部誌9 | ナノ


逃げも隠れもしたくはないが



乱暴に開けられたドアに律音は目の前の書類から顔を上げ、相手を確認してから思ったよりも来るのが早かったと書類に視線を戻した。

「明梨が居なくなったんだけど、お前、知らねぇか」
「彼なら今朝早くから収蔵庫に籠ってるよ」
「分かった。収蔵庫だな」
「ちょっと待ちなよ」

律音の答えにそのまま部屋を出て行こうとする昂太に律音は溜息をつき、イラついた様子で昂太は律音を振り返った。

「んだよ」
「君に渡す書類があるんだよ。あと、何度も言うけど、僕、君の上司ね」
「……それは失礼いたしました」

他の言葉をなんとか呑みこんで律音の前に立った昂太を軽く一瞥し、律音は処理している書類のすぐ横に置いてあった書類の束を昂太に差し出した。

「はい、これ。君の新しい相棒の情報ね。一週間後に配属されるからそれまでに軽く目を通しておいて。手続きの雑務とかは他の子にもうお願いしてあるから」
「俺の相棒は明梨だ。他の奴は要らねぇ」

差し出された書類を思わず握り潰した昂太に驚いた様子もなく、律音はペンを 机の上に置いて視線を上げた。
昂太の反応にやはり何も聞いていなかったのかと呆れながら軽く頭を掻き、昂太に視線を合わせる。昂太の気持ちもわからないわけではないだけに、律音は作業の片手間に伝えるのをやめた。

「明梨君から転属願いが出てて、一応受理したからね。まぁ、正式な相棒変えは明梨君に記入してもらわないといけない書類がいくつか残っているから、それが終わってからだけど。とりあえず顔合わせかな。君の相棒にはならなくても、君の班に配属されるのは間違いないから」
「俺は、認めねぇぞ…」
「君が認める認めないの問題じゃないんだよ。これは」

昂太は絞り出すように言いながら更に書類を握り潰し、律音は溜息を零した。

「いいかい?明梨君が転属願いを提出した。上司である僕がそれを仮受理した。その時点でこの話は決着がついている。今、君がどうこう言った所で覆らない。確かに、本来ならば君に明梨君から事前に相談があってしかるべきなのかもしれないけどね」
「……明梨は収蔵庫に居るんだろう?」

冷静な口調で言う律音が昂太にとっては腹立たしい以外の何物でもなく、今すぐ明梨を問い詰めたくて仕方がなかった。
誰よりも傍に居たはずの自分に何も相談せずにそんなことを決めてしまうだなんて、昂太には信じることが出来なかった。そもそも明梨と昂太の間柄は、相棒という言葉だけでは説明の出来ない程の間柄でもあったのだから、余計に。
確かに、最近様子が妙だと感じてはいたが、明梨本人が何でもないという のだから、昂太は素直にその言葉を信じた。明梨の言葉を疑うなんてことは、昂太の頭の中には微塵もなかった。

「君が今、収蔵庫に行ったとしても、明梨君には会えないよ」

部屋から出ようとドアに手を掛けた昂太に律音は静かに言う。
睨みつけるように昂太は律音を振り返り、そんな昂太に律音は苦笑を浮かべた。

「記録課が収蔵庫を封鎖してるからね」
「なんで」
「そりゃあ、記録することがあるんだろう。そもそも、明梨君は記録課と兼務してるんだから、その場に明梨君が居ても不思議はないだろう」
「いつもなら、記録課に行く前には俺に一言あった」
「急なことだったから言えなかったんだろう」
「……もういい!」

牙を剥き出しにして吠える昂太に律音は軽く肩を竦め、昂太はそのままドアを開けた。
頭に血が上り過ぎていて冷静な判断がついていないことは昂太自身、よくわかっていた。けれど、だからと言ってどうすることも昂太には出来ないことが腹立たしかった。

「どこへ行くんだい」
「修練場」
「壊さないようにね」
「うるせぇ」

宥めるような律音の声すら、腹立たしくて仕方がなく、遮るようにドアを閉めた。



「でも、本当によかったのかい?」

律音の問い掛けに明梨は困ったように笑った。

「だから、最初に言ったじゃないですか。相棒はアヤカシじゃなくて人間が良いって」
「そうは言っても相棒が短い期間で変わるのも何かと大変だろう」

書類に名前を書き込んでいく明梨の旋毛を眺め、視線に気づいた明梨は顔を上げてもう一度困ったように笑った。

「それは経験談ですか?」
「ううん。まぁ、そういうことにしといて」

墓穴掘ったなぁと律音はぼやき、明梨はくつくつと喉の奥で笑った。

「私としては、どんどん変わってくれた方がありがたいです」
「どうして?」
「だって“再編纂”された私が、前の私と同じとは限らないでしょう?記憶すら書き換わる可能性もある。それだったら、アヤカシの相棒と長く共にあるより、人間の相棒と短くいる方が気が楽です」
「……そうかぁ」

にこりと微笑む明梨に律音は唸るしかなかった。
そもそも、何十年に一度“再編纂”と呼ばれる休眠期のある辞書のアヤカシである明梨と、相棒に最期が訪れるたびに次の相棒が現れるまで休眠期に入る人形のアヤカシである律音とでは、アヤカシとしてのあり方が異なっている。
その上、明梨は普通であれば相棒を必要としないのだから、律音とは相棒に対する考え方は当然異なっている。

「どうであれ、“再編纂”前の私が相棒を解消することを望んでいたのであれば、そうするのが正しい対応だと思います」
「今の君はどうなの?彼と相棒を続けたくないの?」
「さぁ、どうでしょう。知らない人のことは何とも言えません」

記入が終わりましたよと澄ました表情の明梨を律音は納得がいかない様子で見つめ、明梨の差し出す書類を受け取った。

「……窓から失礼します」
「はぁ?」

不意に立ち上がるとそのまま開いている窓から飛び出した明梨に律音は呆気に取られ、遠ざかっていく明梨をぽかんと見つめた。

「明梨!」

そのすぐ後、勢いよく開け放たれたドアにびくりと律音は身を縮め、息を切らして室内を見回す昴太に表情を緩めた。

「昴太君、部屋に入る前にまずノックしてっていつも言ってるよね?」
「あ?……あぁ」

溜息まじりに注意する律音に昴太は顔をしかめてからコンコンとドアをノックした。

「いや、うん。そうじゃないけど…。まぁ、いいけど…」

深々と溜息をつく律音を他所に昴太は室内を見回し、律音が手にしている書類に目をつけた。
ずかずかと近づいて来る昴太に律音は持っていた書類を素早く仕舞い、何も持ってないと言うように両手を昴太に向けた。

「今の書類、明梨が書いたやつか」
「だとしたら何だっていうの」
「明梨はどこだ」
「知らないよ」
「知らないわけねぇだろ!」

昴太が振り下ろした拳に、机が耐えかねてメキリと嫌な音を立てた。
昴太の目はギラつき、そのまま律音の喉笛を噛み切ってきそうな勢いがある。

「明梨を出せ…!」
「出せって君ねぇ、明梨君はモノじゃないんだよ。それに、僕は明梨君の居場所を知らないよ」
「アイツどこに居るんだよ!気配はするのに姿は見えねぇ!いつも残り香しかねぇ!」

牙を剥き出しにして唸る昴太に律音は呆れながらも掛ける言葉を探した。

「ていうか、いつもそんな感じで追いかけ回してるの?」
「あぁ?!」
「お座り」

がるると唸る昴太に律音は顔をしかめ、先程まで明梨の座っていた椅子に座るように手で示した。
渋々といった様子で昴太は椅子に腰掛け、明梨の匂いがすると小声で呟いた。

「そんな追い掛け回したらさすがの明梨君も逃げるよ?」
「最初に逃げたのはあっちだ」
「うん?」
「アイツ、俺の顔を見るなり逃げ出した」

聞けば、明梨が転属届を出したと知った日から暇があれば封鎖されている収蔵庫を見張っていたらしい。
そうして、見張ってるタイミングで収蔵庫の封鎖が解除され、中から出てきた明梨に声を掛ければ脱兎の如く逃げられたという。

「そしたら、捕まえるまで追いかけるだろうが」

というのが昴太の主張だ。
律音にしてみたら頭の痛い話である。

「今度会ったら明梨君にちゃんと君と話し合うように声かけて見るから、無闇に追い掛け回すのは止めてあげた方がいいと思うけどなぁ」
「逃げる獲物を指くわえて見てろってか」
「明梨君は獲物じゃないだろう」
「だけど…」
「しばらく顔を合わせてなかったから、明梨君も気まずいんじゃないかな?」
「……」

拗ねたような子供のような表情で昴太はわかったと呟き、立ち上がった。

「どこ行くんだい」
「修練場」
「壊さないようにね」
「うるせぇ」

お決まりのやり取りをして昴太は部屋を出て行った。

「で?明梨君はどうするつもりなの?」
「あれ。バレてましたか」

入り口を見たままの律音の言葉に窓の外からひょいと明梨は室内に戻り、大人しく昴太の座っていた椅子に腰掛けた。

「どうして逃げたり隠れたりするか聞いても?」
「別にそういうつもりじゃあないんですけどね」

こめかみをほぐす仕草をする律音に明梨は少しだけバツの悪そうな表情を浮かべた。

「何というか、“再編纂”終わった後って、その“再編纂”された内容だけが頼りなのはご存知ですよね」
「まぁ、他の子からそんな話は聞いたことはあるね」

頷いた律音に明梨は軽く頷き、言葉を探すように視線をうろうろと動かした。
律音は先を急がせるわけでもなく窓から入ってくる風に目を細め、言葉を待った。

「その、普通の辞書で例えるならば、その、いわゆる“別冊”みたいのがあってですね」
「うん」
「彼で一冊まとまってるんです」
「つまり、それぐらい彼に思い入れがあるってことなんだろう?」
「平たく言えばそういうことですけど…」

もごもごと口籠る明梨に律音は少しだけ首を傾げた。
嫌な予感しかしないが、質問したのは自分なのだから最後まで聞こうと律音は明梨の続く言葉を待った。

「彼と私は恋人同士、だったんですよね」
「あぁ、そのようだね」
「そうだとしたら、その、嫌じゃないですか。“再編纂”前の私と、今の私が全然違うとしたら、律音さんだったら、そんな相手と恋人でいられますか?」
「俺が知るか」

もじもじと告げられた明梨の考えを律音は真顔で切り捨てた。
だん、と律音が足音高く床を踏み鳴らすと目に見えない何かによって明梨の身体は椅子に縛り付けられた。

「り、律音さん?!」
「そんなん、確かめねぇとわからねぇだろうが。あー、あほくさ。俺を巻き込むなっつーの」

戸惑った様子の明梨に面倒そうに頭を掻いた律音は胸ポケットから取り出した幾つかの犬笛の中から一つを選び、勢いよく吹いた。

「逃げたり隠れたりしたくないって言うなら、正面から向き合って確かめてみろよ。一人で考えてたってそんなんは答え出るわけねぇだろうが」
「そうかもしれないですけど、もし拒否されたら…!」
「そしたら、俺が慰めてやるから当たって砕けとけ」

青ざめる明梨に律音は意地悪く笑って見せ、今度は胸ポケットから鍵の束を取り出して鼻歌交じりに鍵を選別した。

「呼んだか!」
「昴太!」
「ドア閉めろ」

勢いよくドアを開けて入ってきた昴太に明梨は悲鳴にも似た声を上げ、律音は短く言い、言われるまま昴太はドアを閉めて室内に入った。

「明梨、お前…!」
「昴太、いや、あのね、」

たたん、と律音が床を踏み鳴らすと明梨を拘束する何かは解かれたが、昴太に見据えられた明梨は椅子に縫い付けられてしまったように動けないでいる。

「おら、2名様ご案内だ」

そんな2人を一瞥した律音は鍵束の中から選んだ鍵をドアに差し込み、開いたドアの向こうに無造作に首根っこをつかんで2人を押し込んだ。

「ちょ、律音さん…!」
「おい、律音!なにすんだよ!!」
「しばらくそこで2人で話し合え。いいか?これは、上司命令だ。1時間はここの鍵閉めとくからな」

突然のことに目を白黒させる2人に律音はきっぱりと言い切り、ドアを閉めると鍵を閉めてしまった。

「いや、お前もデカい口叩けたもんじゃねぇだろ」

背後から聞こえてきた声にぎくりと律音は身を竦めた。

「信明、いつからそこにいた…?」
「お前が明梨に『当って砕けろ』っていう少し前から」
「げっ」

背後にいる信明を恐る恐る律音は振り返り、信明は意地悪い表情で律音を見下ろした。

「お前も逃げも隠れもしたくないんだったら、俺と向き合う必要があるんじゃねぇのか?ん?俺の口調まで真似してご高説垂れてたよなぁ?」

にやにやと律音を見下ろしたまま近付いて来る信明に律音は引きつった笑いを浮かべたまま後手で鍵穴に一つの鍵を入れて軽く回した。

「それとこれとは話が別!」
「んなわけねぇだろうが!」

ドアの向こう側に逃げようとする律音を追い掛け、閉じかけたドアの隙間から無理矢理自分の身をねじ込んでドアを閉めた。

「律音、観念しろよ?俺らも腹割って話そうや」
「最悪…」

律音を見下ろす信明にへなへなと律音はその場に座り込み、観念したようにため息をついた。



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