部誌8 | ナノ


見せない傷跡



「御手杵、飯が済んだら部屋に来なさい」

 顔代わりに漢字で数字の書かれた白いぺらりとした正方形の布を一枚、頭に結んだ紐で眼前に垂らして面を隠した審神者が、夕餉を済ませた者がそれぞれに席を立つ大広間の障子を廊下側から薄く開いてちょうど目の前に座っていた御手杵にそう言いつけた。
 がやがやと話し声が忙しない室内でその言葉を聞きとったのはとうの本人である御手杵とその隣に座っていた鯰尾のみで、ぬばたまの瞳を大きく驚きに見開いた鯰尾が思わず御手杵の顔を覗き込む。
 食事を済ませて座ったまま目の前に置かれた膳を持ち上げようと縁を手で持った中途半端な体勢で、障子の隙間から顔を覗かせた審神者を見上げる横顔に特に変化が見られない事が逆にその瞳には物珍しく映る。
 返事を待つでもなく開けた障子をそのままに白い着物を纏った姿が薄暗い廊下を滑る様に動きすぐに見えなくなる。
 紙一枚隔てた廊下が見えているかのように御手杵の顔は審神者の後ろ姿をしばし追いかけるように動いたが、好奇な視線を向けて口を開こうとした鯰尾に気づいてか膳を持った大きな背中が立ち上がってそそくさと大広間を後にした。

 夜更け過ぎ、夕餉を終えてからとっぷりと日が暮れ庭で季節はずれの虫が細やかに鳴き始める頃。
 ぎしりとひとつ、大きく板張りの床が軋む音に文机に向かい合って本を開いていた審神者が頭に引っ掻けた布を降ろし本を閉じた。
 廊下に面した障子に向き合う様に座った尻を浮かせて座布団の上で正座を直すと、ややあってまるで薄暗がりに紛れそうな細い声が室内にかかる。

「おれ」

「お入り」

 声をかけてからたっぷり一拍開けてから動いた障子の枠に嫌そうな顔が目に浮かぶと布の下で面を苦笑いに歪ませた審神者の前で、開いた障子の影からまるでこれから叱られる子供のような眉をハの字に下げた顔の御手杵がのっそりと室内に入ってきた。
 審神者が自分の目の前を手で差すと躊躇いがちながらも胡坐を掻いて座る辺り申し訳ないという自覚が少なからずあるのだろうにと、その鼻から軽く溜息が漏れ眼前の布をわずかに揺らした。

「服を脱ぎなさい」

 そう言って文机の下に置いてある小さな木箱を手繰り寄せると言われた御手杵はハの字の眉間にしわを寄せるといった器用な表情を見せ、それが拗ねているのか不満があるのかどちらにしろ明確に意思表示をしない限りは考慮するつもりもない審神者が催促するように木箱の蓋を爪でコツコツと叩く。
 ほどなくして不満げな顔はそのままに常の着慣れた服の前立てを開いて袖を抜くと、部屋の隅に置かれた淡い間接照明の橙色の光に照らされた、輪郭がどこかまろい御手杵の頬に一瞬だけ緊張が走るのを審神者が見逃すはずもなく。
 気まずそうに俯きながら上着の下に着ている白いシャツも言われるまでもなく勢いよく脱ぎさる。
 露わになった上半身の色は温かな照明の下で見ればなお抜けるように白く、北欧系の人間に見られる静脈が透けるような青白さとはまた違ったのっぺりと陶器のそれに似たような違和感のある白さが彼が人ではない事を改めて意識させられるようだと肌の上に視線を滑らせる審神者は思った。
 その視線は腹から臍の窪みをなぞり鍛えられた腹筋の影を追って胸の膨らみを通り過ぎた辺りでひたりと止まる、丸い左肩の輪郭の内側、丁度鎖骨の終わり辺りの肌が痛ましいほどにどす黒く染まり赤黒い滲みの周辺をぼんやりと変色した黄色が覆っている。
 打撲というには痛々しく怪我というには皮膚の表層には裂け目も何もない。
 改めて深くこれ見よがしに溜息を吐いてやれば、口を引き結んでそっぽを向いていた顔が渋そうに顰められ審神者は手繰り寄せた木箱を開いて簡易式の手入れ道具を取り出した。

 清めの水を含んだ手拭いで患部の表面を拭われると流石の仏頂面も痛みに頬を強張らせるがそれを気にした風もなく、男の指先が油を塗っては薄紙で余分を拭いを繰り返す。
 人間で言えば傷口を清め薬を塗るようなもので薬とは審神者の触れる先から流れ込む霊力である。
 腰を浮かせて近づいた審神者が無言のまま隠していた傷を暴いて手入れをしている事に、酷く尻の収まりが悪い気持ちで御手杵も口を噤んでいるがほどなくして終わったという言葉の代わりに裸の肌に直接触れた少しかさつく手の平は、外気に触れて冷えていたのかあるいは霊力が流れ込んできているのか体温が染み込むようにじんわりと温かく、御手杵は意図せず強張ったままの肩から力が抜けるような心地だった。

「お前の事だから怪我をするなと言ってもするだろうがせめて隠してくれるな」

 労わる様に不吉な色の痣などもとよりなかったような本来の白さに戻った肌をそっと柔らかく撫でる指先に被せられた言葉に、御手杵は思わずその手を取って強く握り締めた。
 加減をしなければ人の体のなんと脆い事か、それでも握り締めたその指先を砕いてしまうかもしれないという危惧など頭の隅に追いやって、見つめた布の面は相変わらず白い色に墨の黒い文字が浮いているばかりで怒っているのかあるいは不出来なやつと笑っているのかすら分からずそれが御手杵にはなぜか酷く忌まわしく感じられた。
 空いたもう片方の手が顔を隠すその布に伸びるのと審神者の手が痣のあった御手杵の左肩を、とん、とほんのわずか本当に軽い所作で押すのではそちらが一瞬早く。
 傷は治っているはずなのに鋭く脳天を突き抜けるような激痛に大きな体が体が跳ね暴れて後ろに倒れ、それを追うように審神者の喉を鳴らす低い細やかな啜り笑いが室内に響いた。

「さっさと服を着て今日はお帰り」

 手入れ道具を木箱に片づける姿は己の刀の一瞬の無礼をまるで柳が風受けたかのような涼しさで一片の余韻も残しておらず、それがなんだか酷く悔しい気持ちで御手杵は畳に転がりながら恨めし気な瞳で見上げていた。




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