乱反射、


白い書き割りのような世界のなかで先輩はあの人を選んだのだった。

日増しに育っていくつよいつよい感情に名をつけるのは憚られた。それはひどく淡い癖に強く匂いたち、ときに鮮やかな色彩をぼくの世界に貼付ける。ぼくは女が好きだ、それなのに細い体つきの、どこか女性的な繊細さをもつ男の先輩刑事に段々と惹かれていった。例えば更衣室での話、例えば柔道場での話、例えば何気ない張り込みの一夜。数え上げればきりのない、それらの断片は僕の心に硝子のように透明な、益田龍一という人間の像をつくった。そして僕は夜に目をつむる度にその像をいつまでだって鑑賞するはめになってしまった。
かわいいね亀ちゃんは。
あの人はか行のkを薄く軽く発音する癖があった。その一瞬の風を聞くのが僕は好きだった。それは確かよるの話だったと思う。飲み屋で大分酔いの回ったあの人はそう言って、笑いながら僕の腕を引き寄せた。ひくりと固まる体に気づきもせずに彼は続ける。
君といると安心するな。
その瞬間の感情をなんと表現しよう。鮮やかだった、そう、いつもどこかで虚飾を張り寂しさを纏うあの人の中に僕はいるのだと、そのあまやかな確信のなかで僕ははればれと酔ったのだった。気づいたら彼を抱き寄せて先輩と、その耳元で囁いていた。
酔っているためか抵抗は鈍かった。一緒に雑魚寝も乱取りもした同性の後輩刑事を、そう疑う人間もあまりいないのかもしれないけれど。彼はむしろ顔を僕の肩に預け、んーなあに亀ちゃん、と呟きさえした。あの時は短かった黒い髪。優しい先輩。月の尖った輪郭をなぞる。ゆっくりと熟した思慕に若い僕。
どうした、まで言って先輩がnで唇を閉じたときに僕はそこを奪っていた。
やさしい先輩。びくんと揺れた細いからだ。


×××



久しぶりいと言って現れた彼は何となく以前とは変わった雰囲気をまとっていた。正義とか社会とか、罪とか、そういうのが重くなっちゃったんだよね。辞職の前に問い詰めたときにそう言って弱く笑った顔。その延長上に先輩は居るんだと思った。彼は何だか以前より痩せたように見えて痛々しかった。伸ばした前髪、更に磨きのかかった軽口、徐に鞄から取り出された鞭。驚いてそれ何ですかと聞いたら、え、ああいや落ち着くんだよねと彼は応えた。
「…先輩プレイ用ですか」
「はっ!?何言ってんの亀ちゃん、違うよ違う」
「なおってないんですね、被虐趣味」
「馬鹿言ってんじゃないよ」
そう言って軽く僕を叩く。
昔みたいにじゃれられたことに僕はこっそり安堵した。先輩は頭のよい人だった。弱さを隠すよりも全面に出し、そうやって傷つけられることから逃げていた。彼なりのストラテジィ、穏やかな拒絶、そして緩やかな許容。先輩はにこにこと笑った。触れたくない話題は上手く逸らしながら僕たちは言葉を交わした。時節はもうじき夏で、日は美しく明るかった。先輩はやはり優しくて可愛くて、僕も声をたてて笑った。


あなたがその場所を選んだのなら僕はもう何も言えません。あなたはあなただけなのだから、せんぱい、好きなように生きて下さい。そうして…その先で戸惑うように震えた唇を益田は憶えていた。後輩の瞳の奥でゆれる色が何かははっきりと掴めなかった。亀井は結局は言葉を飲み込んだようだ。益田はへらっと笑う。
そんな悲しい顔しないでよ亀ちゃん、せっかくの色男が台なしだよ。そんな今生の別れってわけじゃあないんだからさ。またいつか呑もうよ、一緒にさ。
益田はそうして亀井の頭を撫でた。そうすることはひどく自然だった。


それは優しい人がする癖だった。相対する人間に傷つきやすさを重ね合わせて、自分がされたいことをする。
考えれば哀しい癖だ。
煙草は煙りをたてて灰皿の上で燻っていて亀井は隣でねむる益田を眺める。なんだか一年前のままみたいだった。けれども服を脱いだあの人はやはり痩せていた。いくつかの亀井が覚えている傷はそのままそこにあり、何だか泣きそうになりながらそこに口づけた。彼はそんな自分を薄く笑みを浮かべ見ていた。逆行する時間、散乱する光、氾濫する感情。亀井はそのすべてを上手く処理することができない。何かに赦してほしいと思った。おかしな話だ、別に罪を犯してなどはいないのに。益田はうつぶせになり薄手のタオルケットを身体に巻き付けて眠っている。肩甲骨が上下する。翼を摘まれたせんぱいは、やはり、いとおしかった。


絡み付くこの違和は何か。シャワーの湯が身体の表面をなぞり滑り落ちて行く感触にぞっとするほどに似ていた。寝ることなど何てこともない。ぼくは誰とだって寝ることができたし良心の咎めも感じない。吐き気がする。ざあざあと注ぐ湯と共に胃液まで流れ落ちていきそうだった。益田は我慢できずにしゃがみこむ。酔った勢いで連れ込まれたラブホテルのシャンプーからは安いばらの匂いがする。なんだか胸が張り裂けそうに痛かった。なんて安い修辞だろうと笑えたらよかったのに。顔が歪む。なんでだろうと思っていたら涙が流れた。
優しいせんぱい。
喘いだ喉は枯れている。掠れた声がかみさまと呟くのをどこか他人のような思いできいた。



120429
初亀益がこれ
病んでおります
結構気に入ってる

題/乱反射、(終わり、それから、)
けしからんさま




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