無視をする。馴れていた、益田はそういうことに。自分を無視して押し殺して行くことに。徹底的に自分に加虐することに、この憐れな青年は馴れきっていた。
―そこには昏い恍惚がある。

「ねえ関口さん」
益田の声は乾いていた。干からびて掠れていた。自身がぎょっとするほどに。
「やめにしませんかこういうの、愛だの恋だの―鬱陶しくないですか」関口さんも言ってたでしょ、愛情とか友情とか絆って、重いんでしょう。関係って、厭なものなんでしょう。
益田の目は地面を見ていた。じめじめと湿った土、だが関口の視界だって同じようなものではあった。
「入って来ないでくださいお願いだから」叫ぶように、細面の青年は希う。
関口は口元にうっすらとした笑みを浮かべた。それはただ口元の弛緩というだけのことだったのかもしれない、失語もちの文士は湿った地を見ながら言った。
「―でも君がそれを望んでいるだろう」
それは不明瞭な発音だったが、益田の耳にはやけに鮮明にひびいた。前髪の長い探偵助手はいやいやをするように首を振る。どうでもいいことだ、そんなこと、習い性の本能が足掻く。関口が言った。
「あまのじゃく」
チェックメイト、という言葉に聞こえた。




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