部誌9 | ナノ


昔の君と今の僕



「出陣要請に応える。内番をこなす。やる事やってくれれば、後の細かいことはどうこう言わないから。詳しいことは長谷部に聞いて」

この本丸の審神者は、顕現後の名乗りを終えた刀剣男士に対してそう声をかけ、顕現に立ち会わせていた近侍の長谷部に後を任せて席を立つのが常だった。
今回もそうなのだろうと長谷部は審神者の様子を伺っていたが、審神者は一言も発さず、ぴくりともその場から動く気配はなく、まじまじと顕現させた刀剣男士を見つめている。

「あぁ、ようやく会えた」

ほうと溜息をついた審神者に顕現したばかりの燭台切はきょとんとし、新参にいきなり近侍の座を奪われるのかと長谷部は身構えながら審神者を見た。

「うん。まぁ、とりあえず、後は長谷部に聞いて」

ややあってからふらりと立ち上がった審神者は、顔の上半分を隠す三毛猫の面に触れながら部屋を後にした。

「主と知り合いなのか?」
「いや、初対面だと思うけど…」

普段と違う審神者の様子に戸惑いながら尋ねる長谷部に燭台切は首を傾げるだけだった。



「なんか、お前だけ特別っていうか、扱い違うよなー」
「そうかな?」
「だよな。なんか態度が違うっつーか」
「堀川が和泉守に近いんじゃないか?」
「いや、それとは違うだろ」

燭台切を囲んで好き勝手言う刀剣男士達に、燭台切は苦笑いを返すだけだった。
自分は何もした覚えがないのに、審神者の自分に対する態度が、他の刀剣男士との態度と違うことは顕現してからのこの数日のうちに嫌という程実感していた。
刀剣男士として顕現する前の記憶を探っても、審神者と関わりがあったような記憶は一切ない。

「光忠、いるか?」
「あ、なまえ君」

ひょいと顔を覗かせた審神者の名を燭台切が呼べば、話の輪に加わっていなかった刀剣男士たちも燭台切と審神者を見た。
その様子に審神者はきょろりと広間を見回してから軽く三毛猫の面に触れ、気まずそうに頭を掻いた。

「……その、内番終わったら執務室に来てくれ」
「うん。わかったよ」
「えっと、じゃあ、あぁ、そうだ。長谷部、ちょっといいか」
「はい」

気まずそうな様子のまま長谷部を手招きした審神者はそのまま執務室へと足を向け、長谷部は部屋を出る前にじろりと燭台切を見て審神者のあとをついて行った。
燭台切は何がまずかったのか理解ができず、戸惑ったまま周囲を見回し、目があった面々は苦笑を浮かべたり、目をそらすのみで明確な答えはくれなかった。

「あーあ、長谷部、怒っちゃったかもね」
「怒ったっていうより、拗ねたの間違いだろ」
「おやおや。こっちでは山姥切もキノコ生える勢いで落ち込んでるね。お祓いでもしておくかい?」
「いやぁ、ここまでくると驚きを通り越す勢いだなぁ」

乱の一言を皮切りにわいわいと賑わいを戻し始めた室内に燭台切は戸惑った。
初期刀の山姥切はいつも以上に陰鬱な表情を浮かべ、山伏が笑いながら励まし、石切丸が御幣を振って笑っている。
乱を始めとした粟田口勢は冗談交じりにはしゃいでいる。
どうやら自分の言動に間違いがあったようだが、何が間違いなのか燭台切にはさっぱり見当がつかなかった。

「鶴さん、僕、なんかしたかな」
「なぁに。お前が主の名前を一番最初に呼んだからみんな驚いているだけさ」

眉尻を下げる燭台切に鶴丸はけたけたと笑い、鶴丸の答えに燭台切は目を丸くした。
てっきり、本丸の全員が主の名前を知り、主を名前で呼んでいるとばかり思っていたからだ。

「え、主のこと、みんな名前で呼んでないの…?」
「あぁ。知ってたとしても、呼ばせてはもらえてないなぁ」
「えぇー…」
「なぁ、光坊。どうやってこの数日であの主をそこまでたらし込んだんだ」
「何もしてないって。主から、『名前で呼んでくれ』って言われただけなのに…」
「へぇー。そりゃいいことを聞いた」
「なんなんだろう、ほんと…」

面白そうににたにたと笑う鶴丸の横で、燭台切は唸りながら頭を抱えることしかできなかった。



「最近、他の本丸では度々転送装置の誤作動が発生しているらしい」

その日、いつものように出陣や遠征に赴く刀剣男士たちに声をかけに来た審神者はそう付け加えた。

「もし転送に失敗し、別の時間に出てしまった場合は、渡した連絡用端末で本丸に救援要請を入れて欲しい。連絡を受け次第、救援を差し向ける手筈になっている。以上。では、気をつけて任務に当たるように」

審神者の言葉に各々が返事を返し、転送装置でもある門をくぐって出掛けていった。

「光忠、お前は特に気をつけろよ」
「……オーケー。心配しなくても、きっちり任務を果たしてくるよ」

門に足を向ける燭台切に審神者はそう声をかけ、疑問に思いながらも軽く答えた燭台切に審神者は小さく頷いた。
燭台切はむしろ、そんな審神者の後ろに控えて恨みのこもった視線を投げかけてくる長谷部の方が不安で仕方がなかった。

「じゃあ、行ってくるね」
「あぁ、行ってこい」

ウインクを一つ投げかけて門をくぐる燭台切に審神者は口の端を緩めながら手を振った。
その後ろで、長谷部は恨めしそうに奥歯を噛み締めるのみだった。



「……ねぇ。もしもーし。おにーさぁん」

ぺちぺちと軽く頬を叩かれる感触に燭台切はおもわず飛び跳ねるように身体を起こした。

「おはよぉ、おにーさん」
「……へ?」

身体を起こした勢いのまま腰に下げている本体に手を掛けた燭台切は、へらりと笑う相手に目を丸くした。
顔の上半分を隠すのは審神者が付けているものとよく似た三毛猫の面だが、その姿は青年と思しき姿の審神者とは違い、少女そのものといった風貌だった。
まだ二言ほどしか聞いていないが喋り方も審神者のそれとは異なるし、見た目も雰囲気も全く自分が知っている審神者とは異なるのだが、目の前の相手が審神者だと燭台切の本能が伝えていた。
それがどういうことかはさっぱり理解できなかったが、目の前の相手は審神者であるらしい。

「ええと、」
「おにーさぁん、どこからここまで来たの?突然落ちてくるからビックリしちゃった」

言葉を探す燭台切に少女はのんびりと笑い、ぺたぺたと興味津々といった様子で燭台切に触れた。
少女の言葉に燭台切は必死で記憶を手繰り寄せたが、審神者に送り出されて転送装置である門をくぐった所までは記憶にあるのだが、それ以降の記憶がさっぱりない。
という事は、送り出される前に審神者が言っていた転送装置の誤作動ということだろうか。

「いきなり申し訳ないけど、今は何年で、ここはどこかな?」
「うーんと、“なんねん”っていうのはわかんないけど、ここは湖の中だよ」
「へ?」

救援要請を出すためにはおおよその時間と場所が必要だろうと尋ねた燭台切の言葉に少女は首を傾げ、少女の返答に燭台切は思わず取り出した連絡用端末を取り落としそうになった。

「外とはあそこの扉からしか出入りできないのに、おにーさんが突然落ちてきたからビックリしちゃった」
「へ、へぇ…」

にこっと人懐っこく笑いながら言う少女の言葉に燭台切は戸惑いつつも、予定外の場所に転送されてしまった旨だけを記入した救援要請を送信した。

「おにーさん、の持ってるそれなぁに?それにわおにーさんの着ている服、初めて見るわ。不思議な形ね。でももっと不思議なことがあるわ」
「な、なんだい…?」

好奇心を隠さないでぐるぐると燭台切の周りを歩く少女はやがて燭台切の正面で止まり、にまりと口角を上げた。

「おにーさん、私の霊力で作られた…っていうか、私の霊力が込められているっていうか、なんか私に関係しているのよね?そんな感じがするわ」
「やっぱり、なまえ君、なんだね…?」

明るい口調で尋ねてくる少女に本能が間違ってないと悟り、燭台切は恐る恐るその名前を口にした。
が、少女はきょとんと不思議そうな反応を返すのみだった。

「それ、私の名前?私の名前、そんな感じだったかしら?もっと違った気がするけど…。…でも、おにーさんがそう言うならそうなのかしら?よくわかんないけど、今日から私の名前はなまえになるのね。うふふ」
「いや、名前が違うならなまえ君じゃないのかも…」
「でも、おにーさんは私の名前をなまえと思ってるんでしょう?それなら私の名前はなまえだわ。うん。そうなのよ」

戸惑う燭台切を他所に少女は楽しそうに笑みを浮かべ、うろうろと燭台切の周りを歩いた。

「ところで、ここが湖の中って、まさか…」
「本当に湖の中よ?」

燭台切が笑って冗談だと片付けようとした言葉に少女は首を横に振り、閉じられていた月見窓を開け放った。
その外は透明度の高い水のようで、けれども月見窓から水が入ってくることはなかった。

「正確に言うと、本当の湖の中というよりは神域っていう場所にあるみたいなんだけどね」
「へ、へぇ…」

ふふんと笑う少女に燭台切は頭がついてこず、曖昧に相槌を打つことしかできなかった。

「え、神域ってことはなまえ君は神様だったってこと…?」
「うーん。私は神様じゃないよ。今は」

なんとか拾った言葉に問いかければ少女はあっさりと首を横に振った。

「人々の願いが元で発生した何かと、その何かを神様だと信じて湖に捧げられた供物たちの魂の成れの果て、みたいな?だから、神様とはちょっと違うと思うの。もしかしたらこの先、神様になることもあるのかもしれないけど、ならないかもしれない。私は私でもあるし、俺でもあるし、僕でもあるし、誰でもないの。ちゃんとした名前もなかったの、貴方が呼んでくれるまでは」

堰を切ったよう溢れ出す少女の言葉を燭台切はぽかんとしながら聞き、何度か瞬きを繰り返した。
理解をしようとしても、理解が追いついてこない。
と、不意に屋敷の中が大量の鈴の音で満たされた。

「あー、ごめん。おにーさん、私ちょっと行ってくるね」
「行くって、どこに?」
「えーっと、悪者退治にちょっと外まで?」

月見窓から離れて近くにあった扉に入った少女は薙刀を片手に戻ってきた。

「僕もついて行っていいかな?」
「自分の身は自分で守れるならいいけど」
「それについては問題ないよ」
「じゃあ、いいよ。こっち」

立ち上がって服装を整える燭台切に少女は首を傾げてから一つの扉の前に立った。

「ここは外に繋がってるの」
「へぇ」
「外に出たら、嫌な感じのするものを見つけて倒して」
「オーケー。任せといて」

少女の言葉に燭台切が笑みを返せば、少女は頷いて扉を開け放った。
少女の言葉の通り、扉の先は水の中ではなく森の中で、強い風が吹いている。

「あんまり離れないでね。帰れなくなるかも」
「わかったよ」

少女についていって出た先は、嫌な風が吹いている。
それは、歴史修正主義者と戦う戦場の空気によく似ていた。

「今日は鎧武者かっ」

迷いなく森を駆け抜けていく少女の舌打ち交じりの言葉に視線を向けると、ソレは戦場で見かける歴史修正主義者たちによく似ていた。と言うよりも、そのものだった。

「でやあぁあぁあぁ!」

薙刀を手に勇ましく突っ込んで行く少女から目を離さないようにしながら、他の敵に燭台切も立ち向かう。
やはり、倒していくときの感触も何もかも、歴史修正主義者たちによく似ていた。

「おにーさん、なかなかやるねっ」
「普段からこういうのと戦っているからね…」
「へぇ。すごいね」
「それを言うなら君もね」
「まぁ、お仕事ですから」

確認できた敵をすべて斬り伏せた二人は軽く息を上げながら互いを見合い、少女は軽く咳をしてからとんとんと薙刀の石突で地面を軽く叩いた。
すると外に出た時とよく似た扉が目の前に現れ、少女はその扉を開けた。

「帰りはここからね」
「なんか、本丸の仕組みに少し似てるなぁ」
「本丸って、いつもおにーさんがいるところ?」
「うん」

少女の後に続きながら燭台切は頷いた。

「そこに、私はいるの?」
「うん。なまえ君が君なら、本丸に君はいるよ」
「ここじゃない、どこかにいる、私…」

振り返らずに尋ねる少女に燭台切は肯定を返し、少女は少しだけ歩みを止めた。

「そこには、私とおにーさんだけなの?」
「ううん。他にもいっぱいいるよ」
「へぇ。すごいなぁ」

振り返って燭台切を見上げた少女に燭台切が笑いかければ、少女は口元をほころばせた。

「あ、そうだ。おにーさんの名前を教えて」
「……僕の名前は燭台切光忠、だよ」
「長いねぇ」
「光忠でいいよ」
「ん。光忠、ね。私のことは、なまえ君って呼んでいいよ」
「女の子なのに君付けでいいの?」
「いいよ。なんか、その方がいいの」
「わかったよ、なまえ君」

そうして、燭台切となまえの日々は始まった。

ある日はなまえが、供物たちがこの屋敷に来る時に持っていた道具を収めている部屋を案内し、一つ一つどういうものかを説明した。
ある日は光忠が作るお菓子に興味を持ったなまえに、光忠がレシピを披露した。
ある日は文字が読めないというなまえに光忠が読み書きを教えた。
ある日は。ある日は。ある日は。
そうして何日もが過ぎていった。

そして、ある日、光忠の連絡用端末に外を繋げる扉と本丸の門を繋げる用意が出来たとの知らせが入った。
準備が出来たらすぐに返事をくれ、との言葉が添えられて。

「あのね、なまえ君」
「帰るのね」
「うん。そうなんだ」

数日言葉少なになっていた少女は、光忠が声を掛けるとにこりと笑った。

「時々扉が変な感じするからね、そろそろ光忠帰っちゃうのかなって思ってたんだ」
「そっか…」
「帰れてよかったね、光忠」

そう言って少女は口元に笑みを浮かべたが、三毛猫の面の下からは涙が溢れ出して頬を伝い落ちていった。

「帰れるのって羨ましいね。一人ぼっちじゃないのって羨ましいね。みんなで戦えるのって羨ましいね。誰かと食べるご飯って美味しいね。誰かとお話しするのって楽しいね。誰かに名前を呼んでもらえるのって、嬉しいね」
「そうだね」

ぎゅうと光忠の服を握りしめて言う少女に光忠は頷いて、そっとその髪を撫でた。

「でもね、大丈夫だよ。いつか私は一人じゃなくなるんだね。いつか私は誰かと戦えるのね。いつか私はいっぱいの人とご飯を食べるのね。いつか私はいっぱいの人とお話できるのね。いつか私はいっぱいの人に名前を呼んでもらえるのね。それなら平気よ。それまで私は、僕は、俺は、平気よ。頑張れるわ。この場所を、人を、時間を、未来を、私は、僕は、俺は、負けずに立ち向かえるわ」
「……」

ゆっくりと深呼吸をした少女は涙を拭って燭台切に笑いかけた。

「ねぇ、だから、本丸に戻ったら、私の名前を呼んでね。私のことを褒めてね。私、光忠に褒めてもらえるように頑張るんだから。光忠に名前をまだ読んでもらえるように頑張るんだから」
「うん。約束するよ。帰ったら、たくさん褒めてあげる。帰ったら、たくさん名前を呼んであげる。だから、君も、いつか僕の名前を呼んでね。僕のことを見つけてね」

二人は互いの手を握りしめ、祈るようにその手を額に当てた。

「うん。じゃあ、僕は行くよ」

連絡用端末に帰る準備が出来たと連絡を入れれば、扉と門を繋げたと即座に返信があった。
それを見つめた光忠に少女は小さく頷き、そっと光忠から離れた。

「いってらっしゃい、光忠」
「行ってきます、なまえ君」

にこりと二人は笑みを交わし、燭台切はそっと扉を開けて、一歩を踏み出した。
扉の先はいつもの森と違い、光の渦の中。いつもの転送時に見る光景と同じだった。
もう一歩踏み出せば、そこは見慣れた本丸の中。
光忠の目の前には、審神者が立っていた。

「おかえり、光忠」
「ただいま、なまえ君」

ややそっけない口調の審神者に燭台切が微笑めば審神者は小さく頷き、軽く光忠の服を引っ張った。

「覚えてるか」
「うん。覚えてるよ」

審神者の言葉に燭台切は頷き、もう一度頷いた審神者は振り返って歩き出した。

「長谷部!」
「はっ」
「今日は一日休みとする。皆にも光忠は無事に戻ったと伝えてくれ。頼んだぞ」
「主命とあらば」

審神者の呼びかけに長谷部は即座に現れ、にこりと微笑み、ちらりと燭台切を睨んでから、離れた場所で様子を伺う刀剣男士たちの元へと歩いて行った。

「光忠は、こっち」

普段は刀剣男士が立ち入ることのできない審神者専用の棟に審神者は燭台切を連れて行き、自室に燭台切を招き入れた。
その部屋はいつか燭台切に少女が見せた供物たちの私物が並んでいた。

「うん。やっぱり、なまえ君だったんだね」
「あぁ、そうだ」

燭台切の言葉に審神者は小さく頷いた。

「私が俺になっても、僕になっても、私になっても、どうなっても、光忠との約束があったから平気だったんだ」
「うん。すごいね。やっぱりなまえ君はすごいよ。格好いいよ」

審神者は震えながら燭台切にすがった。
そんな審神者をしゃがんで抱きとめて、燭台切は優しくその背を撫でた。

「ずっと怖かったんだ。ここに来ても、みんながいても、お前がいない。お前が来ない。それが、怖かった」
「うん。遅くなってごめんね」
「いい。いるから、許す」
「なまえ君、本当に君はすごいよ。格好いいよ。なまえ君、本当に、すごいよ」

じわじわと涙に濡れていく自分の肩も気にせず燭台切は審神者の背を撫でた。

「これまで頑張ってくれてありがとう。僕を待っていてくれてありがとう。僕と出会ってくれてありがとう。なまえ君、本当に、ありがとう」
「光忠、光忠」
「うん。なまえ君、僕はここだからね」

泣き続ける審神者の名を燭台切は呼び続け、審神者が泣き疲れて眠っても、燭台切はその名前を呼び続けた。



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