部誌9 | ナノ


うそつき



 時折思い出したかのように蝋燭の灯火が空気の振動によって僅かに揺らめく。
 四隅の蝋燭だけで照らされる和室。襖に象られた影は灯火によって形を変えた。
 まるで化け物のようだ、とカレンは朦朧とする意識の中で思い浮かべる。ビョウフを覆い尽くそうとする影の主は思いの外体の線が細く、自分を見下ろす瞳は眼鏡の逆行によって色を捉えずにいる。だというのに、カレンの体に触れる手は壊れ物を扱うような、繊細な手つきだ。
 指先一本、体の型を象ろうとゆっくりとなぞっていく。布越しだというのに、肌に直接触れられた感覚にカレンの体が悪寒で震える。そのたびに、自分の体を縛る老竹色の縄が擦れ、カレンに甘やかな痺れを与えた。

(艶子さん)

 この身だけではなく、心まで縛りつけた相手の名を呼ぶ。姿が捉えられなくても、この部屋にいる。それを考えるだけで内側から熱がくすぶった。
 その追い打ちをかけるように、カレンに触れる指が縄と布の境目を辿る。喉からこぼれそうになる声を必死に抑え込む。一度でも声を上げてしまえば、この空気を壊すのを重々理解していた。
 だからこそ、カレンは耐えた。耐えるこそがカレンの矜持であった。

 カレンに触れるのは男が何者なのかカレンは知らない。
 それでもカレンがこの依頼を受けたのは他でもない艶子の頼みだったからだ。
 人に連れられて見に行った緊縛ショー、縄師として舞台に立った艶子はその艶やかな容貌にふさわしい緊縛を作り上げ、カレンはひと目見て心奪われた。芸術のような緊縛を作る艶子。自身の仕事に誇りを持つ彼女に心惹かれない者はいない。そしてカレンもまた、ほかの観客同様に思った。観客はなく、艶子に縛られる人形になりたいと。
 その夢はすぐに叶った。何度か足を運び、顔を覚えられた艶子からの突然の依頼を断るなんて毛頭なく、喜んで引き受けた。
 ある画家のモデルになってほしい、と顔を合わせた画家は思いの外若い男だった。
 身なりの整っていない格好、ぼさぼさに乱れた髪、眼鏡によって捉えづらい無愛想な表情、どれもがカレンの勘に障る。
 艶子はそんな彼を『先生』と呼んだ。『先生』は艶子を名で返す。艶と甘さを含んだ艶子の声に対し、何も抱いていない『先生』の声色。それだけで、艶子が『先生』への情がなんなのかすぐに理解してしまう。
 来なければよかった、有頂天だった気分が一気に地獄へと突き落とされた。


 どこか違う場所に飛ばされた意識が少しずつ戻っていく。混濁の状態から抜けきれない意識で視線がさまよう。ここがどこなのか、一瞬把握出来ず部屋中を見渡す。そうして視界に入ってきた人物を捉えた。

(つやこさん)

 口が無意識に動くも、声にはならず吐息しか吐き出せない。吐息だけでは艶子は到底気づくはずがなく、艶子は下を向いたまま。体の芯から溶けきったような高揚感が抜けきらず、指先一本さえ動かせない。それでもなんとか瞳孔だけを動かす。
 顔を伏せた艶子の手には、先ほどカレンの体を縛り付けた老竹色の縄。艶子はそれを指で撫でていた。何度も何度も、『誰か』に重ねるように縄へと愛撫する。愛撫、そう艶子の意識はここにはない。もうこの部屋から去った彼の人だけに思いを馳せる。
 艶子の口元には僅かに笑みが宿っていた。しかし、瞳は悲しみで揺れている。矛盾した微笑はあまりにも美しく、心の臓が激しい痛みを襲うほど悲しく、そしてその表情をさせる彼の人が憎くて仕方がない。
 
(つやこさん、つやこさん、こっちをむいて)

 あなたを見ようとしない男ではなく、あなただけを見てる私を見て。
 言葉が浮かぶも脳は喉には指令を送らず、泡沫となって消えていく。けれど脳が送ったのは喉ではなく、僅かに動いた指先であった。かさりと着物が擦れる音によって艶子は我に返ってこちらへ視線を向けた。やっと自分に意識を向けたくれたことに泣きたくなるほどの喜びに打ち震える。

「ああよかった、やっと戻ってこれた」
「はい……あの、『せんせい』は?」

 この場にいない人物の所在を尋ねると安堵の表情が再び苦笑へと変わる。

「お帰りになられたわ、今日は筆が乗らなかったみたい」

 せっかく来てくれたのにごめんなさいね、と労るようにカレンの髪を優しく梳く。艶子に触れられて胸が高鳴る。だが、艶子を触れながら片方の手は未だ縄を掴んだままであった。まだ彼女の中から『先生』が消えていないのだと気づかされて落胆を覚える。

「つやこさん」
「なぁに?」
「せんせいって、いつもああなんですか?」

 言葉が色々と抜けてはいたが艶子はそれをちゃんとくみ取ってくれた。

「ええそうよ、カレンちゃんも驚いたわよね」
「はい……なんていうか、へんなひとですね」
「ふふっ、そうね。今までも会った人の中であんなに変わった人はいないわ」

 だけど、と言葉と共に髪を梳く手が止まる。

「私の縛りを芸術といってくれるの」

 艶やかな唇が弧を描く。頬はほんのりと赤く染まり、細めた瞳は少し潤んでいる。恋する乙女、いまの艶子はまさにそれだった。
 それがカレンを絶望へと叩き落としたことに気づかない艶子に最早恨みさえ抱かせる。
 だが、カレンの絶望はそれだけが理由ではなかった。

(うそつき)

 心の中で艶子を詰る。誇りだと口にしておきながら、カレンを見つめる艶子の瞳は憧憬の色が宿っていることに気づかないと思っているのか。
 艶子はカレンを羨んでいるのだ。『先生』に触れられるのがカレンではなく、自分ならいいのにと妬んでいる。まだ離さぬ縄を掴む手に力が籠もっているのを、気づいていないと信じる艶子を笑い飛ばしてやりたくなる。
 彼の人を一途に恋い慕う無垢な乙女の顔を見せながら、その内側はどろどろと愛憎に揺れる女だった。
 そんな艶子に対してあの画家にその気がないのは一目瞭然なのに、艶子は健気に尽くす。
 そんな艶子を哀れで、愛おしくて仕方がない。

「もう少ししたら脱がしてあげるわ、そのままじゃ苦しいでしょう」

 再び髪を撫でるのを再開させた手の心地よさに目を瞑る。
 二人しかいないこの部屋がずっと続けばいいのに、叶わぬ願いと知りながらも思わずにはいられなかった。



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