生彩
※戦争的表現
榎木津はジャズが好きだ。 益田は拝聴したことはない(これから聴くことがあるのかもわからない)が、彼はギターを弾くのもとても上手いらしかった。 益田は過去の榎木津のことなど知らぬ。ただ彼がずっと彼自身であったとするなら、それを想像するのは用意であると下僕は思う。 無茶苦茶を言い躁気味に笑いとびきりハズした服を着る。 周りに女性をはべらし、友人と笑い合い、酒を呑む。 この想像は大きく外れてはいないことを益田はほとんど確信している。いつだって榎木津は榎木津であり続けていたのに違いないのだから。 ぼんやりと益田は夢想する。 彼はひとを殺したのだろう。
益田には出兵した経験はない。 青木は特攻上がりだと聞いているが、令状が益田に届けられる前に戦争は終わった。僅かな差が益田の意気地の無さを指弾しているようにも思う。 それでも出征の覚悟を決めていなかったわけではなかった。 死への薄ぼんやりとした恐怖も、いわゆる―お国のために自分は死ぬのだという決意も、益田は一人前にしたと思う。 鬼畜米英は人でないからころしても良い。この聖戦は、神国日本への第一歩である。 そんなことが正だとされる時代に益田は育った。 教育勅語を唱えながら鼻を垂らし、君が代を唄った。空襲が来たら防空壕に潜り込んだ。 食べる物がなくて栄養失調で死にかけた。 出征した父親が帰ることなどないことを知りながら、万歳三唱し笑顔で送った。
終戦してから益田はひどく軽薄に生きてきた。 そうしなければやっていられなかった。 ごみのように人は死んだ。毎日のように町は壊れ続けた。 益田は、非暴力主義者で意気地無しで臆病で、正義感もそこそこは持ち合わせた―貧弱な体格の軽薄な男だ。 彼は記憶を追い払うように一度きつく目を閉じた。 そうしてひらく。
視界の先で、榎木津は三角錐が置かれた机に足を乗せ、蓄音機から流れるジャズに耳を傾けていた。 窓からの初夏の光を全身に浴び、彼は眠たげに目を細めている。
トランペットがひどくなまめかしく、泣いた。
益田はジャズは苦手だ。 この軽薄な青年にとり、強い力で魅了されるというのは既に恐怖の対象なのだ。 強い光に引き付けられ、同時に目が眩まされ、まるで蛾のようではないか。 益田は、いつまでもゆったりとしてたゆたうような音楽が好きなのだ。存在を侵害することもなく。気づけばふわりと包み込んでくれているような。どこまでも静かで、上品な。
――どちらにしても非国民か。 そんなことが頭を過ぎった。 国粋主義から見れば益田のClassicだって榎木津のJazzだって国辱でしかない。それはひどく、おもしろいことに思えた。 榎木津が何気なく、何がおかしい、と問うてきた。 銅像に問われたときのような驚きがあった。 「――ッえの、榎えの、えの」 噛みまくると、榎木津は益田を笑う。 「なんだマスカマはほんとうにバカオロカだなあ。 僕はエノキヅだ。言えないのか」 自分の顔が赤らむのが分かる。少し俯いて前髪で隠した。 きらびやかなジャズはいつの間にか終わっていて、カタカタと平坦な音だけが蓄音機からは聞こえた。
時間が喘ぐように凪いでとまった。
死ぬのが怖くなかったといえば嘘になる。生きていることに罪の意識を感じていないと言っても嘘になる。 では自分はどこに行けば良いのか。この時代をどう生きていけば、それは誠実と呼ばれるのだろう。
益田の脳裡に浮かぶのは現実と隔絶した意識の断片。青年は未だにそこから動き出せずにいる。 軽薄につくった面(おもて)は幾度も砕けた。けれどなんとか進むふりはしていなければならなかった。
榎木津は益田の顔を凡庸と見ていた。いつからそうされていたのかも知れなくて益田はぞくりと身を粟立たせる。 その目の光が益田は恐い。多分Jazzを聴くのが躊躇われる同じ理由で――ああでもそんなことは、始めから分かっていたことではないか。 益田は榎木津に惹かれている。自分でも厭になるくらいに。
榎木津はお前は本当に馬鹿なんだなあと嘆息して、 過ぎちゃったことも死んじゃった人もどうしようもないじゃないか、と言って笑った。
視られていたんだ、と漸く益田は悟る。 焼き付いて離れない戦争の記憶。 あなたの言葉は恐らくは欺瞞ではないのだろうし、ましてや祈りでも、諦念でも、かなしみでもないのだろう。
(あなたの強さに惹かれています、…まるで光のような強さなのです)
20110608#加筆修整再up
20120318/最終アップ
榎木津・益田ってどんな人なんだろうって考えてたときに書いたのだと思う 折角なので 時間軸とかわからないけど
使用 クロエ:これは祈りではない、諦念でもかなしみでもない けしからん:生彩
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