部誌9 | ナノ


となり、いい?



 初夏の屋上は、影浦にとって絶好の避難場所だった。影浦のサイドエフェクトにとって、若者たちが無秩序に押し込められた学校という場所の中で過ごすことはかなり負担を強いられることだった。思春期の高校生たちと、子供をなめきった教師たちに囲まれていると、あっちでびりびり、こっちでばちばち、様々な感情が無遠慮に突き刺さってくる。だから、たまに授業をすっぽかし、何代か前の先輩が鍵を壊してそのままの屋上に忍び込んで、誰にも干渉されない時間を過ごすのだ。
 今日も影浦は午後の二コマを丸々フケるつもりで、屋上でぼんやりと過ごしていた。夏に向かってだんだんと強くなってきた日差しを避けて選んだ給水塔の陰はひんやりとしたコンクリートが心地よく、蒸し暑くて汗くさい教室よりずっと快適だ。
 姿の見えない影浦を心配して、同じクラスの村上がLINEを寄越してくるので、それを適当に返信しながら、青空を流れる雲を無為に眺める。暇ではあったが、自分をあまり好意的に思っていないクラスメイトのただ中にいるよりはずっとマシだ。早く放課後になってくれないだろうか。本部に行けば、荒船あたりが個人戦に付き合ってくれるかもしれない。
 少し前にチャイムが鳴ったから、ようやく六限目が始まったのだろう。グラウンドからどこかのクラスが体育をやっている声が聞こえる。あと五十分、昼寝でもして時間を潰そうか。
 そう思いごろりと寝転がったとたん、ぎぃと、スチール製のドアが軋む音がした。
 こんな時間に教師が見回りに来たのだろうか。反射的に飛び起きた影浦が振り向いたところで、ドアを開けたまま瞠目している男子生徒と目があった。
「あり、先客だ」
 とぼけた口調でへらりと笑う生徒の名前を、影浦は知っていた。隣のクラスのみょうじは、成績優秀で人当たりもよく、生徒教師の別なく誰からも好かれる人気者。けれども、授業の真っ最中に屋上で見るにはあまりに不釣り合いな顔である。
 影浦は無意識に、顎に下げていたマスクを引き上げた。薄い繊維で、同級生との間に距離を取る。
 しかしみょうじには影浦の反応など意味をなさなかったらしい。歩み寄った人気者は、訝る影浦など意に介さず、影浦の横の日陰を指さした。
「となり、いいかな?」
 言葉は疑問系であったが、みょうじはこちらの返答を待つことなく、さっさと隣に腰を下ろした。その見た目と短気さで暴力的な問題児だと学年に名高い影浦を知らないはずがないのに、彼はこれまで一度も会話をしたことがなかった不良生徒の横へと、ごく自然に居場所を作った。
 いまここにいるということは、みょうじも授業をサボっているということだ。定期テストだけでなく、模試でも優秀な成績を取っているという噂の生徒とは、どうにも結びつかない行動だ。何しに来たんだこいつ、と影浦は前髪の合間から、横の男を盗み見た。黒髪だが、制服は適度に着崩していて、開けられたシャツの胸元から赤いTシャツが覗いている。ベルトもおそらく学校指定のものではない。ふと、二宮隊の犬飼が脳裏を過ぎった。見た目の雰囲気ならば、いけ好かないあいつと似ていた。
 みょうじは、影浦が見ているそばで、おもむろにポケットを探った。出てきたのは煙草とライターで、影浦はぎょっとする。そしてすぐに顔を顰めた。
「吸うならよそ行け」
「こっち風下だから大丈夫だよ」
「んなもん、こんな近くじゃ意味ねえだろ」
 ぎろりと視線をやれば、唇を尖らせたみょうじが「影浦くんのいけず!」と騒ぐ。やはりこちらの名前を知っていたようだ。ぶうぶう文句を言いながら、みょうじは二メートルほど距離を取って煙草を吸い始めた。
 慣れた手つきで煙を宙に吐き、携帯灰皿へ灰を落とす様子は、影浦がみょうじに抱いていた優等生のイメージとは正反対であった。しかし、反社会的な行為をしているからといって、スレている雰囲気もない。善良で無邪気な高校生が、教師の目を盗んで喫煙しているだけ。
 コンクリートの壁に凭れて脚を投げ出しながら、みょうじは初夏の空に悪性物質で汚れた息を吐きかけていた。変な奴。横顔を眺めながら陳腐な感想だけが浮かんでくる。
 みょうじはふとこちらへ目を向けて、「影浦もいる?」と笑いかけた。
「いんねーよ」
「へえ、意外だな。ワルの影浦くんなら、酒も煙草もじゃんじゃんやってるのかと」
「それ以上言ったらブン殴っぞ」
 自分の素行のせいで周りからあることないこと噂されるのは今更だが、それを直接聞かされて大人しくしている影浦ではない。威嚇する大型犬のように低く唸ると、みょうじは素直に「ごめん」と謝った。
「……意外なのはみょうじだろ。優等生が授業サボって、しかも煙草なんか吸ってていいのかよ」
「えっ、影浦くん、オレの名前知っててくれたんだ? わああ、光栄!」
「質問に答えろっつの」
 きゃあ、とはしゃぐみょうじに、影浦はペースを乱される。マスクの中でチッと舌打ちをして、そっぽを向いた。この男とまともに会話をしようとすると、いいように遊ばれるばかりだ。
 会話を打ち切った影浦に、みょうじは心底楽しげににこにこ頬を緩めていた。ソフトタイプの携帯灰皿に煙草を押し込むと、影浦の元へにじり寄った。
「ねー、このマスクどしたの? 風邪?」
「……違う。何でもいいだろ、んなもん」
「よくないよぉ」
 適当にみょうじをあしらった次の瞬間、驚きの早業で影浦のマスクはみょうじに剥ぎ取られていた。不意を突かれた影浦は、「おい、ふざけんな」と声を荒げる。
「ふざけてないもーん。影浦のマスクの下が見たかったんだもん」
「もん、とか言うな気色ワリィ」
 呻く影浦を無視して、にゃははと脳天気にみょうじ派笑う。奪い取ったマスクをぶらぶら揺らして、影浦の顔を覗き込んだ。
「おー、見事なギザっ歯。これ隠すのにマスクしてたんだ?」
「うっせーな、返せよ」
「マスクしてるほうが人相悪くなってると思うけどなあ、おれは」
 むん、と不服そうに頬を膨らませながら、みょうじは渋々マスクを返した。受け取った影浦はそれをまた耳にかけながら、しかし一瞬迷って、口元は覆わずに顎に下げておいた。
 出会って数十分、みょうじの奔放な振る舞いにすっかり振り回されて妙に疲れた。影浦は呆れを込めた深いため息を一つ、しみじみと言葉を漏らした。
「オメー、せめて学校では煙草やめろよ。センコーに見つかったらいろいろ面倒だろ」
 心の底からのアドバイス。授業をサボったこの時間、賑やかなみょうじに辟易はしたけれど、素直で裏表のない彼と話している時間は悪くなかった。だから、少しだけ非行を嗜んでいる優等生を、影浦は諫めた。
 けれどもみょうじは影浦の忠告などどこ吹く風、けらけら笑って「大丈夫だよ」と妙に自信に満ちた表情で頷いた。
「オレ、すっげー勘がいいから、ヤバそうなときはすぐわかるんだ。だから先生に見つかったことないんだぜ」
「勘って、なあ」
 真面目に聞けよ、と睨む影浦に、ずいと顔を寄せてみょうじはニヤッと口角を上げた。
「今日だって、なんとなくいいことがありそうな予感がしたからここに来たんだ」
「はあ?」
「オレの勘は当たるんだって!」
 にゃは、と特徴的な笑い声をあげて、心底嬉しそうにみょうじは破顔した。
 困惑した影浦の鼻を、ツンと煙草の香りが掠めた。ボーダーで変人には慣れていたつもりだったが、また理解に苦しむ人間がいたものだ。




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