部誌8 | ナノ


Marry me?



「けっこんしてください」

舌足らずな言葉で、背伸びをして小さな一輪の花を差し出した少年を、なまえ・みょうじは見下ろした。病弱な少年の顔は緊張のためか赤く、花を差し出した手は震えていた。あまりにも健気なその様子に、無下に断るのは可哀想に思えてならなかった。

「そうだなあ、まだおれたちどっちも結婚できる年齢じゃないからさ」

だから、大人になってもクラウスが同じ気持ちだったら、結婚しようか。

このときの言葉に、なまえ・みょうじは並々ならぬ後悔を強いられることになろうとは、神様でも知らなかったに違いない。



「誰がこんなこと予想できた!? おれ悪くなくない!?」

ダン! 大きな音を立ててビールジョッキが机に叩きつけられる。小さな音を立ててジョッキの底にひびが入ったのを横目で確認しながら、スティーブン・A・スターフェイズは明後日の方角を見ながら適度に相槌を打っていた。だって絡み酒なんだもの。面倒くさい。

「おれの……おれの気持ちがわかるか、スティーブン……久々に再会した一回あっただけの純真無垢な少年が、ガチムチマッチョになってあの時の言葉を掘り返してくるなんて……」

おれ、尻の穴がきゅっとなった。
カウンターに顔を伏せて呟いた言葉は、残念ながら喧噪のなかでもスティーブンの耳に届いてしまった。話を聞いてやっているだけのスティーブンは、その背中を宥めるように叩いてやることくらいだ。
HLの場末の酒場は騒がしい。無法者が集うこの酒場にはハイクラスの人間が来ないという、それだけの理由で選んだが、案の定安酒しかなくてスティーブンはすでに帰りたくなっていた。家でコンビニで買った缶ビールでも飲んでた方がマシだ。隣の友人は悪酔いしているが、これは別に安酒が原因ではない。胸糞悪くなるようなまずい酒でも、酔えればなんでもいいというクソどうでもいい精神からくるものだ。まあ彼の現状を鑑みるに、その苦労は想像に難くないので、スティーブンは文句も言わず酒の席に付き合ってやっているのである。

「つらい……何がつらいって、性格ほとんど変わってないあたりがつらい……手ひどく振るとかできない……」

「ああ……うん」

「ザップみたいなクソならよかった……」

「いやザップだったらこんな事態にはなってないだろ」

「うええええええええええんビールおかわり」

顔を伏せたままビールジョッキを差し出すものだから、スティーブンは仕方なしにそれを受け取り、ひび割れてしまった詫びのチップ代含め、多めの金額を店主に渡した。ついでも灰皿を要求し、懐から煙草を取り出す。火をつけた煙草から出る煙を肺いっぱいに吸い込みながら、スティーブンは本日の出来事をぼんやりと思い出していた。

ことの始まりは、この隣で悪酔いしながら嘆いているなまえ・みょうじの帰還だった。
世界中をどさ回りして怪異と戦っているなまえは、元を言えばライブラ米国支部の一構成員だった。牙狩りとして独り立ちする前に、師匠にあたるブリッツ・T・エイブラムスに世界中を連れまわされていたというなまえは、スティーブンと顔見知りになる頃には一目置かれる存在となっていた。要請があればどの国にも訪れるとはいえ、なまえの管轄は米国だった。HLがNYのあとに誕生するまでは。

異界と繋がってしまったHLに、ライブラの主力メンバーが集まることになった。なまえのその中の一人に名を連ねていたのだが、早々に外れることになった。HLに主力メンバーが集まりすぎたせいで、他の地域の手が足りなくなってしまったのだ。HLは【血界の眷属】どもの出現率も高いと考えられ重要視されているが、だからといって他をないがしろにしていいとは限らない。【血界の眷属】も、それ以外の怪異も世界中に存在するからだ。
HL支部のメンバーからなまえが外れてしまったのは、師であるエイブラムスの影響が強い。なまえ自身もまた、師と同じく超幸運体質だったのだ。世界中を飛び回るエイブラムスと容易にコンタクトがとれ、またその被害に遭わず、要請があればどこの国にも派遣されたので顔も広く、社交的だった。ひとまずHLがどんな街なのか、現状の騒ぎが落ち着くまではと、なまえの参加は見送られたのだった。

HLとして世界に名を響かせるようになって、3年。未だ問題は残るものの、大きな混乱は鎮静化したと判断されたために、HLに集結していた凄腕メンバーは一部を残してまた世界中に散ることとなった。そこで残ったのがクラウスやスティーブン、K・Kだ。後続としてチェインやザップが派遣されてきた。なまえもザップたちと同時期にHLに派遣される予定だったが、ちょうどその時期に欧州の怪異と交戦中で連絡が取りにくい状況だった。長期戦だったその戦いにもけりが着き、引き継ぎと少しの休暇を終えて、なまえはHL入りしたのが、1週間ほど前の話だ。

「やあやあみなさん、お懐かしゅう。久しぶり、初めまして? HLにようやくたどり着きましたわたくし、なまえ・みょうじと申します」

芝居がかった口上と一礼で秘密結社ライブラHL支部に足を踏み入れたなまえが、顔見知りのスティーブンの姿を認めてウインクし、K・Kに投げキッスをして中指を立てられていると、がたりと大きな物音がした。音の発生源へと視線を向けると、椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がったらしいHL支部のリーダー、クラウス・V・ラインヘルツがいて。

「なまえ……!」

「? はい、なまえです。どちらさまですか?」

こてりと首を傾げるなまえに衝撃を受けたような顔したクラウスは、首を振って勇み足よろしくなまえに歩み寄り、その足元に膝をついて、言ってのけた。

「本当に覚えていないのだろうか。あなたは言っただろう。大人になっても気持ちが変わらなければ、結婚してくれると」

静寂。
ぶわっとなまえが汗をかきまくったのを、スティーブンは見た。

その場がうやむやになったのは、堕落王だか偏執王だかが現れてHLを混乱の渦に陥れたからだった。情報が入り、名残惜しそうになまえの手を額に戴き、その手の甲に口づけを落としたクラウスが事務所を出ていく。ザップやK・K他の面々も慌ただしく出ていき、スティーブンもあとに続こうとすれば、ジャケットの裾を掴まれたせいで後ろに倒れこんでしまった。
文句をつけようと振り返れば、ブルーベリーも真っ青なくらいに蒼白な顔をしたなまえが、幽霊みたいな顔でスティーブンのジャケットを尋常じゃない力で掴んでいた。

「たすけて」

文句も引っ込んでしまうくらいやばい顔色のなまえの様子に、スティーブンは同情してしまった。面倒なことに巻き込まれそうな予感しかしないが、致し方ない。早く現場に急行するためにも、スティーブンは適当な紙に場末の酒場の名と場所を記して、ジャケットを掴むこわばってガチガチの手のひらを開き、紙を握らせて今日はもういいからここに先に言っとけ、と告げてその場を離れた。なんとか事件を解決し、クラウスたちと離れて、今この酒場にいるのである。

「ブンどうしよう、冷や汗がとまらない」

「ブン言うな。自業自得じゃないか?」

「だって! ほんとに覚えてるとは思わないじゃないか! 小さい頃の黒歴史作成されてるな〜としか思わないじゃん!」

「告白されたのお前が10くらいの頃だろ? いやなガキだなあ」

「うっさい!」

がたがた震えるなまえをまあまあと宥めて酒を飲ませればすごい勢いで一気飲みし、お代わりを重ねて、冒頭に戻る。その間なまえは「ラインヘルツ家の情操教育はどうなってるんだ」「男同士だぞ、貴族様は子孫残さなきゃいけないんじゃないのか」「30に手が届こうとしている男があんな小さい頃の約束鵜呑みにしたままとかどんな教育だよほんと」「純粋培養こわすぎわろちん」「ギルベルトさんに睨まれた気がするこわかった」「ギルベルトさんほんとこわい」「ちっちぇえ頃叱られた時のがいまだにトラウマなんだけど」「ギルベルトさんこわい」「こわすぎ」とぶつぶつ呟いていた。ほぼ後半クラウスの執事のギルベルトへの言葉でいっぱいだった。

「で、どうするんだ?」

「……どうすればいいんだ……」

絶望を感じさせる声でカウンターに顔を伏せたままのなまえは茫然と呟き――そのまま逃避するように眠ってしまった。

「ふざけるなよなまえ……」

スティーブンが叩いても殴ってもなまえは目覚めず、スティーブンは重苦しい溜息を吐いて安酒を飲み干した。どうせ連れ帰る羽目になるのなら、はじめから宅飲みにでもしておけばよかった。



なまえ・みょうじのその日の目覚めは最悪の一言に尽きた。くそまずい安酒をがぶ飲みしたせいだ。二日酔いがひどい。朝っぱらからスティーブンの家のトイレに引きこもり、ひたすら嘔吐していた。

「もうぼくここんちのこになる……トイレとけっこんする」

「馬鹿か」

げしりと背中を蹴る足は家主のもので、首根っこを掴まれてトイレから追い出される。ゲロくさい、と芳香剤を撒きまくっているスティーブンはYシャツにボクサーパンツに靴下という出で立ちで変な笑いが出た。いや自宅だし好きな格好していいんだけどさ。まじ出勤前のオッサンじゃん。笑うとまた胃が逆流しかけたが、無慈悲にもトイレのドアは閉められた。
我慢できない訳ではなかったので飲み込むと変な味がする。口を漱ごうとキッチンに足を踏み入れた。冷蔵庫の中から水のペットボトルの取り出し、うがいをしてから水を飲む。ソファで寝かされていたため着の身着のままで、ヨレヨレのシャツのポケットから煙草を取り出し、火をつけてからコーヒーでも淹れるか、と家探しした。丁寧に整理整頓されていて、どこにコーヒーメーカーがあるのかわかった。一瞬考えて、ドリップで淹れようと決断。

やけに長いトイレだ。うんこかな、と灰を携帯灰皿に落としながら失礼なことを考えていると、スティーブンはすでに出勤準備をすべて終えていた。綺麗に髭も剃られていたし、なまえと違ってスラックスやジャケットに皺ひとつない。

「悪い、勝手に借りてる」

「別にいい。着替えはどうする? 貸すか?」

「あー――――、うん、貸しといて。出勤2日目で同じ服着てんのもな」

「わかった」

そう告げて踵を返したので、なまえに貸してくれる服を取りに行ってくれたのだろう。いい友人を持った……あとでお礼しよう。
そもそも、あれはもしかしたらクラウスなりのジョークだったかもしれないじゃないか。うっかり本気にとってしまったが、「え、なにこいつ本気にしてんの……引くわ〜」と思われているかもしれないじゃないか! 確かな真実なんてまだわからないぞ! がんばれ! がんばれなまえ! なんたってあれから20年は過ぎてる! クラウスだってジョークのひとつやふたつ!
ドリップにコーヒーを注ぎながら鼻歌まで歌いだしたなまえの背中をスティーブンは残念なものを見る目で見つめていたが、哀しいかな、なまえは気付くことができなかった。

めちゃくちゃに油断しきったなまえがクラウスにスティーブンと恋仲なのかと疑われたことも、「やめてくれなまえとだけは絶対にない」とスティーブンに吐き捨てられたことも、クラウスに食事に誘われ断りきれず、胃の痛いディナーのあとに街のど真ん中で膝をついたクラウスに、どこからともなく取り出した108本の薔薇を捧げられ再プロポーズされることになるのも、未来を察知する術を持たないなまえには判るはずもないのだった。

アーメン。



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