部誌8 | ナノ


カサブランカと落ちない汚れ



想い人が少女趣味であることを知ってから、風間蒼也はよく花屋に立ち寄るようになった。

「花をいただけますか」

顔見知りになった店員にそう告げる。はじめは少年に対するように扱われていたが、一度店前で偶然諏訪と出会ってからは、年相応の扱いをされるようになった。恋人に花を贈るのだと店に寄るようになった当初から告げていたので、よくわからない生ぬるい視線は変わらないままだったが。

「今日はどんな花になさいますか?」

その質問に風間は花屋中を見渡し、ひとつの花に決めた。白いカサブランカだ。凛とした佇まいが、彼に似合っていると思った。
花束を受け取り、恋人の家へと足を進める。抱えた花束は、まるで彼そのものを抱え、独占しているような錯覚を感じさせた。わずかな満足感を覚えた風間は、不意にその花の花びらに小さな染みがあることに気付き、眉を寄せた。
全く、彼そのものだと思った。

風間とその恋人のみょうじなまえの関係の成り立ちを言葉にするには、少々複雑な事情がある。みょうじは、死んだ風間の兄に恋慕していた男だ。今は風間の相思相愛の恋人でも、その前提に兄の存在がついて離れない。
2人の間で兄の話題が出ることはあまりない。そういえば、と過去を口にして、風間に気遣うように黙りこんでしまうみょうじに苛立ちを覚えたのは一度や二度ではなかった。思い出にするにはみょうじの兄への想いは大きすぎた。みょうじの気持ちを疑ってしまう己の器の小ささに溜息しか出ない。

みょうじが兄に対する想いと同等かそれ以上に、風間もまたみょうじのことを想っている。
3年もの時間をかけて振り向かせた。執念と言ってもいい。そうしてようやく手にいれた恋人を、信じ切れずにいる。
みょうじのかつての想い人は風間の兄だ。家族だからこそ、みょうじよりもたくさんのことを知っていると、思う。尊敬できるひとだった。楽しいひとだった。誰からも好かれる、好人物だった。みょうじが好きになったのも理解できる、そんなひとだったと思う。

だからこそ、疑心を抱いてしまう。
まだ兄を想っているのではないか、と。

みょうじは優しいひとだ。優しさ故に、みょうじを求め続けた風間に絆されただけではないのだろうかという思いは、風間の不安を煽ってやまない。
兄の代わりではないだろう。血の繋がりを持ちながら、兄との共通点など声と顔ぐらいしかない。性格も体格も違う、正反対の兄弟だった。
かつてのみょうじにとって、風間は「好きなひとの弟」でしかなかった。兄を想っていたみょうじを知っているだけに、あれほど想ってもらえているのか風間には自信がない。

3年という時間をかけて、振り向かせた。
長期戦になるのは目に見えていた。いつかは兄よりも想ってもらえるようになるだろう。時間をかければ、確実に。そのための努力を惜しむつもりはないし、彼を囲い込む気でいる。ひとかけらも想いを向けて貰えなかった頃に比べれば、今の風間の悩みなど贅沢なものだ。

それでも、今。
彼のすべてが欲しいと思うのは、仕方ない。
彼に出会ったときから、彼だけを求め続けてきたのだから。



警戒地区に近いマンションは、住居者が少ない。
みょうじなまえは、そんなマンションの最上階に住んでいた。最上階といっても高級マンションではない。8階の、中堅クラスのマンションだ。警戒地区が近く、逃げにくいという観点から1LDKでも家賃はあまり高くないのだという。そんなみょうじの部屋の鍵を貰ったのは、みょうじの部屋に泊まるようになってしばらく経ってのことだった。

「恋人だし、ね?」

そう頬を染めて差し出された鍵を手のひらに受け止めた時、どうしようもなく心が震えた。貰った鍵に鎖を通し、服の下に大事に隠しながら持ち歩くようになったのは、その鍵が風間にとって宝物だからだ。そうした風間の行動を嬉しそうに受け入れていたのだから、みょうじの想いも、風間にあるはずだ。
体を求めても拒否されたことはない。女性になりたかったというみょうじが受け入れる側だったのは自然な流れだったが、それでもゲイであることを隠してきたみょうじにとって、肌を重ねあう行為はハードルの高いものだったはずで。

充分なほど、想いを返されているはずだ。
それでももっとと、願ってしまう。みょうじに対する欲は尽きることがない。

鍵を持っていても、風間がみょうじの部屋に勝手に入ることはなかった。それが最低限の礼儀だと思っているからだ。いつものようにインターホンを押すと、はあい、という声が聞こえ、扉の向こうでバタバタ騒がしい音がする。

「いらっしゃい、蒼也くん」

扉が開かれた先には、Tシャツにパイル地のズボンというラフな格好をしたみょうじだ。いつも外ではパリッとした格好をしているだけに、プライベートな部分に踏み込むことを許されている感じがして、風間は好きだった。

「勝手に入ってきていいのに。今日はどうしたの?」

そう微笑むみょうじにカサブランカの花束を渡す。驚きに目を見開くみょうじに、風間は告げる。

「恋人に会いにきて何が悪い?」

逢いたいから来たんだ、という風間の言葉に、みょうじの顔がじわじわと赤くなっていく。花束で顔を隠すみょうじはいじらしく、自然に満足げな溜息が漏れた。うれしい、ありがとうという声はとても小さかったが、風間にとってはそれで充分だった。
よたよたと覚束ない足取りのみょうじに部屋に招かれ、足を踏み入れる。相変わらず綺麗に整頓された部屋は物が少なく、どことなく殺風景だった。風間自身もごちゃごちゃした部屋は好まないので、好感のもてる部屋だ。ベランダ近くの棚の上には、以前には風間が贈った花を生けた花瓶があった。今回もそこに飾られるのだろう。

花瓶を探しにいったみょうじの背中を見送りながら、リビングのソファに腰を下ろす。ぱたぱたとみょうじの足音が部屋に響くのが好きだ。彼の気配がそこらじゅうにあるこの部屋が、好きだ。
カサブランカを生けた花瓶を持ってきたみょうじは、風間の予想通り、ベランダ近くの棚に置いた。嬉しそうに花を見つめ、香りを堪能している。喜びを隠しもしないみょうじは、花を楽しむあまり風間の存在を忘れがちになるが、それも悪くないと風間は思う。

「あ、ごめん」

贈り甲斐があるし、何よりじっと見つめる風間の視線に気づいたみょうじが、今のように照れくさそうに笑うからだ。そうしてみょうじはソファに座る風間の隣に座り、ありがとう、と目を合わせて言われれば、悪い気はしない。少し高い位置にあるみょうじの頬に手のひらで触れ、引き寄せると恥じらうみょうじが唇を寄せてくるのも、花を贈るときの恒例になりつつある。

「ん……」

触れあうだけの口づけを何度も重ね、吐息とともに薄く開かれた隙間に舌を捩じ込む。深くなっていくキスに今では慣れたみょうじだが、付き合い始めたばかりのことはガチガチで、唇をぎゅっと噛み締めているほどだった。その時の必死な顔を思い出して思わずクッと笑いが漏れた。

「そぉや、くん……?」

「いや。なんでもない……なまえ」

力が抜けてソファに沈みこんでしまうみょうじの上に乗り上げ、再び唇を重ねる。舌をねぶり、口内を蹂躙するようなキスに必死に応えようとするみょうじが愛おしい。これは、風間だけが知るみょうじだ。世界中の誰も、兄すらも知らないみょうじなまえだ。
無防備なシャツの中に手を差し込むと、びくりとみょうじの体が震えた。風間よりも大きな手が、風間の手首を掴み、制止する。唇を離せば、酸欠からか恥じらいからか、頬を真っ赤にしたみょうじが、困り顔で風間を見つめている。濡れた瞳と唇が風間の欲を煽って仕方ないことを、みょうじはいつまで経っても自覚しないままだ。

「蒼也くん、まだお昼だよ」

「だからどうした。俺は今、おまえが欲しい」

掴まれた腕を引き寄せ、みょうじの手首に軽く噛みつくと、みょうじは慌てて手を振り払った。風間よりずっと背が高いくせに、みょうじの体は薄く、力もさほどない。本当にボーダー隊員だったのか疑わしいほどだ。みょうじの戦闘記録を観たが、別人のようだった。あれがこうなるのか、と思えば興奮も一入だ。
実際に戦うみょうじを見たことがない風間だが、別に構わなかった。非常事態時、安全な場所にいてくれた方が風間の心も安らぐ。

「――なまえ」

「ず、ずるい……」

耳元で囁き、耳を食むとみょうじは容易く陥落した。この声に弱いのは、兄に似ているからかと勘繰ったこともあったが、セックスの間にみょうじが兄の名を呼ぶことはない。みょうじの体に快楽を教え込んだのは、他の誰でもなく、風間だからだ。

「せめて窓閉めて、ベッドがいい」

「いいだろう」

頷き、さっと部屋中の窓を閉めると力なくソファに身を沈めたままのみょうじの両手首を掴み、その体を起こさせた。勢い余って胸に飛び込んでくるみょうじを抱きとめる。やはり身長の割にみょうじは軽すぎる。ことが終わればどこかに食べに行ってもいいかもしれない。
腕を引いて寝室へと向かう。縋るように触れてくるみょうじの両手に独占欲が満たされた。

どれだけ求めても、もっとと願ってしまう。
まだまだ足りないと、欲してやまない。
みょうじのかつての恋が風化し、過去のものになってしまったとしても、やはり風間の胸には不安が付きまとうのだろう。兄が生きていればこんな不安はなかったのかもしれない。いや、そもそもこんな関係になれなかったのかも。ありもしない「もしも」を考えてしまうくらいには、風間蒼也は、みょうじなまえを愛しているのだ。

(今度、女性物の服を贈るのもいいのかもしれない)

おんなのこになりたかった、と兄を亡くしたばかりのみょうじは泣いた。兄の隣に立つのに相応しい容姿の、おんなのこになりたかった、と。
今のみょうじが風間に対してそう思っているのかどうか、定かではない。けれど生まれ持った性別を捨ててさえ好かれたいのだと、思われるくらいに想われていた兄に対して、対抗意識がないかと言えば嘘になる。

「――なまえ」

伸ばした腕を受け入れるみょうじの瞳には、ただ一人、風間だけが映っている。
たったそれだけのことがたまらなく嬉しく、気分を高揚させた。

みょうじと兄の間にあった思い出を、丸ごとすべて塗り替えてしまいたかった。純白のカサブランカの花びらにあった、あの染みのように。少しずつ、ゆっくりでいいから。兄を思い出す時に、同時に自分のことも思い出せばいいと、思う。


落ちない汚れのように、頭の隅で気にしていればいい。
俺のことを、ずっと――ずっと。



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