部誌9 | ナノ


ボタンのかけ間違いは一生続く



『律音、そんな顔をするな。眠っていたお前を目覚めさせたのは俺だから、きちんと責任を取る。だから、眠ればいい。俺は、お前と共に』

そう言って笑った男は、次に律音が目を覚ました時にはどこにも居なかった。

休眠期に入ると何があっても、律音は自分の意思で目覚めることができない。
けれど、あの男は別だった。
あの男ならば、どんな時であっても律音を目覚めさせることができた。
その権利を、あの男は有していた。
それができるだけの理由を、あの男は有していた。

「どこだ、ここは」

ぽっかりと目を覚ました律音はゆっくりと体を起こし、ぐるりと辺りを見回した。
寝る前の記憶は確かにあの男の部屋だったはずだと、寝かせられていたケースの中から出る。
そのケースは棺にも似た形をして、透明なガラスのような素材でできていた。
ケースやそれが置いてある部屋に積もった埃の厚さから察するに、そのケースが閉じられ、この部屋に置かれてからしばらくの時間が経っていることは明白だった。

「信明。どこだ、信明」

男の名前を呼んでも部屋はしんと静まり返り、吐き出した言葉は埃の上にそっと積もった。

「こんな所に僕を置き去りにするだなんて、とんだペテン師だ」

愚痴ってはみても虚しさが増えただけで、律音は軽く頭を振った。
ケースの寄りかかるのをやめ、すぐ近くにあった窓から外を見れば、そこから見えるのは手入れの行き届いた庭。
それならばこの部屋から出れば何かしら手掛かりがあるだろうと考えれば、入り口のドアの鍵が開けられる音がした。

「配属早々最初の仕事が部屋の掃除ってどういうことだよ…」

そうぼやきながら入ってきた男の顔は、よく知った顔だった。

「信明!」
「……は?誰だあんた。どこから入った。ここは鍵が掛かっていただろう」

思わず叫んだその名に男は顔をしかめ、じろりと律音を見下ろした。
ちゃりちゃりと手の中の鍵を鳴らし、拗ねたように唇を尖らせるのは、あの男の見知った癖だ。

「誰だ、あんた」

じろりと律音を睨むように見つめる男の言葉に、律音はギリと奥歯を噛んだ。

「俺はここに“武器”を取りに来たんだ。間違えてここに来たのなら、どこかに行ってくれ」
「武器、だって…?」

男の言葉に、思わず乾いた笑いが漏れた。
その言葉を男が言うだなんて、律音は聞きたくなかった。認めたくなかった。
他に何もないこの部屋で、その言葉を指し示すのは律音しかなかった上に、律音もそうだと理解していた。

「僕を、武器だというのか。他でもない、お前が」
「おい…」
「何とか言え、信明ッ!!」

思わず震える声に男は顔をしかめ、耐えきれずに律音は激昂した。
そんな律音に男は迷惑そうにため息をつき、ぐるりと室内を見回した。
相変わらず室内にあるのは律音と律音が寝ていたケースのみ。
大股に男は律音に近付くと乱暴にその上衣をはだけさせ、盛大に舌打ちを一つ。

「俺は、俺の武器を取ってこいと言われた。ここにお前しか居ないのなら、お前が俺の武器なんだろう。律音」

男の声はどこまでも冷たく、律音の心を打ち砕いた。

「あぁ、そうか。それならばそうなのだろう。勝手に僕を使うといい」

震える声で律音は言い、その男の最期まで、全てを閉ざしてしまった。




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