部誌9 | ナノ


最愛、在れ



太刀川慶の世界が一変したのは、そう過去のことではなかった。

「けいくん」

そう、太刀川を呼ぶ幼い子供との出会いが、太刀川を変えたのだ。






みょうじなまえという子供がいる。
トリオン量が異常に多く、それを危ぶんだ裕福な両親が護衛とトリオンのコントロール方法を学ばせるために多額の融資と引き換えにボーダーに預けられた子供だ。4歳という幼さのなまえは、親に甘えたい年頃だろうに、多忙な両親に甘えるまいと、言われるがままに健気に本部にやってくる。

甘え方を知らない子供。その姿が哀しくて切なくて愛おしくて、護衛と教師役を任された太刀川隊は、一丸となって彼を甘やかし守るのだと心に決めた。

「親の教育か、本人の資質か……」

「は?」

「いや、唯我もなまえくんと同じ境遇っつか、環境じゃないすか。それなのにこんなに性格が違うから」

「ああ……」

ボーダー本部、太刀川隊の作戦室でまどろむ午後。突然小難しいことを言い出した出水公平に、太刀川はそういえばそうか、と頷いた。
太刀川隊に所属する唯我尊は親の威光を笠に着たボンクラ息子だ。両親がスポンサーであることをいいことに、実力もないのにA級チームに入ることを希望した。上層部からの打診に適当に頷いたため、太刀川は初めから彼の戦力に期待していなかった。今ではそこそこの力を備えたようだが、それでもA級の名を名乗れるほどの実力はない、太刀川隊のお荷物くんだ。

両親がボーダーのスポンサーで、その権力と財力により、本部に入ることを許されている。
背景だけ見れば似た2人なのに、性格は真逆だ。能力もないのに自己顕示欲が強い唯我と、控えめで我儘も言わないなまえ。唯我が家庭内でどんな扱いを受けているのか知らないが、金持ちの息子が得てしてああいう性格になりがちならば、なまえが唯我ほどの年齢になれば彼のような性格になってしまうのだろうか。それはちょっと嫌だ。でもそんななまえも見てみたい気はする。

「ん……」

高飛車ななまえを想像して少し笑ってしまったのがいけなかったのか、胸元のなまえがむずがった。
今、なまえはソファで横になる太刀川の胸の上、俯せの体勢で眠っていた。なまえほどの子供に昼寝の時間は重要なのだと姉に教えられた出水による提案だ。ボーダーに来たばかりの頃はそうでもなかったが、そういえば最近眠そうにしていたから、なるほど出水姉の言葉は正しいのだろう。
一緒にいたいから寝たくない、という可愛らしい我儘は、なまえが口にした初めての我儘だった。可愛すぎて太刀川も出水も国近も千回は死んだ。萌え死ぬってこういうことかと学習した。

折衷案として出たのが、太刀川がなまえのベッド代わりになることだった。なまえを抱っこしたままソファに倒れ込み、このまま寝ようと提案した太刀川に、ぱちくりと目を瞬かせたなまえは、それはもう可愛らしく笑って頷いた。恐らくその笑みを目撃したのは太刀川だけだ。自慢。
ものの数分で寝入ってしまったなまえが落ちないようにその小さな背中に腕を回しながら、太刀川は転げまわりそうなくらいの衝動を必死に堪えたし、小声で「なまえくんの笑顔めっちゃ可愛い!」と叫んで出水・国近両名に大変羨ましがられた。

それ以来昼寝の時は大抵太刀川がなまえのベッド代わりだ。太刀川が大学の補習などでいない時は出水がベッド代わりを務めているらしいが、すぐに起きてしまうらしい。太刀川をベッドにしている時ほど眠りが深くないということはつまり、相変わらず太刀川に全幅の信頼を寄せてくれているようだ。両親を除けばもしかしなくても一番だろう。その事実がたまらなく嬉しくて誇らしい。
子供だからだろう、なまえの体温は高い。腹を冷やさないように、となまえに掛けられたブランケットと相まって少し暑いくらいだが、不思議とそれが心地よい。クーラーの効いた部屋なのに少し汗ばむくらいのその温度が、なまえが太刀川に与えるものだからだろうか。うっかり太刀川もつられて寝てしまうことはしょっちゅうだった。うつらうつらとしていた中での出水の一言にうまく頭が働かない。ええと、なんだったか。ぼんやりとした太刀川に、もとより反応は望んでいなかったのか、まじまじとなまえを見て「やっぱ資質か……唯我の可愛かったとことか想像できねえもんな」と呟く出水が呟く。その意見には全面同意する。
ちなみになまえの昼寝の時間、騒がしい唯我は問答無用で作戦室の外に出される。一度なまえの眠りを妨げてから、誰からともなく時間が来ると作戦室から押し出すようになった。

穏やかな午後だ。出水のどうでもいい疑問も、遠くで聞こえる国近のゲームに対する罵倒も、いつもの日常だ。戦闘バカとあだ名された太刀川慶に似つかわしくない緩やかな日々は、太刀川の日常になりつつあった。それくらい、太刀川隊はなまえ中心に回っている。

けれど、非日常はいつでもすぐそばにある。
殊、三門市では特に。

響き渡るサイレン。胸の上のなまえがびくりと体を揺らした。その背中を宥めるように撫でてやりながら、飛んできた通信に応える。

「いったいどうしたんだ、忍田さん」

「すまない、慶」

なまえがいるために、普段太刀川隊の作戦室ではこういったサイレンが鳴らないように設定されている。どうしても太刀川隊でないと困難な場合にだけ出動し、それ以外はなまえの傍で護衛待機、というのがなまえが来てからの常だった。つまりは、太刀川隊でないと、太刀川でないと太刀打ちできない敵が現れたということだ。

「出動か?」

「ああ。頼む」

「わかった。俺と出水が出たら作戦室のシールド強化しといて」

「勿論だ」

そんな短いやりとりをしながら、なまえを抱いた状態で身を起こす。すっかり目覚めてしまったらしいなまえが、不安そうな顔で太刀川を見上げていた。

「大丈夫」

膝の上のなまえと視線を合わせ、笑う。胸のうちで湧き上がる闘志。己の裡に秘めた獰猛さに気付かれないように、優しく微笑むよう、心がける。

「怖いのは俺と出水でやっつけてくるから、心配ない」

頭を撫でてやれば、なまえの潤んだ瞳が不安そうに揺らいだ。その小さな体をぎゅっと抱きしめてから立ち上がる。
怯えているだろうなまえの傍にいてやりたいと思う。けれどそれができない現状で、久しぶりの戦闘に湧き上がる自分もいて。少しの自己嫌悪。どうしようもない現実がそこにあるなら、その現実を少しでも早くぶち壊すだけだ。

なまえを抱き上げ、オペレータールームに足を向ける。そこにはすでにイヤホンマイクをつけた国近がいて、その膝の上になまえを乗せる。

「国近、なまえを頼むぞ」

「オッケー」

緩く笑う国近に太刀川も笑みを向ける。不安の一つも零さない国近の様子に、なまえが不思議そうな顔をする。

「だいじょうぶだよなまえくん〜。太刀川さんが出たら一瞬だからね」

へへ、と笑いながらPCを起動させていく。ゲーム画面から一変して移り変わる画面になまえの視線が奪われる。

「太刀川隊はボーダーでいっちばん強いからね、心配することなんてないよ」

「そうそう」

後ろから声をかけてきたのは出水だ。唯我の襟首を掴んでいて、オペレータールームに唯我を放り込む。痛い! と悲鳴を上げて尻もちをつく唯我を出水は見下ろした。

「億が一もないと思うが、もしものことがあればなまえくんと柚宇さんの盾になって死ね」

「ひどい!」

やっぱり唯我は一際うるさい。うんざりしながら2人のやり取りを見ていれば、なまえがけいくん、と太刀川の名を呼んだ。

「ほんとに、だいじょうぶ……?」

「うん」

なんてことないみたいに、簡単に頷く。換装していれば早々に死ぬようなことはないし、ボーダーでナンバーワンアタッカーの名を欲しいままにするだけあって、戦闘慣れした太刀川はそこらへんの見極めもしっかりしている方だ。そうした自負が、太刀川にあった。そう自負するだけの経験を積んできた。

「だからなまえくんは、国近と一緒に俺のかっこいいとこ見てて」

「おれも! おれのかっこいいとこもな!」

太刀川とそれに乗っかってくる出水の言葉に、なまえはおずおずと頷いた。その様子にようやく太刀川は安堵し、換装した。換装すれば、脳が戦闘用に切り替わる気がする。

「行くか、出水」

「はいはーい。そういや姉ちゃんがなまえくんにっておやつくれたから、戻ってきたら一緒に食おうな!」

今から戦地に向かうのが嘘みたいにニカリと笑った出水に、なまえが薄く笑った。おお、と感動する出水の横で、太刀川はなまえに微笑みかける。

「なまえくん、いってきます」

「……いってらっしゃい、けいくん、こうへいくん」

その一言だけで、絶対に帰ってこようと身が引き締まるものだ。



戦闘は瞬く間に終わった。
張り切った太刀川と出水の前では、トリオン兵など敵にならない。数が多くほとんどの隊員が駆り出されたらしいが、太刀川の快刀乱麻な戦いぶりと、出水のトリオン量に任せた絨毯爆撃に、多数のトリオン兵はあっさりと倒れた。太刀川隊すげえ、と行く先々で賞賛を囁かれても、今の太刀川には響かない。戦闘終了が忍田より宣言されるやいなや、太刀川も出水も戦地をあとにした。このあとあるだろう反省会っぽいあれこれはどうでもいい。競うように早足で、次第に走りながら作戦室に向かう。

「ただいま、なまえくん!」

声を揃えて2人同時に作戦室に入れば、国近の膝の上でびっくり顔のなまえがいた。オペレーター用のモニターで戦闘の一部始終を見ていたらしい。2人とも早すぎ、と笑う国近の膝からよちよち降りて、なまえが駆け寄ってきてくれる。

「けいくん、こうへいくん……!」

腕を広げて迎え入れ、抱き上げる。太刀川さんずりい、という出水の声は無視だ。無事かどうかを確認するようにぺたぺたと顔中に触れるなまえの手のひらが暖かく、その心配がくすぐったくて笑みが零れる。

「だいじょうぶ? けがしてなぁい?」

「してないしてない。国近と見てたんだろ? 俺のかっこいいとこ」

「おれのかっこいいとこもな!」

横から出水がなまえの柔い頬をむにむに抓む。うにゅ、と可愛い声をこぼしたなまえが、頬を抓む出水の指を握る。同時に体を支えるために太刀川の肩に置いていた手が、太刀川の隊服を掴んだ。

「かっこ、よかった、けど……やっぱり、こわかった」

「え」

「けいくんたちがけがしたらどうしようって、こわかった」

ぎゅっと閉じた瞳の奥で、先ほどの戦闘を思い出しているのだろうか。震える声で、なまえは続ける。

「みてるだけしかできないの、やだ」

なまえは、己の力の大きさを、恐らくは理解している。トリオンという能力がどんなことができるのかも。それは出水にトリオンのコントロール方法を学んだからであり、太刀川たちの先ほどの戦闘を見たからだ。年齢に見合わない聡さを備え持つなまえは、己のトリオン量があれば、技術さえあれば2人と同じ戦地に立てることを知ってしまった。

「急に大人になんなくていいよ」

「……?」

「俺に、守らせてよ」

我儘を言わないなまえは、忙しい両親を気遣うからこそ、聡くあらねばならなかった。
聞き分けのいい子供。一番両親の愛情を感じたい年頃だろうに、傍にいて欲しい、なんて当然の要求も口にしない。代わりに出てくるのは大丈夫だよ、平気だよ、なんて強がる言葉ばかりで。

大丈夫なはずがない。
平気なはずが、ないのだ。

なまえはまだまだ、守られるだけでいい、子供なのだから。

「ゆっくり大きくなればいいよ。無理に大人になんなくていい。俺らに、俺に、なまえくんを守らせて。なまえくんが待ってるって、なまえくんを守ってるんだって考えるだけで、何十倍も俺は強くなれるから」

「けい、くん」

「なまえくんは、傍にいてくれるだけでいいんだ。それだけで俺は嬉しいよ。頼ってくれるともっと嬉しい。我儘とか、言ってほしいってずっとずっと思ってる。頑張ってとか、いってらっしゃいとか、そんな言葉だけで充分なんだ」

だから、ね。

言ってよ。なまえの額に己のそれをくっつけて、笑って強請る。数瞬置いて太刀川の言葉の意味に気付いたなまえは、やっぱり聡くて賢い。

「おかえり、おかえりけいくん、こうへいくん!」

涙で滲んだ瞳を笑みに歪め、首に抱きついてきたなまえを、苦しくない程度に強く抱き返す。

「太刀川さんてそーゆーとこずるいよなぁ」

いつの間にか掴まれていた指を放り出された出水の一言を無視して、太刀川はただただなまえの与えてくれる体温に浸っていたのだった。




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