部誌9 | ナノ


昔の君と今の僕



あのころ、ぼくときみは、むなくそわるいせかいの、たったふたりのどうしだった。

現在。
俺とお前は、どうしようもなく、他人だ。



思えば遠くへ来たもんだ。
揺れる船上で、ふとそんなことを思った。好きでもない煙草を火をつけずに口にしているのは、口が寂しいから。寂しいと、口に出してしまいそうだからだ。
まったく、贅沢なもんだ。俺には愛する仲間がこんなにもいるというのに。

任された甲板掃除を適当に切り上げる。どうせ海水やエールで汚れるんだから、掃除する意味を見いだせない。どっかのデブが歩き食いをするせいで食べかすが落ちてたりするが、そんなもんは食べかすを落とした奴が掃除すればいい。俺は知らん。
デッキブラシを肩に担ぎ、掃除道具部屋まで足を運ぶ。夜更けすぎまで本を読んでいた寝不足の体に、太陽の光は眩しすぎる。仕事も終わったことだし、さっさと部屋に引っ込んで二度寝を決め込もう。

「よう! なまえ! 元気かあ?」

部屋に戻る道を欠伸をしながら歩いていると、後ろからとびかかられた。子泣きじじいよろしく俺の背中にべったりとひっついてくるこのひとは、俺が乗る海賊船の船長だ。

「あいあい、きゃぷてん……」

「眠そうだなあ」

そらそうだ。俺の睡眠時間は3時間を切っている。俺は最低6時間は寝てたいひとだから、必要な睡眠時間の半分も寝てない。
しかも背中にほどよい温もりがあるせいで、瞼が自然と落ちていく。眠りの船をこぎ出してしまうと船長ごと海に落ちてしまいそうだから必死に耐えるしかない。あーでも、船長だし大丈夫かな。片腕でも俺より強いし。
覆いかぶさるように背後から抱きつかれているが、ぐいと背中を逸らして、もたれかかる。船長このままベッドまで運んでくんねえかなあ。

「うっす。お頭、寝ていい?」

「いいけど、構えよ」

「いや知らねえよ」

俺は寝てえんだよ。ヘッドロックみたいに首に回っていた手を外させると、自室へ向かう。ありがたいことに個室をいただいているので、ゆっくりと眠れるだろう。
後ろからなんだかお頭がついてきている気配を感じるが、知らない振りをする。かまってやれるような眠気じゃないのだ。
視界の端に映り込む、まばゆいくらいの赤髪が物陰から見え隠れしていて。俺は思わずため息を吐いた。あの構ってちゃんは一体何なのだろう。

俺が自室について、引きこもるまでの間に副船長に捕まってどっかに連れ去られていく船長の声を背中で聞きながら、ベッドに潜り込んだ。ぬくぬくだ。

「なあベック、なんでなまえはおれを前みたいに呼んでくれねえんだろうな?」

「なまえも分別を覚えたってこった」

「シャンクスって呼べよー! なまえー!」

「寝かせてやれ。昨日は遅かったみたいだからな」

「おれもなまえと夜更かししたかった!」

シャンクス、うるせえ。





夢を見た。
遠い、遠い過去の夢だ。

なんていっても、10年と少しくらい前の過去。
俺はクソみたいな国の、クソみたいな親から生まれた、クソ貴族だった。幼い頃から本が好きだった俺は、自らが生まれた国が腐りきっていることに早い段階で気づけた。
親を慕う気持ちがなかった訳じゃない。信じたい気持ちもあった。両親は、俺には優しい、いい親だったから。

頭のおかしい常識がまかり通る中で、俺の唯一の仲間が、サボという貴族の少年だった。親に連れられていったパーティーで出会ったのだ。
サボは、貴族たちの会話から滲み出る選民意識に恐れを抱き、隅っこで小さく踞って本を読んでいた俺を見つけ出して話しかけてくれた。溌剌とした性格の彼は、本に夢中の俺を外の世界に連れ出してくれた。本で得た知識を語る俺の話に耳を傾けてくれたし、馬鹿にしたりはしなかった。

「なまえがそんなに気になるなら、たしかめてきてやるよ!」

おかしいのはゴア王国じゃなくて、正しいことを正しいと思えない俺の方かもしれない。
そう泣いた俺のために、サボは家を飛び出していった。俺は体が弱く、よく熱を出していた子供だったので、当然のように置いてきぼりにされた。今考えれば、あの熱は知恵熱だったのかもしれなかった。

そうして飛び出していったサボは、5年もの間、戻ってこなかった。

サボの家族がサボを探すなか、俺は恐ろしくて本当のことを言えなかった。サボがこの街から出ていってしまったのは、間違いなく俺のせいだから。
サボが怪我をしたり、死んでしまったらどうしよう。そう考えると怖くて怖くて仕方なかった。そして真実を知った両親が、俺を嫌いになったらどうしようと、そんなことを考えていた。この時はまだ、両親に対しての愛情があったのだ。

サボがいなくなって、罪悪感に潰されそうになって死にたくなっても、俺は思考を止められなかった。この国はおかしいという考えを捨てきれなかった。
疑いが疑いでなくなったのは、正しい倫理観を持った俺の家庭教師を、俺の親が殺したからだ。その日から俺にとって両親は化け物になった。

やっぱり、この国はおかしい。狂ってる。
そう実感しても、子供の俺にはどうしようもなかった。熱を出しやすい体質は変わらず、サボのように行動する勇気もなかった俺は、自室に引きこもるようになった。昔から本を読み続けていたので、将来のために勉強したいのだと言えば親は何も言わなかった。

サボが戻ってきたのは、突然だった。
家族に連れ戻されたらしいサボはゴア王国の貴族に絶望していたし、嫌悪していた。別れた頃よりずっと逞しくなった彼には自信が宿り、大人と対等に話し、そして断じた。この国はおかしいんだって。

俺とサボが接する時間もタイミングもなかった。でもサボの様子から、貴族の住む街の外に大切な存在が出来たんだって、なんとなくわかった。
裏切られたような気持ちを味わったのは、きっと間違っていた。それでも胸はもやもやした。サボのなかに、俺という存在はもういない気がした。

その翌日が、引きこもりの俺には知らされていなかった、「可燃ごみの日」だった。グレイ・ターミナルを焼き尽くす日に、親と一緒にサボの一家と顔を合わせた。何度も逃げ出して困っていると笑うサボの親の隣で、サボは恨むような瞳で俺を見た。

「お前もなのか」

まるで、そう言っているみたいだった。

世界貴族がゴア王国にやってくる日に、サボは出国を決めたようだった。
振り返りもせずに駆け出していく背中を、俺は見送ることしかできない。

サボが死んだと聞いたのは、その日の夜だった。
俺は、また置いてきぼりにされた。
永遠の置いてきぼりだ。

その一報を聞いた俺がどんな行動をとったのか、自分でも覚えていない。気づけば俺は瀕死の状態で赤髪のシャンクスの船に乗っていたのだ。
サボが嫌った国に――サボを殺した国に、いたいとは思えなかった。だから後悔はない。出国の際の一切を覚えてない俺にシャンクスは苦笑して、抱き締めてくれた。もう大丈夫だって。怖いものなんて何もないんだって。そのぬくもりに、俺は泣いた。恐ろしさから家族とのふれあいを拒絶していた俺にとって、久しぶりの誰かのぬくもりだった。

そうして、俺は赤髪海賊団の一員としてシャンクスの船に乗っている。サボのことを思い出すこともあったけど、毎日が楽しくて忙しくて、思い出す頻度は減っていった。
海賊として生きるには、他人や己の生死に関わることだ。辛いことも苦しいこともあったけど、シャンクスやベックやみんながいたから、乗り越えられた。

幸せであればあるほど、不意にサボのことを思い出してどうしようもなくなることがある。彼を殺したのは俺かもしれない――そうした想いは常に俺のなかにあって、死にたくなることもあった。そんなとき、いつもシャンクスはいつのまにか俺の隣に寄り添ってくれた。いつもうるさいシャンクスが、言葉もなくそばにいてくれた。

「なまえ。こいつを見てみろ」

渡された新聞には革命軍のことが書いてあって、そこにある名前と写真を見て、俺は泣いた。
本当に、俺はいつも、シャンクスに助けられている。

革命軍の記事が出る度、シャンクスは俺に新聞を渡してくれた。そこにサボの面影を感じては、生きてくれていてよかったと、そう思えた。

「ええと――君は?」

偶然会って、勇気を出して声をかけたお前が、笑いながらそう言葉を返したとしても、俺は、お前が生きている、その事実だけで充分なんだ。

お前にとって俺は、詮ない存在だったろう。
幼い頃の記憶なんか覚えちゃいないだろう。
俺より大事な奴がいたから、覚えてないのも仕方ない。

謝りたいとか、そんなんじゃない。
サボの決断や行動はサボのもので、俺が全部悪いとか、そういう考えはサボを否定することだ。だから、申し訳なく思っても、サボから言われない限りは謝るつもりはなかった。俺の代わりに外の世界を見ようとしてくれた、その気持ちに感謝は伝えたいとは思う。でも、謝るのはきっと違うんだ。シャンクスたちのおかげで、俺はそう考えられるようになった。

感謝、そう……感謝だ。
生きててくれてありがとうって、言いたいんだ。
あのとき無くしたはずの何かが戻ってきたって、そう思えたから。

「え、と、ごめん。知り合いだったか?」

多分、俺は泣きそうな顔をしてるんだろう。でもそれは忘れられてたからとか、そんなんじゃなくて。

「いいんだ、忘れてくれても。ただ――生きてくれてることが、嬉しいから」

お前にとってそうじゃなくても、俺にとっては、サボ、お前は人生の一部だった。これまでの人生で、多分半分以上はお前のことを考えて生きてきた。お前が死んだって聞いて、俺は記憶を喪うほど悲しかった。

だから――だから。

「生きててくれて、ありがとう」

ありがとうって、伝えたいんだ。

「――――っ」

サボが驚いてるのがわかる。そりゃそうだ、いきなり赤の他人に泣きながら感謝されても困るだろう。俺のこの行動は、自己満足にすぎない。

俺の自己満足に付き合わせてごめんな。
それとやっぱり、ありがとう。

俺はこれで、前を向いて歩ける。

「おーいなまえ! 船が出るぞ!」

「っ……わかった! 今いく!」

遠くでシャンクスが笑ってる。シャンクスのことだ、これで俺の踏ん切りがついたことがわかったんだろう。

「突然ごめんな。じゃあ」

またね、なんて言葉はいらない。言うつもりもない。
今までだって、言わなかった。

さよならだって同じだ。
今まで言ったことはなかった。

この広いグランドラインで、また会えたら。
そしたら俺たちの関係は、変わるのかな。わかんねえな。変わったら面白いと思うし、そうじゃなくても構わない。未来は未知数で、俺の、俺たちのこれからがどうなるかなんて、わからなくていい。

手を振って、それで。
それだけで、きっといい。

「よかったか?」

全部お見通しだって顔で、シャンクスが笑ってる。それにつられるみたいに、俺も笑った。




「――――なまえ?」

俺が置き去りにしたサボが、そんな風に俺の名前を呟いていたことも。
数年たって記憶を取り戻したらしいサボが、何故か俺を探していることも。

俺は一切知らずに、新しく拓けた未来に、胸を高鳴らせるばかりだった。



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