部誌9 | ナノ


君の抜け殻



 一日中降り続いた雨は、深夜になっても止む気配はなかった。ぼんやりと薄明るいカーテンの向こうでは、空から落ちる雨粒が、銀色の糸となって夜の三門市を紗で覆う。銀の薄絹は街に残った秋の色を覆い隠し、足の爪先から冬の温度を容赦なく忍び込ませる。
 村上は先週冬物に変えた布団の中で、足をもぞもぞと擦り合わせた。今夜は一段と冷え込みが厳しい。
「コウくん、起きてる?」
 ベッドの横から遠慮がちな囁き声。それを村上は目を閉じたまま、無反応を貫いた。ごそり、ベッド脇の床に敷いた布団が動く音とともに、囁きは繰り返される。
「コウくん、寝てる?」
 眠っていたらそもそも答えられないだろうに。村上は目蓋を閉じたまま、規則正しい呼吸を続けた。目と鼻の先に人の気配を感じたと思えば、そろりと掛布団が捲られ、控えめな体温が猫のように滑り込んでくる。なまえだ。
 狸寝入りを続けたままの村上の隣で、胎児のように丸まったなまえが肌を摺り寄せてきた。なまえの骨ばった膝が、脇腹を擽る。
 膝小僧の皿に冷たさを感じながら、薄目で確認をすれば、なまえは頭まですっぽり布団を被って、村上から見えるのはなまえの分だけ膨らんだ羽毛布団だけだった。
 唯一の家族である祖母が入院してしまってから、なまえはしばしば一人暮らしを営む村上の部屋に押しかけてくるようになっていた。村上も彼の宿泊を拒まず、そして深夜に人肌の温もりを求めるなまえのことをも、気付かぬふりをしながら受け入れている。
 なまえの呼吸に合わせて上下するふくらみに、フと口元を緩め、村上は再度睡眠へと没入していく。
 翌朝目覚めると、隣の体温は既に床の布団に戻っていた。村上の隣には、なまえの形に丸まった毛布が残されるのみ。ヤドカリに捨てられた貝殻のようなそこに物悲しさを覚えつつ、村上は朝食の支度を(と言ってもパンと卵を焼く程度だが、)始めた。なまえが目を擦りながら寝床から這いずり出るのは、もう少し後のことだ。

 村上となまえは、高校の同級生である。ボーダーにスカウトされ、三門市外から高校の途中でやってきた村上の交友関係は、ボーダーを前提にしたものが中心だった。なまえはそこから一歩広がり、影浦と荒船の幼い頃からの友人だという。なまえはボーダー隊員ではなかったが同じ高校であったし、二人とつるむうちに関わりを持ったのは自然な流れだった。
 なまえは、傍目に見ても変わっている。とにかく言動が妙に幼い。彼の性格だとか、小柄な体格だとかだけでなく、パーソナルスペースが狭く、人懐っこいのだ。影浦の家の店に荒船やなまえと一緒に訪れた際、初対面の村上にもべたべたとくっついてきた。それは気さくと言うより、甘えん坊というべき。
 どうにも同い年とは思えないなまえの姿に、初めて会った村上は戸惑った。そんな村上に、なまえを連れてきた荒船は目配せし、なまえが席を外した隙に彼の事情を耳打ちしてきた。
「あいつ、大規模侵攻で両親亡くして、あいつ自身も大怪我したんだよ。そのときから少し……変わっちまってな」
 珍しく沈鬱な荒船の表情と、苦々しげに響く影浦の舌打ちで、村上はなまえの状況をおおむね察することができた。三門市に住んでいれば珍しくもない、近界民の侵攻に関連する悲劇的な話。
 なんでもなまえは、頭に大怪我を負い、三か月もの間生死の境を彷徨っていたそうだ。当時のなまえが意識を取り戻した頃には両親の葬儀は済まされ、退院後は祖母の家に引き取られたのだと。

 怪我の後遺症で幼児的になっているというなまえは、村上に特に懐いた。コウくん、コウくんと追ってくる姿は、同級生というより、弟を相手にしている気分である。人目を憚らないその様子に、北添が「なまえはほんとに鋼が好きだねえ」と苦笑したほどだ。
 その言葉になまえが、恥じらいもなく「うん、おれ、コウくんのこと大好き」なんて頷いたものだから、一部始終を目撃した当真に「おあついこって」とからかわれた。

 小中学校からの顔見知りがいるなか、なまえはなぜ自分に一番甘えてくるのだろう、と話題にしたことがある。
 荒船隊と鈴鳴第一ともう一チームとで三つ巴のランク戦をしたあとのラウンジだった。冷やかしに観戦していた影浦と北添も交えて、荒船と穂刈、そして村上の立ち回りに感想を述べていたところで、村上がかねてより気になっていた疑問を口にしたのだ。
 話題にするやいなや不機嫌になった影浦が「あ?」と村上を睨んだ。
「ンなもん、鋼が中学より前のアイツを知らねーからに決まってんだろ」
「んっとね、カゲが言いたいのは、鋼はいまの状態になる前のなまえを知らないからってことだよ」
 北添が解説を入れてくれるが、どうにもピンと来ず、村上は首を傾げた。そんな村上に、荒船が一度舌打ちをして、さらに噛み砕く。
「つまり、俺たちはああなる前のあいつを知ってるから、どうにもいまの様子を受け入れきれないってことだよ」
「……ああ」
 合点がいった。つまり、なまえとの親交が長い皆は、彼の精神性の変質にいまだ戸惑っているのだ。大切な友人であることは変わらずとも、まるで小学生のようになってしまったなまえの姿に心の整理を付けられていないのだろう。どんなに、表層では平静を装っていても。なまえはきっとそれを敏感に感じ取っている。
 だから、そもそもいまのなまえしか知らない村上には、なまえも素直に懐けるのだ。

「頭ではわかってるさ、俺たちも。なまえはなまえだって」
 穂刈の呟きに、村上は「そうか」と返すしかなかった。



prev / next

[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -