眼に見えぬもの



このお方には私が必要だった。
一人では身支度のひとつもできない、若君。
いつも通りに着物を用意し乱れた髪を結わえてさしあげようとしたところで、身が崩れた。
私が正さねば、六郎が守らねば。思うほどに動かない身体。
「無理をするな、六郎」
「…申し訳ありません。若に面倒をかけてばかり…」
主に抱き抱えられ布団へ寝かされるなど、小姓失格。
右眼を失った一件後、いまだに六郎の容態は思わしくなかった。素早い解毒のおかげで一命は取り留めたものの…不自由な生活が続いている。
「詫びるな、と何度言えば良い?」
「申し訳…ありません…」
横たわる額に落ちる大きく温かい手のひら。ぬくもりが心痛かった。幸村に優しく撫でられれば、己の無力さに涙さえあふれる。
「泣き虫よのう…」
おさな子をあやす様に六郎の涙を拭う指。いくつ歳を重ねても幸村の目には出会った頃の歳若い六郎の姿が見えているようだった。
幸村の元へ集まる勇士たちを見ればその器が計れる。…若君は立派に成長した。
自分自身は…、どうなのだろう。彼の器に見合う立派な小姓で居られただろうか。小姓であることへの誇りは独りよがりの自己満足ではなかったろうか。
「難しい顔をしておるぞ?」
「…い、いえ…」
床に伏せると弱気になって仕方ない。負の思考が頭の中をぐるぐると泳ぎはじめる。
「そういえば」
唐突に、明るい声を発する幸村。
「昔、おまえの熱を看病したことがあったのう」
「……はい」
言われてみれば、あのときの光景がよみがえる。いまのように布団の傍らには幸村がついていて、六郎が申し訳なくうな垂れる度、優しく頭を撫でられたのだ。
「…熱は直に治まる。しかし失ったものは、戻らん」
 
―すでに無い右眼が痛む。

「おまえは二度もこの幸村の肝を冷えさせおった」
主は小姓を見据え目を細めた。
「…失うものが、おまえでなくて良かった」
「…幸村様」
布団の上から、強く抱き締められる。
「良かった……」
鼻をかすめる煙管のほのかな残り香。
六郎は手を回し幸村の背を抱き締め返した。小さく震える大きな背中。それを感じた瞬間、言葉に出来ない想いが静かに六郎の頬を伝い落ちた。
「傍におまえがおらんと心地悪くてのう。早よう…いつものようにうまい茶を淹れてくれ」
「……はい」
止まらない涙と共にただ頷くことしか出来ない。
幸村の傍らにある自分の居場所。
何を失おうともこの身さえ在れば変わらず彼の傍で生きてゆける。
六郎は涙で濡れた眼を再び開く。




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