部誌8 | ナノ


日常の隙間



吐き出す息が白く染まる。
早くに去ってしまう夕日を見送り、今はもう星が夜空を彩る。わずかに残るオレンジ色の名残を残した冬の空を見上げると、あなたの声が聴きたくなる。
胸が切ないくらいに、あなたに、逢いたくてたまらなくなるのだ。

寒さにかじかむ指で、携帯電話を操作する。覚えてしまった番号を呼び出して、コール音を聞く。

 ――もしもし?

耳に届いたその声に、ぎゅっと胸が痛んだ。



俺、赤葦京治が梟谷学園高校に進学を決めたのは、受験のシーズンまっただ中だった。
誰もが進学先を決定し、その学校に向かって勉強を始めているなか、俺だけが、まだ志望校すら決まっていなかったのだ。
将来のことなんて想像もつかなかった。未来の自分がどうなっているのか、どうなりたいのか、なんて判らなかった。自分の選んだ先に待ち受けているのは、もしかしたら不幸なのかもしれない。自らの選択がその先の未来に及ぼす影響を考えて、情けないことに、尻込みしていた。先の見えないもののために何かを決定することが、怖くてたまらなかったんだと思う。ただ、バレーボールという競技だけが、俺のなかで特別だった。

中学に上がるとき、進学のことなんか考えもせず、そのまま持ち上がりだったせいなのか。小学生時代と変わらないまま、俺はバレーを楽しんでいた。そこに突然突きつけられた「将来」や「進学」といったものは、俺を混乱させるのにだったのだ。
結局どうすればいいのかわからず、でも先生や親がうるさいなか、進学先も決めずにバレーを続けていた俺に、バレー部顧問が提案した進学先のひとつが、梟谷学園高校だったのだ。

「いいじゃん。行って来れば?」

ふう、と吐き出された煙がわずかに顔にかかって、思わず顔をしかめてしまった。ごめん、と小さく謝ったそのひとは、俺から視線を逸らし、その背中をこちらに向けた。意識がこっちに向いているのはわかる。でも、こっちを見てくれないことが寂しい。

「何を迷うことがあんの? お前にはそれしかないんなら、行くべきでしょ」

「でも、」

東京は、遠かった。
今では新幹線も飛行機もあるし、電話やメール、SNSもある。今生の別れという訳でなないけれど、気軽に会えない距離になる。
ベランダで蛍族よろしく煙草を吸うこの幼馴染みに、今までのように逢えなくなってしまうのだ。それが、とてもさみしい。あなたは、寂しくないの?

幼馴染み、なんて言っても年は離れていた。隣に引っ越してきた俺を見て、弟が欲しかったんだとか言って、面倒を見てくれていただけだ。母親と同じくらい、一緒にいた気がする。幼馴染はもう社会に出ていて、煙草も吸える年齢で、俺よりずっと大人だった。出会った時から、このひとは俺にとって、誰よりも頼りになる「大人のひと」だった。

「バレーの強豪校なんて、お前にお誂え向きじゃん? バレーしか取り得ないんだし、バレーしたいんだったら行きなよ。せっかく先生が推薦状書いてくれるっていうんだし」

顧問の恩師が勤めているらしい梟谷は、俺でも聞いたことがあるバレー強豪校で。確かに、迷う理由なんかない気がする。東京は遠いけど、運よく異動希望が出せる状況にあるらしくて、親と一緒に東京に行ける。ふらふら進学先を決めなかったせいもあって、両親も歓迎してくれてる。伝手やコネもあって、俺は勉強できない訳でもなかったから、入学を心配することもなさそう。

だけど、東京には。
東京には、あなたがいないじゃないか。

血のつながりもないただの幼馴染に、ついてきてなんて言えるはずもない。
すでに働いてて、仕事もしてるあなたに、こんな馬鹿みたいなわがままなんて言えるはずもない。
いつだってそばにいたあなたがいない状況になるなんて、考えたこともなかった。親よりも近しい存在だったから、だから。

あなたのいない毎日なんて想像もつかないんだ。部活帰りに偶然あってアイスやジュースを奢ってもらうことも、ベランダで煙草を吸う姿を見ることもなくなる。お帰りっていう声が聴けなくなる。何かあったのかって、言葉にできない俺に気付いて、声をかけてくれることもなくなる。今みたいにこうして、隣接するベランダ越しに会話することもなくなってしまう。それがどういう結果をもたらすのか、俺にだってわからない。

黙り込んでしまった俺に、幼馴染は馬鹿だな、って声をかけた。笑みを含んだその声は、俺の錯覚なのか願望なのか、寂しげに響いた。

「バレー、好きなんでしょ? 後悔しないように、行くべきだよ」

俺の幼馴染は、いつも正しい。
何か迷うことがあれば、話を聞いて、指針を示してくれるのはいつでもこのひとだった。だから、きっとその言葉も、俺にとって最良の選択なんだろう。そうだと、わかっていても。その言葉をあなたから聞きたくはなかった。

「でも――――さびしい、よ」

「永遠の別れでもあるまいし。泣くことじゃない」

隣のベランダから投げ込まれたタオルと受け取り、顔を隠した。その場でへたり込み、座り込んでしまう俺に、ばかだなあ、と柔らかい声で告げた。

「きっと楽しいよ。京治くんみたいなバレー馬鹿ばっかり集まって、一日中バレーばっかやったりするんだよ。今以上に強くなって、今以上にバレーが楽しくなる。友達もいっぱい出来るだろうし、信頼できる仲間もできる。怖いことなんか、どこにもないよ」

目からこぼれたものが、タオルに吸い込まれていく。風呂上がりだったのか、少し湿気ったタオルからは、幼馴染と同じ匂いがした。

「嫌なことがあれば逃げてくればいい。幼馴染の誼で、匿うくらいはしてあげる」

だから、いってらっしゃい。

告げる言葉は優しくて残酷で。
俺は声を殺して、震える体を押さえつけるようにして、泣いた。
暗闇の向こうで小さな星が瞬く、冬の夜だった。



あれから二年が過ぎた。
身を切るような寂しさと切なさも、慣れれば堪えられないこともなかった。
子供だった俺は、自分の感情にどんな名前がついているのか、知らずにいた。今はもう知ってしまった感情は、まだ俺のなかにある。

例えば。
朝目が覚めて窓を開けたとき。
通学中、小さな花が咲いているのに気付いたとき。
学食でメニューを確認したとき。
授業中のふとした瞬間。
部活中トスや連携がうまくいったとき。
チームメイトと一緒の帰路の途中。
いつだって俺は、あなたを思い出す。

 ――さすがは京治くん。

そう、褒めてくれたあなたの姿を、探してしまうのだ。
もうこれは、どうしようもないことだと思う。三つ子の魂百まで、みたいな感じで、俺に刻み込まれてしまっている。今更どうこうできる問題じゃないし、どうこうしたいとも思わない。

努力しなければ消えてしまいそうな縁を必死につなぎとめたのは、俺だった。
高校合格のお祝いにと、必要と感じなかった携帯電話を親に強請ったのは、幼馴染との縁を絶やさないためだった。かのひとの宣言通り、友達も仲間も増えて、メモリは幼馴染だけではなくなっている。それでも、短縮ナンバーの0番は、変わらず幼馴染であり続けた。
頻繁に連絡をとる訳でもない。交わしたメールは、お互いの誕生日と新年のお祝いくらい。何か特別なやりとりがあったわけでもないけど、やっぱり、俺の特別は今も昔もたったひとりだ。

冬の夜空は、いつだってあのときのやりとりを思い出させた。
寂しさと切なさはいつも俺の隣にあって、やるせなさにどうしようもなくなることもあった。それでも、情けない姿をさらすまいと、ここまでなんとか踏ん張ってきた。

電話を手にしたのは、何故だろう。
お守りのように大切にしてきたその電話番号をプッシュしてしまったのは、どうしてなんだろう。
電話を持つ手が震えるのは、コール音がやけに響いて聞こえるのは。

 ――もしもし?

声を聴くだけで、涙が出そうになるのは、どうしてなんだろう?

答えなんかとうに出ていて、二年経っても忘れられなくて、忘れるつもりもなくて。
日常のふとした瞬間にあなたを思い出すくらいに、俺は、あなたを想い続けているのだ。

どうかあなたも、そうであればいいと思う。

「――久しぶり」

遠く離れたこの街から。
あなたをずっと、想っています。



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