部誌9 | ナノ


うそつき



 あれ俺の恋人こんなに不細工だったっけ?
 そう思いながら久方ぶりに己の足で立ち歩いて恋人の家の扉をノックしたゴールデンライアン、もとい、ライアン・ゴールドスミスは首を傾げた。


――うそつき――


 お気に入りのブランド店で衝動買いしたフレンチグレイのパーカーが、じっとりと濡れて眼下で濃い色に染まっていく。
 とりあえず玄関先で聞かせていい声ではないだろう大声で、嗚咽というには濁音の多すぎる絶叫を上げて胸に正面から齧りついてきた恋人を、ぐいぐいと玄関の内側へと押し返す。
 背後で扉が閉まる音を確認する前に、がっちりと胴に回った腕の力が強くなる。
 Hay――なんて軽い朝の挨拶みたいに開いた扉の先で手を上げると、見慣れた恋人の面差しが零れんばかりに瞳を見開いた後、ぐしゃりと盛大に崩れた。
 泣かれるだろうとは思っていたが余りの勢いに正直ライアンはちょっと引いた。
 何せ数週間前まで病院のベッドの上で意識不明の重体だったのだ。
 ヒーローとして救出活動に参加した、地震で瓦礫の山と化した山岳地帯に添うように聳え立った街の中で、柄にもなく子供を庇ってその身に大量の落石を受けた。
 岩に埋もれた二人が救出されたのは事故が起きてから優に2日を過ぎており、子供の怪我は身を挺して守っただけに軽傷で済んだ事は素直に良かったと思う。
 しかし打ち所の悪かったライアンは医療設備の整っていない地元の病院に運び込まれ、出来うる限りの応急処置を受けた後、もっと高度な医療が受けられる最寄りの大きな街まで駆けつけたヘリで運ばれる程の重傷であった。
 全ての事の顛末を聞いたのは、幾度目かの手術を繰り返し終えたベッドの上であったのだ。
 意識が暗転したと思ったらアッと言う間に数週間が経っていた、なんてお伽噺の中だけかと思ったらそうでもなかったらしい。
 病室に備え付けられたテレビを見上げれば、己が生死の境を彷徨いヒーロー活動どころか命も危ないと空吹くゴシップニュースが延々と流れている。
 そんな時、何よりも真っ先に思い出したのが、今、腕の中に居るなまえの事であった。
 ちょうど付き合い始めて一年、割と波乱万丈な出会いを経て己から告白したその日を忘れるはずもない。早々に仕事を済ませてその日は何がなんでも休日をもぎ取ってくるから空けておいてくれなんて、どの口で言ったのだろうか。
 予定日はとっくの昔に過ぎ去って、リハビリもそこそこにやっと駆けつけられたのは二週間も経った後だった。
 そう言えば連絡するの忘れてた。と久し振りの星の街に降り立った瞬間に思い出したライアンは、今更素っ気ない携帯の液晶に熱烈な愛を込めた生存報告をするよりは、サプライズも兼ねて直接本人に会おうと結局はメールのひとつも入れずになまえの家を訪れたのだ。
 そしてその結果が、これである。
 想像以上の大号泣だ。ナイアガラと揶揄したらマジで怒られそう、と思いながらしゃくりあげて激しく震える肩をライアンは手持無沙汰にそっと撫でた。
 己にしてみれば命を張った稼業とはいえ基本的に無理はしないし出来ると思った事しかしない、何事も命あっての物種で熱い正義感を振りかざして危険に飛び込むのは柄じゃない。
 それでも性質上、命の危険は付きまとう。それは重々承知だ。
 そうだ、己は覚悟などとうに出来ている。
 でもなまえは?触れた手の下で泣き声が強く肩を震わせている体に、不意に心が曇る。
 なまえは美術館の事務員だ。そうただの事務員。
 朝起きて顔を洗い歯を磨き、朝食を食べて駅前の売店でコーヒーを買い通勤の電車の中で携帯を弄りながらそれを飲み干して仕事先に着く。
 仕事が終われば適当な店で外食を済ませて電車に乗り家に帰る、服を脱いで風呂に入りラフな部屋着に着替えたら、疲れた日は酒のひとつも飲んでテレビを見ながら転寝なんかもするだろうか。
 毎日そんな、なんでもない日をきっと繰り返している。
 そんな日々に突然、恋人が死にかけているなんて話が飛び込んで来たらどうだろうか。
 朝何気なくつけたテレビのニュースで、最寄駅に向かうまでの電気屋に並んだテレビで、駅の売店の新聞で、仕事先の休憩室のテレビで、行き交う人の話題の中で。
 今まさに遠い異国で、おやすみ愛してるとつい数日前に電話越しでも言葉を交わしたはずの恋人が死ぬかもしれないと、世界中が囃したて我先にとガセかも分からない情報に飛びついて大声で宣伝して回っていたとしたら。
 彼の日常はどうなっただろうか。
 そこまで考えてライアンはなまえの体を噛み締めるように強く抱き締めた。
 怯えたように腕の中の体は、より一層強く震えて抱き返してくる。
 食いしばった歯の隙間から唸る様に漏れる嗚咽が胸を叩くように響いて、ライアンは包帯の巻かれた額に深く皺を刻む。
 咎めるような低い唸りに混じって、なじるというには悲壮さにまみれた泣き声が耳を撫でた。

 ――うそつき――
 
「――ん」

 否定できる言葉もなくて慰めと謝罪を込めて小さく返事をすると、厚手のパーカー越しにも強く皮膚を掻くように背中に回された手が深く抱き締めようと布地を掻き毟ってくる。
 堪えるように低かった泣き声が、腕の中でまるで薄い膜が割れたように甲高く響き、しゃくりあげ泣き喚いて縋りつく熱い体に鼻先を埋めて、深く深呼吸をする。

 あぁ――生きて帰ってきたのか。

 己の事であるはずなのにどこか現実味のなかった数日間の重みが、抱き締めた愛しさと共に胸を強く締め付けた。



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