部誌9 | ナノ


君の抜け殻



目覚ましの音がする。
放置しても、しつこく、しつこく起きろ起きろと目覚ましが催促することをなまえは知っている。朝に弱いなまえが、なんとか朝起きられるように自分で選んだ目覚まし時計がこれだからだ。
こういった便利アイテム選びは、朝に困ったことがある人間にしかできない。だって、一度のアラームできっちり起きられる人間には、スヌーズ機能なんて必要にならないのだ。
いつもなら、スヌーズに期待して二度寝に入るところだが、なまえは重い身体を持ち上げて、目を擦った。半分だけあけられたカーテンから差し込む朝日が眩しくて、よく見えない。2、3回まばたきをして、ようやく、見えてくる。
いつものベッド。一人暮らしには大きすぎるベッド。その片方に不自然に寄った位置になまえは寝ていた。不自然に空いた片方の掛布が、不自然に膨らんでいる。
トンネルみたいにできた空洞が、まるで抜け殻みたいだと、なまえはそう思いながら、手を伸ばした。


政治家との逢引きは、簡単にできることじゃない。普通は。あくまでも、普通は、だ。
稲城なまえと政治家、稲城光太郎との逢引きは、少し別だ。
名字から分かる通り、なまえと光太郎は親戚関係にあたる。なまえが、17歳。光太郎が、30と少し。年齢差が10歳以上。光太郎は親を亡くしたなまえの親代わりとして、なまえの支援をしてくれている。なまえの住む家は、光太郎が用意したものだった、なまえを支援する光太郎のエピソードは、美談としてしばしば雑誌に取り上げられたりする。
そんな関係だから、夕方になって光太郎がなまえの部屋を訪れていても、不思議に思う人は居ない。
光太郎が用意した部屋で、歳の離れたふたりが何をしているか、知る人は居ない。

今日は、激しかったと、熱い湯船につかりながら、なまえは思った。光太郎が用意した風呂はいつも少し熱めだった。それを冷水で温度調節する手間を惜しんでなまえはそのままつかう。本当は、自分にはこだわりが無いだけだとなまえは思う。
湯船につかって、身体に変な痕がないか調べるのがなまえのお決まりだった。光太郎はマーキングをしたりはしない。のこっていてほしいと、そう思いながら、なまえは湯船につかったまま見える範囲のあとを探す。そうして、腰骨のあたりに、紫色にちかい痣をみつけた。手の形をした痣は、逃げをうつなまえの腰を光太郎が強く掴んだあとだと、すぐに思い当たった。彼にしては珍しい「ミス」だった。
受験をひかえたなまえを気遣うように、部屋にやって来るいつもの光太郎は、惣菜と冷凍食品を持っている。光太郎の秘書が用意したものだと、なまえは思う。都知事はこんなものを買い出しに行けるほど暇ではないことを、よく知っている。本当は、なまえに会うほど暇ではないはずなのに、光太郎は時間を作ってはなまえの部屋にやってくる。
親を亡くした高校生との家族代わりの団欒だと、たしか、インタビュー記事ではそんなことが書いてあったように思う。なるほど、良い口実だとなまえは思う。
だけれども今日は、光太郎は惣菜も、冷凍食品も持っていなかった。そして極めつけは、彼との「逢引き」の予定は今日は無いはずだった。
「ミス」にしても、何にしても、今夜はどうにもおかしかった。妙な胸騒ぎが、両親を亡くしたあの日によく似ていると、なまえはそう思う。
だるい身体に鞭をうってなまえは湯船を上がる。彼の顔を、よくみなければいけないと、そう思った。
なまえは髪の毛を乾かしながら光太郎のいる部屋へ向かった。一人暮らし相応な、そんなに大きくない部屋に、光太郎が選んだ大きめのベッドがあって、そこに寝巻き代わりにシャツを羽織った彼が腰掛けて、なまえを待っていた。
「しっかり洗ったか」
そう言いながらなまえを見つめる光太郎は、いつもどおりの彼で、彼の「違い」を見つけることはなまえにはできなかった。彼はなまえを引き寄せて、自分の足の間に座らせた。冷たいフローリングを下着をつけただけの臀部に感じながら、なまえは小さく頷いた。光太郎はそうか、とだけ答えてなまえが首にかけていたフェイスタオルをとって、なまえの髪の毛を乾かし始める。なまえの身体の、快楽を暴き立てて、ひどく啼かせたその指が、首筋をかすめる。同じ指なのに、同じものだとは思えなかった。
「一人のときはきちんと乾かしているのか」
本当に?と何度も何度も聞いたことのある問いを、光太郎はする。
「してるよ。だって、いつもはこんなに疲労困憊してない」
なまえの答えに、光太郎は「そうか」とだけ答えた。

親を亡くしたのはたしか、3年前。なまえが14、つまりは中学生だったとき。資産の相続がうまくいかずに、路頭に迷いそうだったなまえが学校に行けるように取り計らってくれた。
なまえが、光太郎と寝たのは高校に入る前だったと、記憶している。多分、光太郎がなまえの支援をはじめてから、半年も過ぎていなかった。
とても痛かったことだけを、よく覚えている。自分が誘ったような気もするし、そうでなかったような気もする。今となっては、なまえはその点には興味はない。痛くて、痛くて、泣いて縋るなまえを組み敷いた光太郎を、なまえはこわいとは思わなかった。
ただ、そのときの光太郎はすでに、国会議員の秘書で、それから、なまえはまだ中学生だった。未成年とセックスをしたことに対して、光太郎が悪びれているようすを、なまえは一度もみたことがない。
保護者のようになまえのことを心配するくせに。なまえの身体を、保護者のように気遣うくせに。やっていることと、言っていることの齟齬も、なまえには理解できなかったし、しようとも思っていなかった。
理解しようとすれば、きっと、なまえは彼のそばに居られなくなると、そう思っていた。そばにいたいから、知ろうとしないのに、彼から独立するためにお金をためているなまえのほうも、多分、おかしいのだとわかっていた。

そんなに長くないなまえの髪の毛はタオルドライですぐに乾いてしまう。乾き加減をぱらぱらと指先で確かめた光太郎は、こんなものだろう、と言って、なまえの背中をとんと叩いた。

兄みたいだ、となまえは思う。むかし、なまえの両親が存命だった頃、光太郎のような兄がほしいと母に駄々をこねて困らせたのだっけ。
「来なさい」と、彼はそう言いながら、ベッドの上を示す。この上で、ふたりで行った淫行がまるできれいになかったかのように片付いている。
なまえは「脚を開きなさい」と言われたときと同じように素直に彼が示す場所に行った。「いい子だ」と彼も、なまえが彼の言いつけ通りに、彼の精液を飲み干したときのようになまえを褒めて、横になったなまえに5歳の子供にするように掛布を被せた。
ぱちん、と電気が消える。
彼は、就寝時に赤っぽい小さな照明を使わない。寝るときは電気を完全に消してしまう。そんなところも、なまえの生活習慣と、少し違うところだった。
電気を全て消してしまっても、完全な闇にはならない。少し慣れてきた目で、なまえは光太郎のシルエットを探した。
「……目覚まし、」
「かけておいた。朝7時でいいのだろう?」
抜かりがない、となまえは思う。目覚ましが必要ななまえと違って、光太郎には目覚ましが必要ない。起きるべき時間に目が覚めるのだという。
なまえにはにわかに信じがたい話だったが、光太郎なら、あるのかもしれないとそうも思う。
妙な胸騒ぎのことを、彼に聞こうか、聞かまいか迷っているうちに、睡魔に襲われる。眠気には勝てない自分の性質をなまえはよくわかっていた。
「兄さん」
なまえは、彼のことをそう呼ぶ。身体をつなげているときも、そう呼ぶ。
「なんだ」
光太郎が、いつものように答える。
「手を、つないで」
むかし、兄と呼んで良いと困る母に笑いながら光太郎はそう言った。その日、眠れないと言うなまえの手を繋いで光太郎は眠ってくれた。
「ひさしぶりだな」
光太郎はそう笑いながら、なまえの手をとった。真っ暗闇なのに、正確になまえの手の位置を探し当てて、握ってくれた。
そのことに、少しだけ安堵しながら、なまえは目を閉じた。何が同じで、何が違ったとしても、きっと、ひとつだけいつもと変わらないことがあるとわかっていたから。

朝になって、目が覚めたら、隣にあなたは居ない。



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