部誌9 | ナノ


今夜の月は美しい



「月が綺麗ですなあ」

静かな夜だった。
静謐と表現するのが相応しい夜だ。

遠くで犬の鳴き声が聞こえる。木々のざわめきも。真夜中にも関わらず、街灯以外の光がチラホラ存在していて、それでも、静かな夜だった。ヒトの介在しない静けさは、なんだか妙に幻想的だ。

それもこれも、隣にいるのがみょうじなまえだからだろうと、二宮匡貴は分析した。二宮にとって、みょうじという人間は、存在自体がファンタジーだ。

みょうじなまえは、常時換装していて、本来の姿を誰も見たことがない。換装時の体は好きにデザインできるらしい。どこまでデザインできるのかは二宮も把握していないが、みょうじは随分時間をかけていじくりまわしたと聞いている。みょうじの本来の姿を知るのは上層部の人間と、開発室の人間だけだという噂だ。
本来の姿を知りたいと突撃する人間をのらりくらりと躱すみょうじの、正確な年齢すら二宮は知らない。恐らく、みょうじの真の姿を知るもの以外は誰も知らないのだ。

狙撃手であるみょうじは、今日もバックワームを頭から被っている。月の光を反射する髪の色は白金。フードの隙間から覗き見える瞳は紺碧。フードに隠れていない鼻筋と口元は、恐らくみょうじの換装体が整っているのだと予測できた。
本来の姿を見せない癖に、換装体すら隠したいとは、みょうじの秘密主義には恐れ入る。

みょうじはどこの隊にも属しておらず、フラフラとよその隊に混ざって任務に参加している。今日、二宮隊に混じって夜間任務についているように。秘密主義の割には、みょうじの悪い噂はさほど聞かない。
噂によれば雑談には応じるし、話してみれば悪いやつでもない。けれどやはり、その顔を積極的に見せたい訳ではないようだった。顔を見せろと迫られても言葉巧みにはぐらかし、結果、誰もみょうじの姿を把握した者はいないのだ。

みょうじはソロで活動しているだけあって攻撃手としてもなかなかものだそうで、隙をついてバッグワームをはぎ取ろうとしてもうまくいったという話は聞かなかった。一度太刀川がフードをはぎ取ろうと頑張ったらしいが、みょうじは巧みに太刀川から逃げおおせ、結果忍田部長の雷が落ちた。人の嫌がることはするんじゃない、から始まり、日常の至らなさをここぞとばかりに窘められた太刀川は、それ以来みょうじに近寄ろうとしない。

そんなことが何度か続いた結果、みょうじの本来の姿も、換装時の姿も謎に包まれたままだ。

二宮は恐らく、そんな騒動を起こしたみょうじの謎に関心を抱かない数少ない人間の一人だった。同じ隊の犬飼なんかは一時期積極的に絡みに行っていたようだが、二宮が一度窘めてからは自ら絡みに行くことはなくなった辻もその性格からみょうじの秘密を探るようなことはせず――結果、みょうじにとっては二宮隊は安心できる場所だと判断されたらしい。いつからか、みょうじとの合同任務が増えるようになった。

「ニノくんの隊は落ち着くねえ」

口元を笑みの形に歪めてそう息を吐くみょうじに、二宮はそうか、と一言返しただけだ。自分の呼ばれ方に眉を顰めても、それだけだ。何か言葉を返すことも、反応を返すこともなかった。二宮にとって、みょうじはそれぐらいの存在だった。その時の二宮にとっては、それだけ、だった。

初めて二宮隊と任務を共にすることになったとき、みょうじの空気はどこか硬質的だった。何度もフードの中を狙われたせいだろう、緊張を解かず、警戒しきりだった。犬飼はそんなみょうじに興味津々だったし、辻はそんな犬飼を横目で見ただけで、それ以外の反応は示さなかった。
二宮ははしゃぐ犬飼を窘め、任務に集中させた。それだけでみょうじにとって、二宮は他の人間と差別化されたらしい。態度がわずかばかり軟化した。そしてそれは、合同任務の回数が増える度に続いた。今、二宮がフードを脱いでほしいと頼めば、快く脱いでくれそうなくらいには、みょうじは二宮に懐いていた。

「ニノくんは、おれに興味ないよね」

不意にそんな言葉をかけられ、二宮は地面に下ろしていた視線を上げた。声の主は二宮を見ておらず、風で揺れたバッグワームのフードを被り直していた。その後ろ姿はどこか寂しそうで、二宮の眉がぎゅっと寄った。

――お前に興味がなかったから、お前は俺に懐いたんだろうが。

舌打ちしそうになり、すんでのところで堪えた。変に受け取られて、寄せられた信頼が霧散してしまっては困る。

つまりは、そういうことなのだ。
二宮匡貴は、みょうじなまえに、絆されていた。

だってそうだろう、誰にも懐かない野良猫が、自分にだけ懐いてきた。それに心が揺らがない人間がいるだろうか。冷淡に見られがちな二宮とて、懐かれて悪い気はしない。気に食わない太刀川が、みょうじに懐かれた二宮を見て歯ぎしりするほど悔しがっていた。それを鼻で笑い、細やかな優越感を味わっていただけだと――自分でも、そう思っていたのに。
何かを、誰かを可愛いと思う心が自分にあったことに驚いた。そこからずるずるとなし崩しに自覚した己の感情を表に出すにはプライドが邪魔をしたし、何よりみょうじが嫌がるだろうと、そう思った。みょうじが懐いたのは、みょうじに興味を抱かない二宮だ。こちらから構いに行けば、逃げるのだろうと思ったのだ。

こっちの気も知らないで、よくそんなことが言えたものだ。唸り声をあげそうになるのを必死で堪えながら、二宮は寂しげなみょうじの背中を見つめたまま沈黙を保った。
次の言葉を待っていたが、それきり、みょうじは黙ってしまった。静けさが耳に痛い。どんな言葉をかけるべきか、二宮には判断がつかなかった。そもそもが、夜間任務中である。2人の会話は、誰が聞いていないとも分からないのだ。迂闊なことを口に出せば、どんな目に遭うのか想像するのも嫌になる。

はあ。
息を吐けば、みょうじの肩がびくりと揺れた。縮こまったのか、少しばかり小さく感じる背中に向かって、二宮は足を踏み出した。

「みょうじ」

すぐ後ろで声をかければ、驚いたのかみょうじが顔を上げた。近い距離にある二宮の顔に、更に驚いたように一歩下がる。その腰を抱き、離れた距離を詰める。みょうじが息を飲んだのがわかった。
至近距離で二宮を見上げているせいで、フードの中が丸見えだ。やっぱり綺麗な顔をしているなと、そんなことを思いながら顔を寄せる。白い額に唇を寄せ、すぐに体ごと離した。

二宮がみょうじに何をしたのか、把握している人間は恐らくはいないだろう。そう判断できるくらいには、恐らくは一瞬の出来事だった。

「――っ、ニノ、く」

「みょうじ。任務中だ。集中しろ」

何かを告げようとしたみょうじが、二宮の言葉にぐっと息を詰まらせ、露わになっていた顔をフードを深く被ることで隠した。その頬がりんごのように赤くなっているのが、換装体の二宮には性格に把握できた。みょうじのそんな反応に、顔が緩むのがわかった。そろりとフードの隙間から二宮を見たみょうじが、再度真っ赤になって顔を隠すくらいには、二宮の顔は緩み切っているのだろう。

腕を伸ばし、わしわしとフードの上からみょうじの頭を撫でる。わっと慌てた声をあげたみょうじが、赤い顔のまま口元を笑みに形作った。へへ、と笑いながら、されるがままになっている。

「今日の月は綺麗だねえ」

先ほどと同じ言葉を繰り返したみょうじの意図を、二宮は今度こそ正しく理解した。
全く、解りづらく古典的だ。小説の中でもあるまいに。

みょうじが見上げる月を見上げ、二宮もまた、言葉を返した。

「――まったくだ」

その日、恋人同士になった二人を、恐らくは月だけが見ていた。



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