君の抜け殻
寒いな、と思ったのが、多分その日の最初だった。
カーテンの隙間から漏れる光が眩しくて、顔を隠しながら温もりにすり寄る。いつもの自分の布団とは違う匂いがして、おれどっかに泊まったっけ、なんて疑問が浮かんだけど、眠気の前に頭をすり抜けていった。
だって、眠いんだ。
誰かが布団をかけてくれたのか、一瞬の寒さに震えたおれの肩に暖かい何かがかかる。と思ったら、頭のてっぺんから温もりに包まれる。
あったかい。
その温もりが心地よくて、思わず微笑んだ。
「な……っにをやってんだお前らはああああああああ!」
「!? ふぁい!?」
「うるせえ……」
罵声で叩き起こされた。
寝覚めは最悪だった。
そもそもの始まりが、バイトだったんだと思う。
定かではないのは、覚えてないからだ。昨日のことなのにすごく曖昧で、おれのことなのに何が何だか分からない。頭がすっげえ痛いのは何故なんだ……?
「あとなんでおれパンイチでまーくんの胸に抱かれて寝てたの……」
「まーくん言うなっつってんだろ! あと誤解を招く表現止めろ! ぶん殴られてえのか!」
「声でかい……静かにして……」
まーくんの部屋、ベッドから下ろされた状態で正座させられている。誰にって、哲にだ。幼馴染の荒船哲次。なんかめちゃくちゃ怒っている。そもそもなんでここにいるんだろう……まーくんの部屋なのに……。
ちなみにまーくんの本名は影浦雅人である。おれのバイト先の店長の息子。バイト先のひとたちの呼び方がおれに移った。
「朝帰りたあ、いい根性してんじゃねえか」
「あさがえり……? うっ」
突然の吐き気に口元を押さえる。さっと差し出されたごみ箱を抱えたけど、これはまーくんの部屋のものだ。さすがに失礼だろうと喉元まで出かかった一口ゲロを飲み込む。酸っぱい。吐きそう。無理。
「なにこれ悪阻……?」
「馬鹿か! 二日酔いだよ!」
「だから声でかいって……二日酔いかこれ……」
はて?
一体いつ酒なんて口にしたんだろう。おれは未成年の飲酒ダメゼッタイ派だったはずなのに……つうか飲酒してこれなら成人しても酒は飲まない……飲まないぞ絶対……。
さっきは頑張って耐えたけど、次の波が来た時に吐かない自信がなかったのでゴミ箱を抱えたまま仁王立ちでおれを見下ろしてくる哲を見上げる。今更だけどこいつなんでこんなに怒ってるんだ? なんだっけ、朝帰り?
「家に連絡してなかったっけ」
「カゲと電話して泊まることがわかったから、俺からおばさんに言っといてやった」
「ああ、サンキュー……じゃあ無断外泊じゃねえじゃん。哲はなんでそんなキレてんの?」
なんか最近哲がすげえ怒りっぽくてなまえ困惑しちゃう。バイトのことだって言い忘れてただけなのに、めっちゃキレてくるし。別にバイトのことを幼馴染みに言わないのって悪いことでもないし、バイト先が知り合いの店ならなおさら問題なくねえ? 哲とまーくん仲いいし、店長や奥さんの人柄も知ってるだろ。
なのにバイトがバレた日は帰ってから部屋に押し入られて、夜が明けるまで説教された。ほとんど聞き流してたし、半分寝てたからどんな内容か覚えてないけど。哲、情緒不安定すぎる。やっぱりボーダーってストレス溜まるんだろうな。まーくんもしょっちゅう八つ当たりしてくるし。
ぼーっとそんなことを思い返していたら頭を掴まれた。ギリギリと指が食い込む感じがやばい。痛すぎ!
「またお前は話聞いてねえだろ……!」
「いたたた痛い痛い! 哲が黙り込むからじゃん!」
「つうかお前らうるせえよ。俺の部屋だぞここ。さっさと出てけ」
おれの隣で、同じように床に座らされていたまーくんが嫌そうに眼を眇めておれたちを見ている。いや見てないで助けてくれよ。そしておれは正座させられてるのに、なんでまーくんは立て膝なの。解せぬ。あと上半身裸の下半身スウェットとかいうセクスィーな格好風邪ひかない? 服着よ? おれも着たい。寒くなってきた。おれの服は一体どこなんだ。
「ェッ……くし! 寒い! まーくん服貸して!」
くしゃみの衝撃でか、哲の手が頭から離れた。ここぞとばかりに話を逸らそうと、隣のまーくんに顔を向ける。
「ああ? めんどくせえな……」
そう言いながらも腕を伸ばしてクローゼットからスウェットを差し出してくれるまーくんはツンデレのいいこだ。思わずニコニコしてると顔面にスウェット上下一式を顔に投げられた。
「きもい」
「ひっど……おお、影浦家の匂いする。変な感じだ〜」
ふは、と笑いながら服をありがたく服を着る。スウェットの襟元から頭を出すと、まーくんや嫌そうな顔で、哲はなぜか顔面を手で押さえて天井を仰いでいた。おれ知ってる、こないだ哲と見た海外ドラマでジーザスって言いながら主人公がやってたのと同じポーズだ。
ちなみに補足しておくと、その海外ドラマは哲の好きな映画のスピンオフ作品だった。ブレねえな。
「何してんの?」
「いや、お前が何言ってんのだよ」
「は? 何が?」
「いや、もういい……」
哲とまーくんが二人そろって溜息を吐いている。何なんだ一体。訳が判らなくて首を傾げても、二人は応えてくれそうにない。
まあ、哲の怒りが消えたならいいことだ。
このままやり過ごせないかな〜と空っとぼけていると、まーくんが呆れたような顔を向けてきた。おれの考えてることでもわかったんだろうか。何なんだエスパーか。
「てか、純粋な疑問なんだけど、おれの服はどこに?」
哲の怒声で起こされた時マッパかと思ったし、同じくマッパなまーくんの腕枕で寝てたから、まじで一線超えたのかと滅茶苦茶ビビったんだけど。別にケツに違和感もなければスッキリした感じもないので、普通に同じベッドで寝てただけみたいだ。そもそもなんでおれがまーくんの部屋の、まーくんのベッドで、まーくんと一緒に寝てたのかも謎だけど。
「お前の抜け殻なら洗濯機の中だよ」
「WHY!?」
えっ……は!? なんで!?
寝てる間に洗濯してもらってるって申し訳なさすぎないか……! 後で奥さんに謝らねば、ってゆーかまじでなんでそんなことになってんの!?
「お前、まじで昨日のことなんも覚えてねーの?」
「え、うん」
嫌そうな顔のまーくんが、深い溜息を吐きながらこっちを見ている。思わずまじまじとその顔を見ていると、哲がおれの隣に腰を下ろした。真面目に話を聞く気らしい。
おれとまーくんと哲、三人で輪を作るように座り込む。まーくんの部屋は一般的な広さだから、三人で床に座るはちょっとつらい。
「何があったんだ」
そんな哲の促しに舌打ちしたまーくんは、嫌そうな顔で、淡々と昨夜のことを語ってくれた。
曰く。
おれは酔っぱらったおっさんに絡まれていたらしい。その時店長は不在、おれ以外には奥さんとバイト仲間の女の子しかおらず、おれが矢面にたっておっさんの相手をしていたそうだ。酒を飲もうと絡んでくるおっさんを「未成年だから」とやり過ごしていたものの、おっさんはしつこい上にタチが悪かった。これなら大丈夫だろうと差しだしたオレンジジュースに、焼酎だか日本酒だかを混ぜ込んでいたらしい。それを知らないおれは渋々ながらコップを受け取り、さっさと仕事に戻るべく一気飲みをして、その場に倒れ込んだという。
「そっから先が地獄でよぉ。俺が帰ってきた頃には、お前がおっさんにネチネチと説教した後にゲロぶちまけてた」
「ヒッ」
「そんでおっさんも酔いが醒めたんだろうな。逃げるように帰ってったけど、お前はゲロのついた服で俺に絡んできて、仕方ねえから服脱がせて、服着ろっつっても暑いから嫌だとか抜かしやがるし、その割にはおんぶお化けになるし……最終的にめんどくさくなってひっついてくるお前ごと寝た」
思わずまーくんに向かって土下座していた。
途中まではよかったのに……途中までは女性を庇うおれかっこよかったのに……ラストで台無し……。
「なんか……悪ぃな、カゲ」
「おお。悪夢のような一日だったわ」
何故か謝る哲に、うんざりした感じで返すまーくん。
悪夢にしたのは誰ー?
おれー!
「ほんっとごめんまーくん……ごめん……」
「だからまーくんは止めろ」
昨日の地獄を思い出したのか、返してくるまーくんにもいつもの声のハリがない。いやほんと、まことに申し訳ない……。引っ付いて離れなかったらしいし、おれのゲロの片づけは、まーくんでなく奥さんとかバイト仲間の子とか、店長がしてくれたんだろう。飲食店でゲロとかもう……ほんと……ごめんなさい……今日明日にでも菓子折り持って謝りに来よう……。謝って済む問題かわかんないけど……。
「あれ、そういえば哲はなんでキレてたの?」
「あー、めんどくて俺が適当に返したからじゃね」
「ふぅん?」
つまりなんだ? まーくんの携帯に哲が電話かけたのか?
「ええと、心配かけてごめん?」
「あ? おお」
おれの母親から哲に連絡があって、おれのことを探してくれたんだろうか。心配かけたのにおれが安穏とスヤスヤ寝てるのに腹を立てたとか?
とりあえず家族と哲にもバイト代で何かお詫びをしようと考えるおれの後ろで、哲は小さく舌打ちした。
「ったく、紛らわしいんだよ……」
「なんか言った?」
「なんでもねえ」
よくわからん。
まあなんでもないと言うからにはなんでもないんだろう。
とりあえずおれは、奥さんにどう詫びながら洗濯いただいた服を受け取ればいいのか、鈍く頭痛がする頭を振る回転させたのだった。
「なあ、なまえが家に帰ってないみてえなんだが、そっちにまだいるのか?」
――ああ? なまえ? ウチで泊まらせるわ。
「泊まり? なんなら迎えに行くが」
――だとよ。オラ、離れろなまえ。苦しいっつってんだろ。
――やだー! はなれにゃいかんな!
――わかった、わかったからさっさと寝ろ。あと奥詰めろ。狭えんだよ。っつー訳で今日は泊めるわ。じゃあな。
――まーくんぎゅってしてえ〜。
プツン。ツー、ツー・
「――――は?」
何だ、今の甘えた声。
聞いたことねえぞ。
荒船が常識的な時間に訪問するために自宅で耐えねばならない時間は、あと何時間?
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