部誌9 | ナノ


うそつき



 彼は何の前触れもなく、ふらりとおれの前に現れた。
 おれのアルバイト先は違法ぎりぎりのカジノバーで、経営会社のその上まで遡ったら暴力団(つまりはヤクザだ)の名前が出ていて一発アウトの、お天道様に顔向けできないような店である。入店は会員制で、新規の客は会員の誰かと来店するか、もしくは信頼できる筋から紹介されなければならない。
 だから、初めて見る顔の男が一人きりでふらりとやってきたときには、「おや」と思ったのだ。
 綺麗な顔の男だった。すらりと細身で、少し垂れた目元が甘い色香を漂わせるベビーフェイス。仄かな橙の照明に視界を頼るような薄暗い店内では確かなことはわからないが、かなり色の薄い髪の毛がさらりと揺れている。ブリーチを繰り返して痛みきったおれの髪とは全然違う、天然か、もしくはお手入れに滅茶苦茶金をかけているか。店に入ったところで主任と何事か話していた彼は、主任が一礼して立ち去ったあと、賭場を一瞥したのみでまっすぐバーカウンターにやってきた。ボーイであるおれの持ち場。不躾にも彼をじろじろ眺めていたおれは、目の前のスツールに腰掛けた男ににこりと微笑まれて、苦笑うしかなかった。
 と、同時に、おれは男への警戒を強める。わざわざ酒だけを求めてここに来るやつなんておらず、では何故彼は他に気を取られることもなくおれの前にやってきたのか。
「いらっしゃいませ」
「バーボンをロックで」
「銘柄はいかがいたします?」
 尋ねれば、男は一瞬間を置いてどこかに目をやったあと、にこやかに「じゃあ、ブラントン」と答えた。彼の視線を追ったおれは、ああ、と納得した。そういえば、カウンター内の棚にブラントンのボトルキャップを並べて置いていたのだ。競馬の様子を模したボトルキャップは、最後のSだけが揃っておらず、7個が並んでいる。
 グラスを用意しながら、おれはカウンターの下に作られた、小さな隠し戸をちらりと確認した。おれの他に、店長と副店長しか存在を知らない扉は、酒瓶に隠されてひっそりと息を潜めている。
 おれの一挙手一投足が観察されている心地だった。男からの視線を不自然でない程度に無視しながら、冷えたグラスを差し出した。丸氷に反射した照明が、キラリと光る。
「ありがとう」
 律儀に礼を言って、彼はバーボンに口を付けた。その様子はこういった場に慣れているようで、もしかするとおれが思っているより彼はずっと年嵩なのかもしれない。柔和な風貌が、年齢を曖昧にする。おれは謎めいた雰囲気から目が離せなかった。警戒はより強まる、けど、それより彼への興味が強い。
 一口、ゆっくりと、丹念に味わった彼は、静かにグラスを置いた。からん、と氷がグラスにぶつかる澄んだ音が響く。主任がおれたちを見張っているのも気にならない。彼が目を細めて怪しく笑うから、おれも営業用の笑みを貼り付けた。本心を見せることは弱みを晒すことだと散々学んできたおれにとって、感情と表情は全く別のもの。
「さて、」
 男が口を開く。思っていたより、すこし高い声。けれども耳に良く馴染む。
「僕はあなたに会いに来ました」
 囁き声は、人の話し声とBGMが低くさざめく店内で、おれと男の二人にしか共有されなかった。チェイサーを差し出しながら、おれは肩を竦めた。
「うん。そうかなって思ってました」

 おれの職場の売り上げは、表向き(表と言うのもおかしい気がするが)には賭博とバーでの収益のみだったが、もう一つ、知る人ぞ知る目玉商品があった。一握りの客しか知らないそれは、違法ドラッグのたぐい。そしておれはあの店でその売買を統括する責任者だ。普段はただのアルバイトとして扱われていて、おれの本当の立場を知るのは、職場内では店長だけ。大元の暴力団組織から重宝されているおれの立場は、店長と同等かそれ以上のはずだ。
 けれどもそれはトップシークレット。ほんの一部の人間しかしらないはずの情報で、だからこそ迷いなくおれを狙い射てきた彼に強い関心を持った。
 日付が変わっておれのシフトが明けた深夜3時に、おれとその男は、店の最寄り駅から2駅離れた場所のファミレスで待ち合わせた。カラオケ明けの若者グループや、テーブルで仮眠を取っている男がちらほら見える店内で、ボックス席に向かい合ったおれは、安室と名乗った男の話を聞いている。
「君の知っている麻薬の密売ルート、それを買い取りたい」
「初対面のあんたに教えろって? いやいや、無理でしょ」
 ドリンクバーのまずいコーヒーを啜りながら、おれは安室さんの申し出を一笑に付した。
「そんなことしたら、親父さんに殺されちゃう。おれが」
「そこは心配ありません。僕の仲間がそちらに交渉を始めています。悪くない対価も用意している、賢い人間なら断るはずがない」
「自信満々だね。そこまで突っ込んでるなら、わざわざおれに近づく必要ないんじゃない?」
 テーブルに頬杖をついて、牽制の意味を込めてにっこり笑ってみせる。
 安室さんも安室さんで、穏やかな口元と対照的に、青い瞳には酷薄な色が映っている。
「そうですね。たかだかヤクザ一つに接触するために、僕が出てくるわけはない。さっき言ったでしょう。?君の知っている密売ルート?を、と」
「それは、どういうことかな?」
 言葉の意味がわからないなあ、と首を傾げて嘯いた。彼の言い方ではまるで、ボスの知っているルート以外を、おれが知っているみたいではないか。
 確かにおれは、親父さんも知らない密売ルートを多数手中に収めている。その規模は、おそらく東京中の販路を網羅するだろう。確かめたことはないけど、それくらいすごい。いくら親父さんがおれに目をかけてくれていると言っても、この秘密が知れた日にはおれの人生が終わるだろう。
 腹を探り合う応酬は、おれが注文したデミグラスソースのかかったオムライスで中断された。食べても? と聞けば、「どうぞ」と頷かれる。
「こんな時間に、よくそんなものが食べられますね」
「まあ、若いので」
「いくつ?」
「うーん、書類上は21歳。実際は……じゅう……じゅうなんさいだったかな?」
 真実を答える気は無いと、おれは挑戦的に笑って見せた。手厳しい、と苦笑した安室さんに、おれはベェと小さく舌を出した。
 おれたちの間には信頼が足りないのだ。本当のことが知りたければ、もっとお互いをよく知らなければならない。



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