部誌9 | ナノ


今夜の月は美しい



「少年、そこで寝ているのはお前の趣味か?」

静かにかけられた声に少年はゆっくりと目を開けた。
見上げた先は眩しいばかりの満月と、その明かりに照らされた青年が少年を見下ろしている。

「そんな所で寝るのはそろそろ堪える季節ではないか?」
「ーー」

青年の問い掛けに答えようと少年は口を開くが、言葉は音にならず、ゆるゆると少年は目を閉じた。
その様子をじっと見つめていた青年は少しだけ首を傾げ、制帽のツバを軽く上げた。

「言葉がわからないか?それとも声が出ないのか?」
「ぐ、ぅ…」

視線を合わせるように屈んだ青年の問い掛けに、もう一度目を開けた少年は小さく呻き、顔を背けるとごぽりと血を吐き出した。

「おいおい。大丈夫か?」
「っ、」

咳き込んで蹲る少年の背を青年は労わるように撫で、少年はその手が煩わしいのか軽く身震いをした。
しばらくして落ち着いたらしい少年は乱暴に口元を拭い、のろのろと青年を見上げた。

「落ち着いたか?これで口を濯ぐといい」
「……どうも」

竹筒の水筒を青年が差し出すと少年は上から下まで青年を値踏みするように眺めてからのろのろと受け取り、何も遠慮した様子もなく口を濯いだ。

「お前、名前は?」
「わかりません」
「歳は?」
「わかりません」
「家は?」
「わかりません」
「家族は?」
「わかりません」

じっと見つめてくる青年から視線をそらさずに少年は淡々と答え、青年は小さくため息をついた。
制帽を外して前髪を掻き上げ、軽く制帽を被り直してから青年は胸ポケットから手帳を取り出し、もう一度ため息をついた。

「じゃあ、“種族”は?」
「“生き字引”」
「知らんな。本部で照合するかぁ…」

きっぱりと答えた少年の言葉に青年は首を傾げ、手帳をぱらぱらとめくってから少年に視線を戻した。
名前も歳も家も家族も知らないというのに、種族を聞けばあっさりと答える。別に珍しいことではないが、面倒くさいパターンだということを青年はよく知っていた。

「行くところは?」
「ありません」
「じゃあ、妖異局にご案内だな」

すん、と鼻をすすった少年を見下ろし、青年は少年に自分の上着をかけてやった。
ほとんどぼろ布のような服ではやはり寒いらしく、少年は最初は嫌そうな表情を浮かべたものの、上着の前をかき合わせた。

「……裸足か」

ちらりと少年の足元を見やった青年は軽く少年を抱え上げると、何の迷いもなく歩き出し、少年は抵抗するように身をよじった。

「おい、大人しくしろ」
「なんで」
「裸足で歩いたら怪我するぞ」
「何を今更」
「いいから大人しくしろ。妖異局に連れて行くだけだ」
「……わかった」

妖異局という単語にぴくりと反応した少年は少しだけ考えるような素振りを見せ、ややあってから大人しく青年の腕の中に収まり、目を閉じた。

「信明、どこ行ってたんだ」
「巡回だ。アヤカシ保護してきた」
「お前にしては珍し……いや。今日は、あぁ、そうか」
「……律音、なんだその目は」
「なんでもないよ」

青年の腕の中でいつの間にかうとうととしていた少年は話し声に目を開け、軽く欠伸をした。

「で、今回は何を保護してきたんだ?」
「あー、“生き字引”だと」
「“生き字引”?顔見せて」

いつの間にかお姫様抱っこよろしく抱え直されていた少年は、自分の顔を覗き込む律音にぎょっとしたような表情を浮かべた。
そんな少年の反応を気にした様子もなく律音は少年の顔をまじまじと見つめ、ややあってからぽんと手を打った。

「あぁ、玻璃か。久し振りだな」
「知り合いか?」
「まぁ、一応。玻璃の方は覚えてないだろうけど」

怪訝そうな青年に律音は軽く頷き、仕草で自分についてくるように青年に合図をした。

「本当に玻璃は“月”に愛されてるとしか思えない」

コツコツと足音を響かせながら律音は廊下を進んでいく。
律音がどこに向かっているのか青年には分からなかったし、少年も律音の言葉の意味が理解できなかった。

「今日は年に数回の信明の善行の日だし、“月下美人”がここに来ている。それに、今日の月は、あぁ、一等に美しいね。さすが、玻璃だ」

足を止めて廊下から見える満月を見上げ、律音は振り返ってにこりと笑い、ポケットを漁った。
やや大げさな仕草で律音はポケットから鍵を取り出すと、目の前の扉に鍵を差し込んだ。

「さぁ、感動の再会といこうか」

斯くして、斯くして新たな“記録”が始まった。



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