となり、いい?
「お前、それは犯罪だろう」
眉をがっつりと寄せた風間蒼也に居酒屋で言われ、諏訪洸太郎は頭を抱えた。周囲の喧騒で会話を聞かれないだろうと勇気づけられての相談の結果は、周囲が騒がしくてよかったと安堵するくらいには不穏だ。犯罪者扱いされているのだから、当然といえば当然なのだが。
「そうだよなあ、そうなんだよなあ」
「笹森と同い年なんだろう。みょうじ、だったか」
「ああ」
「少し前までは中学生だったんだ。立派な犯罪だ」
「あああああああ」
濁声をあげて机に突っ伏した諏訪に、話を無言で聞いていた木崎レイジが行儀が悪いと窘めてくる。何なんだお前。他にもっと言うことがあんだろが。ママって呼んでやろうか、この筋肉ゴリラ。
「諏訪が俺たちに恋愛相談とかよっぽど行き詰ってるんだな」
「性犯罪者一歩手前だからじゃないか?」
お前らほんと嫌い。
諏訪洸太郎の想い人は、弱冠16歳の青少年である。自隊の隊員である笹森日佐人の同級生だ。同性の、しかも5歳も年下の少年に恋愛感情を抱くなんて、諏訪自身思ってもみないことだった。
笹森の親友らしいその少年――みょうじなまえを認識するようになったのは、ここ数か月のことだ。2人揃って笑いながらボーダー本部に入ってくるくせに、諏訪の顔を見ればさりげなくその場を離れてしまう。笹森はみょうじのその行動に違和感を覚えていないらしいが、諏訪からすれば避けられているとしか思えない。
なんだかそれが妙に気になって、もしや知らないうちに嫌われるようなことでもしてしまったのかと悩んだものだったが、なんのことはない、照れくささからくるものだという。自隊の人間と一緒にいるところを友人に見られるというのは、親と一緒にいるところを見られるのと同じような感覚らしい。
笹森とみょうじのその共通認識ゆえに、お互いが自隊の人間といるところを見ないようにしようと心がけるようになり、みょうじは諏訪――正しくは諏訪隊――を避け、笹森も同様に、みょうじの隊の人間を避けていたらしい。
つまりなんだ、俺は日佐人の親かよ。思春期の考えることはよく分からない。ちなみに自分が思春期だった頃の記憶は遠い彼方だ。
すれ違いざまに捕まえたみょうじを問い詰めてそのくだらない理由を聞いたときは、安堵も相まって爆笑した。それ以来みょうじを気にかけるようになり、話しかけたときのふにゃりとした笑顔や芯の強いその心根、様々なことを知り――その隣に、立ちたいと思うようになった。いつでも彼の隣にいて、笑いあえる笹森のことを羨むように、なってしまった。
5歳も年下の、少年だ。まだ物事の分別もつかないような、子供だ。
諏訪だってまだ大人になりきれている訳ではない。けれど成人して大人の世界に足を踏み入れ、多少なりとも世間を知った。だからこそ、己の中に芽生えた気持ちに戸惑い、悩み、分別を得たが故に、想いを封殺すべきだと、思ったのに。
向けられる視線に、熱を感じるようになったのはいつからだろう。自分の想いが一方通行でないと、諏訪は知ってしまった。けれどみょうじはまだ子供で、諏訪は大人だ。惑わす訳にはいかないと、己の気を逸らすために大学の女性と付き合うこともあった。
でも、そんな状態でうまくいくはずもなくて。相手の女性には失礼なことをした。恋人に会いに行くのだと告げた諏訪に、傷ついた顔をしたみょうじへの罪悪感に死にそうな思いもした。
結局諏訪は、みょうじのことが好きで、諦めきれなくて、どうしようもなかった。みょうじの隣に自分以外の誰かがそばにいることを想像しただけで、嫉妬に焼けきれそうだった。両想いなのだと判っているからこそ、余計に。
「諏訪さん」
その、みょうじの声の甘さは、諏訪を駆り立てる。
大人の分別と、己の欲求。みょうじへの想いと、みょうじから向けられる感情。
自分が一体どうするべきなのか、迷い、考え、煮え切らない思考のままにっちもさっちも行かなくなってしまったからこそ、諏訪は風間と木崎に相談を持ちかけたのだ。
「冷静に考えて、お前がみょうじに手を出した場合、淫行罪が適応されるぞ」
「セックスしなければ問題ないんじゃないか?」
「諏訪が我慢できるとは思えん。それなりに即物的だからな」
「ああ……」
ああ、じゃねえっつーの。
こちらが真剣に悩んでいるというのに、ビール片手に繰り広げられる会話はふざけすぎている。俺だって禁欲ぐらいでき、でき……自信ねーよちくしょう。
温くなったビールを啜り、しなびた枝豆を口にしながらやさぐれる。こんなやつらと顔を合わせている時間があるなら、みょうじに会いたい。恋に悩む諏訪は、自分から呼び出しておいてそんな勝手なことを考えた。
「分別がありすぎるのも考えものだな」
「あ?」
どう考えても自分を貶すだけの、有益ではなさそうな会話を聞き流して悩んでいた諏訪は、不意に向けられた視線と言葉に顔をあげた。空のジョッキを机に置いた風間が、諏訪を見つめている。
「太刀川なら、お前のように悩みもせずそのまま口説きに言っただろう。あいつは馬鹿だし、自分の欲に忠実だからな。相手の気持ちや立場なんか二の次だ」
いつもの無表情を少し笑みに歪ませ、風間は諏訪の前の皿の枝豆を摘まんだ。器用に指先で遊びながら、注文用のタブレットに手を伸ばした。
「相手を気遣うのもいいが、がんじがらめになりすぎるな。後悔したくなければ、自分が何をしたいか、どうしたいのかを忘れるなよ。 取り返しがつかなくなるぞ」
自分が、何をしたいか。
みょうじを、どうしたいのか。
みょうじと、どうなりたいのか。
突き詰めれば答えはひとつだ。その答えにいろんなものが付随して、根本が見えなくなっていた。
諏訪は、笹森をうらやんだ。
あの気の抜けるような、ふにゃりとした笑顔を向けられたいと思った。
彼の隣に立てる、唯一の人間に、なりたかった。
5歳も年下の少年に対する恋心は、純粋とは言えない諏訪にとって、不純物にまみれている。例えば柔らかそうなピンクの唇にキスをしたいだとか、細くて頼りないその体を抱き締めたいだとか、身体中に触れたいだとか。けれどそんな欲にまみれた感情はみょうじに向ける感情の、一面でしかなくて。
「寝たぞ」
「は!?」
木崎の一言に思考の海から顔を上げれば、風間は枝豆を大事に両の手のひらで包みながら、机に突っ伏して眠っていた。
「酔ってたのかよ!」
「ベロベロにな」
「かあー!」
めちゃくちゃ感心したし、ありがたい指摘でもあったのに!
酔っぱらいの一言だったのかと思えば涙が出そうだ。いやありがてえけどな、ありがてえけどよ! むしゃくしゃして食事の場だからと控えていたタバコに思わず手が伸びると、木崎が風間のから割れ物を遠ざけながら呟いた。
「未成年にとって、煙草の煙は害にしかならない。成長の妨げになるぞ」
「……」
「まあ、そういうところから始めてもいいんじゃないか」
彼の隣に立つことを、望むなら。
続けられることのなかった言葉の裏を読み取って、諏訪は手のひらの中の煙草の箱を握りつぶした。大人ぶって分別を振りかざし、身を引くこともできないなら、他の配慮が必要になる。せめて彼のためにならないことは排除すべきなのだ。
まだ幼いみょうじにとって、諏訪に向ける感情は、飯事のようなものかもしれない。恋に恋する少女のように、みょうじもまた、諏訪というみょうじにとって特異な人物への感情をもてあまし、恋だと錯覚しているだけなのかもしれない。
それでも。
たとえ諏訪に向けられる想いが偽りのようなものであっても、諏訪は喜びを感じるし、いつかそれが本物になればいいと思っている。
諏訪洸太郎は、みょうじなまえのことが好きだ。
どれだけ悩んでも、この想いだけは結局変わらなかった。諦められなかった。それならば、諏訪のやることは1つしかない。みょうじが分別がつくような年齢になるまで、諏訪から直接的な行動には出ないことだ。
自惚れでなければ、みょうじの気持ちは諏訪の方に向いていると、思う。だからこそ、諏訪はこんなにも悩んでいたのだから。
みょうじは未成年で、まだ16歳。成人するまで、あと4年かそこら。それまでの間に、諏訪はみょうじの気持ちを己に繋ぎ止め、またその感情を諏訪と同じものにしなければならない。
急ぐ必要もあせる必要も、まだない。
まずはみょうじの気持ちがどの程度のものか、推し測るところから始めなければならない。
「となり、いいか?」
そう声をかけて、いつかみょうじの隣にいる自分が、当たり前のことになるように。
諏訪の努力は、きっとそこから始まるのだ。
「諏訪。物思いに浸るのはいいが、会計を頼む。風間は俺が連れて帰るから」
「あ? ああ……ああ!? 飲みすぎだろうが、ちったあ遠慮しろ!」
「奢ると言って呼び出したのはお前だろう。ゴチになります」
「お前らほんとやだ」
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