部誌8 | ナノ


珈琲党と紅茶党



「コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「酒」
 ぐらぐら揺れる頭を抱えてダイニングテーブルに突っ伏したザップは、示された選択肢を無視して横暴に呻いた。とにかく喉が乾いて、脳がアルコールを欲しているのだ。椅子に腰掛けてテーブルに額をつけた体勢だと、胃の内容物がうっかりせり上がって来るが、唾とともに喉元まで出かけたものを押し戻す。
 歪む視界に、ガラスのコップが軽い音を立てて置かれた。コップの中で波打つ液体は透明無臭で、どう見てもそれはザップの要求したものとは異なっていた。抗議を込めてなまえを見上げるが、彼は肩を竦めるだけだ。
「……水じゃねえか」
「水だよ。もう酒は十分飲んだろ」
「コーヒーでも紅茶でもない」
「あれは客人への決まり文句みたいなものだから?」
 つまり、最初からまともにもてなすつもりなんてなかったんじゃないか。サービスの悪いなまえにザップは舌打ちをするが、文句を言いながらも、出された冷水を一気に飲み干した。酒と煙草とドラッグのコンボに痛めつけられた喉が潤う。まるで船の上にいるような視界が、多少まともになったのはありがたいが、やはりザップが欲しいのはアルコールだ。一発で正気が飛ぶようなどぎついやつ。
「そんなのウチにないし、あっても出さないよ。ザップのゲロ片付けるのは二度とごめんだね」
「ンだとゴラ。こんなもん、酔っぱらってるうちに入らんわ! これっぽっちで誰がゲロるか!」
「酔っぱらいの主張は信頼に値しない」
 呻くザップの向かいに、湯気を立てるマグカップを手になまえが着席した。ふわりと嗅覚を刺激するのはかぐわしい香り。ザップはすん、と鼻を動かした。コーヒーだ。客には水しか出さないでいて、彼は自分だけ優雅にコーヒーを堪能するというのか。家主の横暴だ。
 深夜のダイニングキッチンでなまえはコーヒーを啜り、ザップは苛立ちもあらわにテーブルへ頬杖をついている。男二人無言で向き合うこと数分、時計の秒針が進む音が響く空間は非常に居心地が悪く、ちらちらとなまえへ視線をやりながら舌打ちをした。なまえは両手でマグカップを包んだままザップを一瞥してにこりと微笑んだ。
「どした?」
「……夜中に俺が突然転がり込んで、何も言わねーのかよ」
「言われたいの?」
 首を傾げるなまえに、ザップはもごもごと言葉を濁らせる。彼らはライブラの同僚かつ友人で、ザップが女の家を追い出されたときなどはたまに寝床として滞在することもあった。補足すると、なまえはザップの乱れた生活を正させたいようで、寝泊まりする場所を借りる対価に、常々女遊びや金遣いの荒さについて小言を聞かされている。普段ならば耳にタコができるほど聞かされた文句が今日だけ飛んでこないというのも座りが悪かった。
 もう一杯水を飲むか、とコップを示すなまえに頬杖を突いたままに小さく首を振る。「そう」とそっけなく答えて、なまえは空になったマグカップとコップを手に席を立った。シンクに向かい、彼は洗い物を始める。やたらに流し込んだ酒のせいでじんわり重い目蓋を煩わしく思いながら、ザップはもやもやとした気持ちのままなまえの背中を眺めた。
 なまえは手元に目を落としたまま、水道の音に消されないよう、少し声を張って喋りだした。
「女の子と別れてきたんだろう」
 ザップは、ムと口元を窄めた。図星である。
「知ってたのかよ」
「さっき、べろんべろんのお前から電話があったときに察した。どうせ家も追い出されたんだろ。傷心のお前をわざわざ説教するほど、おれも酷じゃないよ」
 夕食で使った食器と、先ほどのマグカップとコップを食器洗浄機に並べながら、なまえは肩を竦めて笑った。全てお見通しだというように、動揺一つなく真夜中の闖入者を迎え入れた彼に、わずかな悔しさを抱く。ザップと年齢は変わらないはずなのに、妙に老成していつでも余裕を忘れない彼が、どうにも癪でたまらなかった。
 なまえは濡れた手を拭いてから冷蔵庫を開ける。中を覗きこみながら、動かす口は休ませない。
「女性を口説きたかったら、相手の嗜好を知ってると強いぜ。とくに飲食物だ。プレゼントでもいいし、食事に連れ出してもいい」
 その口振りは、まるで異性との駆け引きならお手の物だと言うようだった。女遊びなどしているのを見たこともない友人に指南を受けるなど全く予想外である。ザップは珍獣にでも出会ったかのごとく瞠目して、それから顔をしかめた。
「まさかおまえからそんなテクニック教えられるとは、夢にも思わんかった……」
「テクニックっていうか持論」
 冷蔵庫をごそごそしていたなまえは、一本の缶飲料をザップの前に置いた。金属が木製のテーブル板に当たって軽い音を立てる。
「ビールでいいだろ。失恋したザップに、おれからの見舞いだよ」
「なんか、今日のなまえは甘すぎてこえぇ」
 大げさに震える身振りをしながら、ザップはありがたくそれを受け取った。タブに指をかけて引き上げれば、小気味よい音が響く。さっきと同じように向かいに座ったなまえも、同じビール缶を手にしていた。
「ザップのクズがもう少しまともになることを願って」
「喧嘩売ってンのか」
 二つの缶がカランとぶつかった。喉を湿らすアルコールに「まあ酒が飲めるだけマシか」と妥協する。そういえば、とザップは酒と薬のぬけない脳味噌で、ぼんやりと思考した。なまえが酒を口にする姿を見るのは、これが初めてだ。



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