部誌9 | ナノ


昔の君と今の僕



「だーれだ?」
威勢のいい掛け声とともに、視界が奪われる。セルエルは手にしていた紅茶のカップが傾いて居ないか、少しだけ気にしながら、嘆息した。
声は、斜め後ろから聞こえる。これは青い髪の毛をした少女、ルリアのものだ。彼女はエルステ帝国に追われる身で、複雑な出自をしている、とグランから聞いたが、声からわかる彼女はとても溌剌としていて話に聞くような暗さを伺わせない。
そうした気楽さはセルエルにとっては羨ましいものでもあったが、そのことをグランに話したことはない。もし、それを口にすれば彼がどんな表情で落胆するか、想像がついた。
そして、セルエルの視界を奪う手は、少し小柄ではあるものの、剣を握る人間の手だった。よく鍛錬がされている武人の手。その手を、セルエルはよく知っている。この手に触れられることは、嫌いではない。
微かに匂う、薬品の匂い。セルエルは今日の討伐は一緒に行かなかったので、詳しくはわからなかったが、怪我をしたのかもしれない。騎空団として信頼があつくなった近頃は、この手の主であり、騎空団の団長であるグランが請け負う仕事は少しづつ、危険を伴うものへと変わって行っている。それをこなせるからこその、信頼ゆえのことであったが、おかげでグランからは薬品の匂いがたえることはない。
武人としての彼にはその傷は誉れであろうと、そう、思ってはいたが、セルエルはどうにもこの匂いを嗅ぐたびに落ち着かない気分になる。
こんな子供っぽいお遊びをしているくらいなら、怪我をしないだけの鍛錬をしてほしい。そう思いながら、セルエルは、彼の名前を呼んだ。
「……グラン」
「あたりです!」
嬉しそうなルリアの声とともに、視界が帰ってくる。紅茶はこぼれていなかった。ゆっくりとそのカップをセルエルはソーサーに戻し、テーブルに置いた。
年季の入ったテーブルはこのグランサイファーにずっと昔からあったものらしい。聞いてみれば、覇空
戦争のころに作られたと、そう聞いた。
他の誰かがこの話をしたならば、眉唾ものだとセルエルは鼻で笑ったかもしれないが、グランの身の回りに起こることをみていれば、それを嘘だとはセルエルは思えなかった。もしかして、ディアドラのことも関係があるのかもしれない。
グランがセルエルにみせるものはアイルスト王国が滅ぼされずに、国から出ることがなければ、絶対に見ることも知ることもなかっただろうことばかりだった。
それはさておき、と振り返ったセルエルは、説教をする構えをとる。
「……あまり、こういった子供っぽい真似はしないでいただきたい、」
セルエルは、言いかけた言葉をとめた。少しばかり不機嫌そうな声が表に出たのだろう、呆けたような顔をするグランの斜め後ろで、ルリアが不安そうな顔をしている。さらにその後ろに控えた小さなドラゴンが、耳(おそらく耳だろう)を下げた。
「……だから言っただろ、セルエルはこういうの好きじゃないって」
ビィが言う。ビィのほうがグランよりも、セルエルのことを正確に把握しているようだ、と少しだけ落胆する自分が居て、それ以上にセルエルはグランの顔を見て困惑した。
彼は、子供なのだ。
いくら腕が立って、どれだけの運命を背負おうと、グランという人間は、未だ子供だった。
困ったように眉を下げたグランは、説教を途中でとめてしまったセルエルの顔を覗き込んで首をかしげる。
「……ごめん、セルエル」
「いえ」
短く、セルエルは否定の言葉を発する。謝罪を受け入れないほどに怒っているととったのか、グランは少し焦っているようだった。
「私が間違っていたようです。グラン、貴方はまだ子供でしたね」
そう言いながらセルエルは柔らかく見えるように笑ってみせた。すこしばかり、グランから見える自分の印象を気にしてのことだったが、笑顔をみてほっとしたのはルリアだけだった。グランはむっとして頬をふくらませる。それが、かわいいとセルエルは思う。子供っぽい仕草だからかわいいのではないと、セルエルは自覚していた。グランが見せる表情だから、かわいい。だから、セルエルはグランが子供だという簡単な事実を忘れてしまう。
それに不満がある様子のグランは、ぱかっと口を開けて抗議をする。
「セルエルにはじめて会った時に比べると、ちょっとは大きくなったんだよ?」
グランはそう言いながら手のひらを額の位置にかざす。身長が伸びたとグランは言いたいらしい。グランのはじめてあったころ、という言葉にセルエルはそうだっただろうか、と記憶を辿って、そして断念した。
「……覚えていませんね」
「えっ、」
本気でショックを受けたような顔をするグランにセルエルは少しだけ申し訳なくなる。はじめのころ、セルエルはグランのことをよく見ていなかった。力量を確かめてやろうだとか、斜に構えた気持ちでは見ていたものの、彼を人間として見ていなかったようにセルエルは思う。
そして、それを今のセルエルは少し、惜しいと思う。
彼が大きくなったのなら、それを知りたかった、とそう思う自分の変化がセルエルには信じがたい。
「……まだ成長期でしたよね」
セルエルはグランにそう確認をする。グラン少し不思議そうな顔をして自分の身長を確かめるがごとく、頭上を見上げる。目視では自分の頭頂部は見れるはずがないのだが、そんな仕草もかわいい。
「多分」
グランが頷いたのを確認して、セルエルは「なら、」と今度こそ心のそこから笑う。
「これからの成長は、きちんと見ておいてあげますよ」
グランが笑う。太陽のように明るく笑う。その笑顔が眩しいと、セルエルは目を細めた。



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