部誌9 | ナノ


最愛、在れ



運命なんかくそくらえ。
それは常に桔梗が抱えている思いだった。

オメガである桔梗は、地元では名の知れたアルファの資産家の三番目として生を受けた。
そんな桔梗を両親は他の兄弟と大きく区別をつけることなく育てたが、勉強もスポーツも兄弟より多少できる桔梗に、「お前がアルファだったなら…」と何度となく繰り返し、兄弟からは「オメガのくせに」と何度となく詰られた。
オメガに産んでくれと頼んだつもりも、アルファになりたいと思ってもいない桔梗はその度に、周りの言う運命とやらに顔をしかめた。
そんなことを繰り返しているうちに桔梗は努力することをやめ、兄弟の中でも一番劣っているように振る舞った。



「お前さんは器用なくせに不器用なんだなぁ」

庭師の師匠は桔梗にそう言って笑った。
どう返したものかと言葉を探す桔梗の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
師匠の弟子にはアルファも、オメガも、ベータもいた。
そして、師匠が区別するのは本人の向き不向きぐらいで、そんな場所もあるのかと桔梗は驚いた。

「お前さんが何であれ、ここに居りゃあいいさ」
「ありがとうございます」

ぎこちなく頭をさげる桔梗に師匠はもう一度笑った。

「運命なんか神の味噌汁だからな」
「なんですか、それ」
「俺の好きな本にそうか言ってあったんだよ」
「そうですか」

けたけたと笑う師匠を見つめ、神様とやらはけったいな味噌汁を作るもんだと桔梗は顔をしかめた。



「ききょー!」
「お嬢、」

師匠からの紹介で任された屋敷の庭で、桔梗は少女と出会った。

「また抜け出してきたんですか」
「今日はちゃんと、お庭に行くって言って来たよ」
「そうですか」

少女は屋敷の主人の孫娘で、屋敷にやってくると作業をする桔梗の所に遊びに来るのが常になっていた。
その日も少女は服が汚れるのも気にしない様子で桔梗の隣にしゃがみ、にこにこと桔梗を見上げた。

「今日は何してるの?」
「見ての通り、草むしりですよ」
「私もするー!」
「それならこれどうぞ」

目を輝かせる少女に桔梗は目を細め、被っていた麦わら帽子を少女に被せ、道具入れから子供用の軍手を渡した。
少女には少し大きい麦わら帽子も、汚れた軍手にも気にした様子もなく少女は喜んで身につけ、桔梗がむしっている草を確認しながら草むしりを始めた。

「ふん、ふん、ふーん」
「暑かったら言ってくださいね。水分もありますから、喉が渇いたら言ってください」
「ありがとー」

桔梗に無邪気に笑いかける少女を最初は煩わしく思っていたが、共に過ごす時間が増える程にその愛らしさに桔梗は自分がほだされていくのを自覚していた。
それまで相手がアルファ、オメガ、ベータの関係なく、親しい相手を作ることを避けていた桔梗に取って、それは特別な意味を持っていた。
しかし、それは桔梗側の勝手な話なので、桔梗はその感情を誰にも打ち明けず、少女が桔梗の元に訪れることを誰にも咎められる事もないことから、特に注意をする事もなく、時折訪れる少女を楽しみにしていた。

不意に、ぽつりと首筋を何かが叩いた。
顔を上げれば雨雲が一気に広がり、遠くでは雷もなっている。

「お嬢、一旦止めますよ」
「え?」

夢中で草むしりをしている少女に声をかけ、少女が桔梗に視線を向けてぱちりと瞬きをした瞬間、勢いよく雨が降り始めた。

「失礼します」
「わっ」

ひょいと少女を抱え上げると一番近くの雨がしのげる物置に桔梗は駆け込み、少女はそんな桔梗を見上げていた。

「雨…」
「特に今日は予報が出てなかったんですけどね」

薄く開けたままの入り口から外を眺める少女に桔梗は軽く返し、もしもに備えて用意してあったタオルを少女に差し出した。

「ちょっと埃っぽいかもしれませんが綺麗なタオルですので、髪とか拭いた方がいいですよ」
「ありがとう」

桔梗が差し出したタオルをきょとんと見つめ、桔梗の言葉に表情をほころばせると麦わら帽子と軍手を外し、ばさばさと髪をタオルで拭き始めた。

「ききょーが帽子貸してくれたから、あんまり濡れてないよ」
「それは何よりです」

桔梗は濡れたシャツに顔をしかめるのみにとどめ、帽子代わりにしていたタオルを外して適当に水気を拭ってため息をついた。

「すぐ止むな」
「どうですかね」

桔梗は物置内の明かりをつけ、中を振り返った少女は目を丸くした。
それなりの広さのある物置内の半分は庭道具で占められ、端に小さな机と椅子が置いてある。

「埃っぽいですけど、もしよかったら椅子にどうぞ」
「……うん」

じぃっと椅子を見つめる少女に桔梗は軽く椅子を勧め、少女は桔梗の周りをうろうろとしてから椅子にちょこんと座った。

「ききょーは、座らないの?」
「椅子、他にないですから」
「じゃあ、ききょーが座って、その膝の上に座るのは?」

離れた位置に立ったままの桔梗に少女は首を傾げ、少女の提案に桔梗はしばらく黙り込み、緩やかに首を横に振った。

「やめておきます」
「……そう」

少しだけがっかりした様子の少女に桔梗は表情を曇らせ、緩く息を吐き出した。
そんなことをして後から誰に何を言われるか分かったものではないという考えと、少女にそんなことをする資格は自分にはないと桔梗は心の中でひとりごちた。
ぶらぶらと足を揺らしていた少女は、飽きたのかきょろきょろと辺りを見回し、物置の片隅に置いてあるスケッチブックに気がついた。

「ねぇ、ききょー。これ、なぁに」
「スケッチブックですよ」
「見てもいい?」
「どうぞ」

机までスケッチブックを持ってきた少女に桔梗は少しだけ目を細め、近くの棚に置いてあった鉛筆を持って机に近づいた。

「全部桔梗が描いたの?」
「えぇ」
「上手ね」
「ありがとうございます」

ぱらぱらと草花と簡単なメモが描かれたページをめくる少女を見下ろし、桔梗は誰にも見せたことのなかったそれを見られる気恥ずかしさにくるりと鉛筆を回した。
それは心の底まで覗かれているかのような心地すらして、桔梗はきょろりと視線を彷徨わせた。

「何か描いてみますか?」
「うん!」

何も描いていないページまで少女がたどり着くと桔梗は静かに言い、少女は無邪気に笑った。
物置に響く屋根を叩く雨の音が聞こえなくなるまで、二人はスケッチブックに絵を描き続けた。

「雨、止みましたね」

物置の扉を開け放ち、ぶわりと物置の中に入り込む雨上がりの空気に桔梗は深呼吸し、少女を振り返った。
そんな桔梗を見つめる少女は少しだけ不機嫌そうな様子で、机に鉛筆を置き、桔梗の隣まで来た。

「戻らなきゃね」
「そうですね」

並んで外を眺め、それぞれの想いを抱えて二人は黙った。

「さっき描かれた絵、持っていかれますか?」
「ううん。ききょーが持ってて」
「……わかりました」
「じゃあ、戻るね」

桔梗を見上げてにこりと笑った少女に桔梗も笑みを返した。

「足元ぬかるんでるので、気をつけてくださいね」
「ありがとう。またね」

桔梗の手を借りて物置から出た少女はにこりと笑って屋敷へと走って行く。

その後、少女は桔梗の元にやってくることはなかった。
その事を特に気にしていなかった桔梗だが、最後に少女と会った日から一年ほど経った頃、気心の知れてきた従者の一人が少女が遠くの学校に進学したと言い、桔梗はなるほどと一人納得していた。
そしてそれと時期を同じくして、主人に気に入られたらしい桔梗はその屋敷住み込みの庭師になっていた。
時折少女は屋敷にやってきているようだったが、桔梗はその姿をちらとも見かけることもなく、少女が桔梗の元にやってくることもなかった。
桔梗が少女と親しくしていたのを知っている従者たちは折に触れて少女の様子を桔梗に教えるようになり、桔梗はそれを喜んで聞いた。

そうして気付けば、桔梗が少女に最後に会ってから、十年以上のの月日が経っていた。

「なぁ、桔梗」
「はい?」
「今日、お嬢が成人式の晴れ着姿見せに来るってさ」
「みたいですね」

温室で花の世話をする桔梗の元にやってきた屋敷の従者の一人、南津は桔梗の反応につまらなさそうな表情を浮かべた。

「知ってたのか?」
「知ってたというか……お嬢が来るから部屋に飾る花を見繕ってほしいと頼まれたので」

するり、するりと花の間を縫って歩く桔梗をもっと別の反応を期待していた南津は、少し意外だと思いながら目で追った。

「お嬢に伝えてやろうか?」
「何をですか」
「あんたがお嬢に会えなくて寂しがってるって」
「こんな晴れの日に知らせる事ではないでしょう。ただの庭師にずっとそんな事を思われていただなんて」

悪戯っ子のような表情の南津に桔梗は呆れたような表情を浮かべ、南津に花を押し付けた。

「なに?告白?」
「馬鹿ですか。飾る用の花です。これを取りに来たんでしょう」
「冗談だって。じゃ、確かに」

茶化す南津の頭を桔梗は軽く叩き、南津はからかうように桔梗の結われた後ろ髪を軽く引っ張って温室を出て行き、桔梗は残りの花の手入れをするために温室の奥へと足を向けた。
少女に会いたくないと言えば嘘になるが、わざわざ寂しいと伝えることもないと、自分の抱えた想いを反芻しながら、桔梗は自嘲するように笑った。
不意にちりりと首筋の毛が粟立つのを感じ、桔梗は弾かれたように入り口を振り返った。

「桔梗…?」

桔梗の足元に置いてあったブリキのバケツがガランと音を立てて転がった。
入り口に立っているのは淡い桃色の振袖に身を包んだ少女だった。
周囲に並ぶ花の匂いとは違うその匂いに桔梗は眩暈を感じ、震える足に力を込めた。

「お嬢…。お久しぶり、です」
「あら、覚えててくれたの?」

被っていたタオルを外して桔梗は頭を下げ、少女はくすくすと笑いながら一歩ずつ桔梗に歩み寄った。

「何年ぶりかしら」
「さぁ…」

少女が一歩ずつ桔梗に近付くたびに、桔梗の中にあった少女に対する温かな想いが、暴力的な勢いで塗り替えられていく。
逃げる場所は、ない。

「久し振りにあなたに会いたいと思って来たのに、この展開はちょっと予想外だったなぁ」

目の前まで来た少女に、すこんと桔梗の腰は抜けた。

「本当にあるのね。“運命”っていうのは」

ぎらりと少女の瞳に情欲と、支配の炎が灯る。
塗り替えられていくその感情は、自分のものなのか、それとも本能の、運命の成す悪戯なのか。

「これが、“運命”だと…」
「えぇ、残念ながらね」

それまで抱えていた想いは、運命に全て塗り替えられてしまったのか、まだ残っているのか。
その答えは、今の桔梗には分からなかった。



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