部誌8 | ナノ


Boys be ambitious!



日本のごく一般的な学生が、学校という場で円滑な社会生活を送るためには常にコミュニケーション能力が求められている、と現役中学生のなまえは考察していた。コミュニケーション能力という言葉をひどく狭義に理解すれば、学生内での暗黙のルールに従う協調性だったり、目立ちすぎず孤立しすぎない適度な自己主張だったり、学校内での立場を理解した振る舞いを心がけることだったり。それは客観的な合理性などない、年長者が年少者を、ヒエラルキー上層が下層を支配するためのシステムから排除及び敵視されない為に必須のスキルだった。
そして、なまえはその能力を欠いていることを自覚している。もともとマイペースで、自分の領域が他人に干渉されることが耐えられないタイプだ。常に「空気を読んで周りに合わせる」ことを要求される中学校生活は、彼にとって非常にストレスであり、特に上級生が下級生を威圧し、同学年でもカースト上位の者たちが力を持つ部活動には、一年耐えるのが精一杯だ。そんななまえが居場所を求めたのが、隣の三門市にあるボーダーという組織だった。
ボーダーについて情報収集するうちに、その組織への憧れはどんどん高まっていく。ニュースに取り上げられたり広報サイトで扱われるボーダー隊員は、年齢のわりに随分大人っぽく見えた。彼らはきっと、幼稚なルールに縛られることもなく、自分の力を発揮しているのだろうと、一方的に憧れた。あそこにいけば、この息苦しい学校生活から解放されるかもしれない。一度抱いた希望を払いのけるのは難しく。ボーダーで前線に出て戦うスタッフ――防衛隊員というそれは、年齢の若い者を優先して募集しており、当時中学二年生だったなまえにとっては願ってもない条件だった。ボーダーに入隊するという理由ならば、退部について追及されることもないだろうし、あわよくば授業だって公に休めるかもしれない。元々学校の成績は上位にあったから、両親だって文句は言わないだろう。
そうして入隊したボーダーは、なまえの想像を遥かに越えて肌に合った。まず、知り合いがいないので誰に気を遣う必要もない。C級隊員としての訓練も個人単位なので、自分のペースで技術を磨くことができる。なにより、なまえにはトリガーを使う才能(トリオン能力というそうだ)があったらしく、同期入隊者との個人ランク戦で勝ち星を重ねることができた。あまりに楽しい日々に、ここが自分の求めていた場所だったのかと感激したほどだ。無理に誰かと関わる必要もない、特別親しい友人がいなくても異端視されない。ボーダーはなまえにとって理想郷のごとき場所だった。まったりと、けれども着実に、一度も点を減らすことなく、なまえは入隊から半年過ぎにB級へと昇格した。の、だが訓練生であるC級と正隊員であるB級以上は根本的に違うのだという事実が、浮かれたなまえを打ちのめすのだった。

放課後を迎えた学生たちがいっきに出勤し、本部のラウンジは隊員たちで賑わっていた。ざわざわと騒がしいその空間の隅で、なまえはテーブルの上にタブレット端末とノートを広げ、ボールペンを握ったままに硬直していた。訓練生の白い隊服から一新されたネイビーのジャージを纏った少年は、白いままの紙面を凝視している。傍目には不審なその姿は、なまえが考え事をするときの常で、その頭の中はさきほど耳にした話を反芻し、絶望の悲鳴を上げていた。
「B級で上に行くには師匠を持つのが普通なんて聞いてない!」
心の底からの叫びは、彼の脳内でのみ響き、発声されることはなかった。意味もなくノート上にぐるぐると黒い線を引きながら、なまえは顔見知りの同期とのやりとりを思い返す。「友人ではない知り合い」程度に親しい彼は未だC級だが、なまえの昇格を喜んでくれたようだ。そして彼は当然のごとく「師匠は探してるのか」と訊ねた。
――なまえは同期生と私的な交流をほとんど持っていない。所謂「ぼっち」である。そのことについて負い目や劣等感はないが、コミュニティ内のならわしや暗黙の了解などについての情報についてはどうしても疎くなってしまう。そのせいで知るのが遅れた重大な事実。ボーダーでは技術を持った隊員が他の隊員を弟子として自らの技術を教えることが習慣化しているということ。
うわあああ、と叫びだしたい気持ちをぶつけられたノートは、強烈な筆圧で引かれた線が集合して洞穴のような黒い丸を作り出していた。通りがかった者がぎょっとするのも気づかずに、立ちはだかった大きな問題になまえは頭を抱えた。師匠って、師匠ってどういうことだ。なまえなど足下にも及ばない実力者に指導してもらうというだけでも申し訳なさすぎてとてつもなくハードルが高いのに、「ぼくの師匠になってください!」と見ず知らずの人間に頼みにいくというのはなまえにとって断崖絶壁から飛び降りるに等しい芸当だ。ここでも結局コミュ力が必要とされるなんて。というか他の人たちはどうしてそんなことを普通にできるのだろう。人間としてのそもそもの作りが違うとしか思えない。師弟システムについて教えてくれた知人には適当にはぐらかしたが、なまえが師匠を探すことに積極的になることはないだろう。
試しに射手の強者を挙げてみる。二宮、出水、加古、那須――浮かんできたそうそうたる面々に、なまえは結論を導き出した。無理だ、と。師匠がどうとかでなく、根本的に自分のような根暗コミュ障が話しかけていい相手ではない。なまえは師匠を持つことをすっぱり諦めた。そもそも誰かと競って強くなることに興味はない。なまえは自分のペースで技術を磨いて、自分なりに満足できれば十分なのであった。
懸案を思考の外に追いやり、なまえはノートのまっさらなページを開いて、いつものようにランク戦の映像記録を分析する作業を開始した。実践での射手の動きを見てノートの書き貯め、訓練で実践してみるというやり方が、なまえには一番性にあっているのだ。ストレスに胃と頭を痛めてまで誰かに師事し、誰かと競って強くなる必要は、なまえには全くないのである。

――それが、どうして、こうなった。
個人ランク戦ブースに備えられたマットレスへ十回目の緊急脱出を果たしたなまえは、呆然と天井を眺めていた。
B級昇格を果たして半年、結局なまえは師匠も持たず、どこのチームにも所属していなかった。師匠はともかく、チームについては、幾度か誘いをを受けたことがある。半年の間に個人ランクもそれなりに上がってきたので、戦力強化やメンバー補充のためにフリーの自分が誘われるのは何一つおかしくないのだが、なまえは一度として誘いを承諾したことはない。なまえには「上を目指す気がない」のだから、強くなるためのチームに自分のような者が居てはいけないだろうといつも断るのだ。それに、知らないひとたちと集団でいるなんて考えただけで気が重いし。だからなまえはチームに所属しない。「個人ランク戦で負けたらチームに入れ」と食い下がる人は、仕方ないので全て負かしてきた。そして「ぼくなんかよりチームにふさわしい人がいますよゴメンナサイ!」と言って逃げてきた。敵を作るような言動をしてきたことはなまえも自覚しているが、空気を読んで嘘をついたり、やりたくもないことをやるよりは、ずっとマシだと思っていた。なまえを良く思っていない人は少なくないだろう。しかし、けれども、だとしても、ナンバーワン射手の恨みを買った覚えはない――!
背中を湿らす冷や汗を感じながら、なまえはつい十五分ほど前の出来事を回想する。いつものようにラウンジで一人、ランク戦の記録映像(出水と米屋の個人ランク戦のものだった)を眺めて戦い方の研究をしていると、テーブルに向かうなまえの上にぬっと影が落ち、訝って顔を上げたところ――思い出すのも恐ろしいのだが――あの特徴的な隊服を纏った二宮匡貴が無表情で見下ろしていたのだ。黒スーツという威圧感バリバリの服装に加えて、研ぎ澄まされた刃物のように怜悧な美形に睥睨されて、なまえは考えるより先に額がテーブルを打つほどに頭を下げた。
「ぼくが何かしでかしてしまっていたならすみません許さなくていいので殺さないでください!」
一世一代の謝罪を、二宮は全く無視した。眉一つ動かさないで、イケメンに相応しい美声で簡潔に語ったのだ。
「俺とランク戦をしろ。十本だ」
拒絶する、逃亡するという選択肢は残されていなかった。断ったらその瞬間にアシテロイドで蜂の巣にされそうな迫力だったのだ。なまえは裏返った声で返事をして、個人戦ブースに入り、二宮にボコボコにされた。そりゃもう、手加減など微塵もなく、徹底的に、完膚なきまでに。なまえは抵抗も反撃も許されず、ハウンドに射抜かれ、メテオラに木端微塵にされた。二宮はスーツのポケットから手を出すこともせず、十回きっちりなまえを殺した。
そういえば降り注ぐ弾丸の合間に、二宮が何事か言っていた。微かに聞こえていたはずなのに、どうしても内容が思い出せない。頼んだらなんと言っていたのか教えてくれるだろうか――マットレスの上でしばらく放心状態にあったなまえは、ようやくハッと気が付いて慌ててブースから飛び出した。試合は終わったのだから、モタモタしていては二宮は立ち去ってしまうかもしれない。
ロビーに出ると、今の試合を見ていたらしい隊員たちがなまえの姿にざわめいた。格上も格上の相手に叩きのめされたなまえを見る目は、奇異が半分、同情が半分といったところか。しかしそれよりも今は二宮だ。なまえはすぐそばにいた隊員を捕まえて「二宮さんは」と問うた。
「二宮さんなら、とっくに出ていって、どこか行っちゃったけど……」
「ですよね……」
なまえは脱力して、へらりと笑った。訳が分からなさすぎて、笑うしかない。雲の上にいるような人が、どうしてなまえに目を留めて、結果のわかりきっているようなランク戦を要求してきたのか。
気遣わしげな周囲の視線がわずらわしく、その日なまえはいつもよりだいぶ早く帰路についた。自転車を漕いで隣町の自宅まで戻り、普段のように夕食を摂り、宿題を片付け、風呂に入り、十時には布団に潜り込んだ。部屋の電気を消すと、頭の中は今日の出来事を思い返し、整理する作業に入る。
今日は何と言っても、二宮との試合が強烈だった。手も足も出ないというのは、きっとああいうことを言うのだろう。目を閉じれば、目蓋の裏に試合の記憶が再生される。なまえの百手も先を読むような戦い方。射手としての弾丸の扱いもなまえでは遠く及ばないほどに二宮は洗練されていた。あれが一位の戦い方。上を目指す気がない自分が、そんな人にこてんぱんにされたところで、悔しさすらない――。
そのとき、なまえはちくりと胸が痛んだような気がした。心の奥底のほうに、棘が刺さったような違和感。その痛みが、試合後からずっと気にかかっていた一言を、脳裏に呼び起こした。
才能を持ちながら活かそうとしないのは、怠慢だ――。
そうだ、二宮は確かにそう言っていた。それを思い出した途端に、棘がもたらす痛みは強くなり、ずきんずきんと存在を主張し始めた。怠慢ってなんだ。どんな気持ちでボーダーをやってようが、ぼくの自由じゃないか。今日初めて喋った二宮に言われる筋合いはないだろうに。
そう自分に言い聞かせながらも、胸は無視できないほどに痛んでいた。この痛みはきっと、悔しさだ。師匠を持たず、技術を向上させる最大限の努力をしていなかった自分がどんなに弱いかを、思い知らされた。
「な、ないちゃだめだ……」
自分の弱さが悔しくて、努力を怠ったことが腹立たしくて、なまえは溢れる涙をとめることができなかった。



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