部誌8 | ナノ


約束



物心ついた頃には、俺に父親という人は居なかった。
母には、「まーくんのお父さんはね、交通事故で、まーくんが産まれてくる前に、亡くなっちゃったの」と聞かされて育った幼少期。
その後、離婚という言葉を知った時は、もしやあの母の言葉は嘘であり、実際は父親とは死別したのではなく、仲違いだとか、DVだとかが原因で、離婚したのではないか。
という疑念が頭をよぎったこともあった。
けれど、時折自分の世話をしてくれていた母方の祖母の苗字が、母と俺の苗字と違うことに気づいたり、よくよく気にしてみてみれば、母と二人で暮らす狭いアパートの一室には、亡くなったと聞かされて育った父と、母の笑顔の写真が、いくつか飾られていたり。
そんなことに安心したり、やはり父親がいないことで、クラスメイトが話す父親というものを恋しがったり、寂しがったり。
複雑な思春期を、片親のもとで育ったという環境下では、比較的「ありがち」な範囲の心境を、俺は持ちながら育っていった。

その分、自分は普通以上に幸せになってやる。
俺を育ててくれた母親のことも、俺が大人になったら、幸せいっぱいにしてやるんだ。
そんな信念を持って、俺は学生時代を過ごしていった。

義務教育を修了し、公立高校へ進学して、本当は高校を卒業したら、すぐに仕事に就こうと思っていたけれど、母の強い勧めで、大学にまで進学させてもらい――
就職氷河期と言われた中、なんとか中小企業の営業にて職を得ることができた。
あとは恋人ができて、結婚して、そして子供を作れたら。
幸せな家庭を作れたら。
そんなことを、思いながら、仕事を頑張っていた数年間。

会社同僚との飲み会で、「お前もとうとう三十路か!」と、祝われ半分、からかい半分を過ごしたような年の瀬に、珍しく母から電話が携帯の留守メッセージに入っていた。
良いお年を!
そんなお決まりのあいさつを交わして、一人で暮らすアパートの最寄り駅からの帰り道。
まだ酔いの抜けない頭に、携帯を耳に付け、メッセージを再生する。
――母の、急死の連絡だった。


母は、祖母の介護のため、俺が働きに出た頃には、祖母の家で二人で暮らしていた。
その母の、急死。
いつもなら、朝食の支度をして、祖母の寝起きを手伝ってくれるというのに、その日は祖母が目を覚ました時にも、家の中からは物音ひとつしなかったらしい。
祖母が母の寝室に向かうと、ベッドの中で、すでに冷たくなっていた母が居たそうだ。
救急車と警察を呼び、検死がおこなわれたが、事件性もなく、心筋梗塞、という結果で、遺体は返された。
連絡をするのが遅くなったのは、祖母が携帯を操作できず、近所の人に操作してもらって、あの時間になったのだ、と。
そんなあらましを、娘が自分よりも先に、しかも、こんなに急に逝ってしまい、涙をぼろぼろと流し悲しむ祖母が俺に説明してくれた。

年の瀬の葬儀は、何かと忙しかった。
すでに過去形の話である。
今は年を越して、一月。
正月もなにもあったもんじゃない、そんな年始になってしまった。

未だに母が亡くなったという実感がわかない。
火葬場で骨となった母を見た時は、さすがに泣きはしたが、それでも、どこかふわふわとした頭の中で、母は今までと同じように、祖母の家で暮らしているように思えてならなかった。
思い出そうとすれば、いくらでも母との思い出が溢れてくる。
自宅のベッドに横になりながら、暖房の効いた部屋で、うつらうつら、母との思い出を振り返っていた。
その時、視界に入ったのは、自分の携帯。
座椅子の上に、帰宅してから、ぽんと置いたままだったのを思い出す。
誰かから、連絡が入っているかもしれない。
そう思って、俺はとりあえず、ベッドから腕だけ伸ばし、携帯を手に取った。
ロックを解除し、ホーム画面をぱっと見たところ、メールも着信も、知らせる表示はなかった。
いつもの癖で、メッセージアプリを立ち上げる。
一番直近のやり取りをしたメッセージが目にとまり、そのまま、俺はその相手への音声発信のボタンを押した。
一分にも満たない呼び出しの後、相手の声が聞こえる。

「あのさあ、今思い出したんだけどさ。俺、母さんとね、約束してたのよ。あんたが好きな人できたら、すぐにお母さんに教えてね、って、母さんの言葉。けど、俺が好きになったの、お前じゃん。男じゃん。あの頃には、すっかりそんな母さんとの約束、忘れてたけどさ、それは別として、こりゃ母さんにはしゃべれねーなって思ったのよ。それに、もしかすると一過性かもなって思ったし、お前との関係。だから、葬式にも、別に来なくていいよって、俺、言っちゃったけどさ、俺、やっぱりお前のこと好きだし、お前のこと、母さんに、遅くなっちゃったけど、ちゃんと見てもらいたいからさ。今度、母さんのお墓、一緒に行ってくれん?」

一気に喋りかけた俺の言葉の後、恋人の声が聞こえて、俺の頬に涙がつたう。

母さん、俺、好きな人が、居るよ。



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