部誌8 | ナノ


Marry me?



 その日、ロード・エルメロイU世の研究室は、混沌を極めた。時計塔の中でも変わり種――有り体に言えば問題児揃いの現代魔術科では事件や揉め事など日常茶飯事であるが、その日はエルメロイU世の元に突然の来客があったのがよろしくなかった。水を縁いっぱいまで注ぎ、辛うじて均衡を保っていたグラスへ、無遠慮にコインを投げ込むようなものだ。ただの水ならば周りが濡れるだけだが、グラスに満ちていたのは“あの”エルメロイU世直属の学生(厳密には学生でない者もいたが)である。「野獣を安易にからかってはいけないと拙は学んだのです。特にハイエナ」と深く被ったフードの下で声を潜めるグレイの声は、普段よりも一層小さく、耳聡い何かを恐れるようであった。
 平素より湿気が多い日だった。古い紙とインクの香りが湿気のせいで主張を強める研究室には、この部屋の主たる現代魔術科の君主(ロード)と、立ち居振る舞いが鮮やかな令嬢が二人、片方は水銀製の自動人形を侍らせている。ついでに部屋の片隅では全身をモノクロの衣服で統一した少女が居心地悪そうに縮こまっていた。特に強烈な存在感を放つのは、ソファで優雅に紅茶を嗜むライネス・エルメロイ・アーチゾルテと、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだ。魔術師の家柄の当主同士ということで、エルメロイU世の前でありながらどうにもピリピリと空気が張りつめていた。
 そこに、「雰囲気を察する」というスキルが全く持ち合わせていない超絶問題児が、火種を全力で投げ入れてきたのが悲しい事件の始まりであった。
「ライネスちゃん、お客さんだよ! すごい美人の!」
 遠慮の欠片もなくドアを開けて飛び込んできたのは、エルメロイ教室が誇る天才、フラット・エスカルドス。常から落ち着かない少年であるが、それに輪をかけて興奮しているらしく、頬が紅潮している。彼がライネスの名を出したことで、轟音とともに開いた扉にぎょっとしていた面々の視線が、ライネスに集まった。とうの姫君は鷹揚に「そうか」と頷くばかり。
「こちらに通してくれ。私が呼びつけた客人だ」
「ちょっと待て、なぜ私の部屋にレディの客人を――」
「兄上もご存知の方さ」
 そうして、彼女はこの騒がしさに眉を顰めているルヴィアゼリッタにも、意味ありげに微笑んだ。微笑みと言っても思いやりや親切心によるものでなく、悪戯と好奇心を多く含んだもの。
「貴女にも喜んでもらえるだろう。貴女が今日ここを来訪していたのは全くの偶然だが、間が良いのか悪いのか」
 現エルメロイ当主の真意の見えない言葉に、ルヴィアゼリッタは怪訝な表情をした。妙に上機嫌なライネスと、異常にテンションが高いフラットという二つの要素は、エルメロイU世に“ろくでもない事件の予感”を抱かせるに十分であった。
 悲しいかな、彼の予感は次の瞬間に的中したのである。フラットが飛び込んできたまま開きっぱなしのドアから顔を覗かせた男の姿を認めた途端、その場に居合わせた者は個性的な反応を示した。ライネスは満足げに口角を吊り上げ、グレイは目を瞬かせ、エルメロイU世は頭を抱え、ルヴィアゼリッタは唖然とした。
「えっと……ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ宛に、“花”を届けに来たんだが……取り込み中か?」
 男――なまえ・みょうじは自らがグラスに投げ込まれたコインである自覚もなく、年齢にそぐわない美貌を惜しげもなく晒している。腕に細長い段ボール箱を抱えて、シンプルなサマーセーターとコットンパンツという装いのなまえは、妙な空気の研究室への入室を躊躇う。その後ろからひょこりと顔を出したのは、現エルメロイ教室では最古参の学生、スヴィン・グラシュエートだ。研究室までなまえを案内してきたらしい彼は、「訪問客の顔を見た瞬間にすっとんで行く奴があるか!」とフラットへの文句を隠さない。
「いやぁ、姫さんにすぐ知らせなきゃって思って」
「学生の品位を疑われるような行動は謹んでもらいたいな」
「それル・シアンくんが言うのどうかと思うけど。ねえ、ルヴィアちゃん?」
 フラットが同意を求めたルヴィアを見やると、彼女は唇を噛みしめて訪問客を見据えていた。ルヴィアはなまえを睨み、視線に気付いたなまえは、あからさまにゲッと声をあげ、「どうしてルヴィアが居るんですか?」と悲鳴をあげた。確かにその声音は悲鳴だ。肉食獣を前にしたシマウマを思わせる。
「それはこっちの台詞ですわ。……何故、貴方がここにいるの、なまえ!?」

 ライネスが注文したのは、トリムマウの調整に使うための素材であった。なまえは魔術使いであるが、彼の扱う“花”の価値は多くの魔術師たちが認めている。至高の魔術素材が入っているとは思えぬ段ボール箱を開ければ、なまえが手をかけて育てた真紅の薔薇が、ひとつひとつ鮮度を保つためのフィルムに包まれて収まっていた。日本に工房を構える彼は、世界中の魔術師を相手に商売をするための輸送ルートを持っているらしく、大源の結晶たる薔薇の価値は全く落ちることはない。検品したライネスも上機嫌で、フラットとスヴィンは“みょうじの薔薇”の実物に興味津々、グレイも魔性の美を持つ花に見とれている。しかしルヴィアゼリッタのみ、両腕を組んで不機嫌もあらわに、周囲を――なまえを威圧していた。
「なまえ、貴方は聖杯戦争の準備が忙しくて、しばらく日本を離れられないと言っていませんでした?」
「……言い、ましたけど、誤解ですルヴィア」
「敬語」
「うぐ……ご、誤解だルヴィア。イギリスへ来たのは、時計塔で重要な商談があったからで、ライネスの注文を届けたのはついでだ! ていうか俺だって渡航なんてめんどくさいことしたくなかった!」
 ルヴィアゼリッタに詰め寄られて弁解するなまえは、ちらりとエルメロイU世へと視線を送り救援を求めるが、ひ弱なロードはプロレスリングの使い手に積極的に関わることを避けることにしたらしい。無言で目を逸らした。
「それにしても、知ってる人は知っている“花”の人が、ルヴィアちゃんの彼氏さんだったとはなあ。姫さんは知ってたんだ?」
「ああ。彼とエーデルフェルト家が懇意にしているのは有名だからな」
 魔術業界って狭いねー、と盛り上がる若者たちへ、冷ややかにルヴィアゼリッタが宣言する。
「彼氏などと浮ついたものではありませんわ。なまえは私の伴侶です」
 騒がしかった室内が、一瞬にして沈黙した。なまえは目元を掌で覆って「お手上げだ」とばかりにうなだれるし、エルメロイU世もわざとらしく唐突に葉巻を吸い始める。その中で恐る恐るといった様子でスヴィンが口を開いた。
「いま、伴侶と言ったか?」
「ええ、言いましたわ。彼はエーデルフェルト家当主の夫です。未来の、ですけれど」
「俺は了承してません」
「断ってもいませんわよ。私がプロポーズするたびにはぐらかして」
 ここで、部屋の片隅から「あの」と控えめな声があがった。挙手をして発言の意志を示すのはグレイで、彼女はおずおずと話し出した。
「なまえさんはとても美しい人ですが、あの……拙には、ルヴィアさんとはだいぶ年齢が離れて見えるんですけど」
「二十歳離れていますが問題ありません」
 きっぱりとルヴィアゼリッタが断言したところで、ライネスがそれまで必死に耐えていた笑いが決壊して、からからという笑い声が響いた。ルヴィアゼリッタはじろりと彼女を睥睨する。警戒もあらわなエーデルフェルト家当主に、エルメロイ家当主はどうにか笑いの発作を収め、この場への感想を述べた。
「いやはや、なまえ殿はルヴィア嬢に相当好かれているらしい。私も彼には興味があってね、どうだいなまえ。ここは一つ私とも子を成してみないか?」
 エルメロイU世が葉巻の煙に、なまえが呑んでいた紅茶に、同時に噎せた。
「君の魔術回路とエルメロイの魔術回路を掛け合わせたら、なかなかおもしろいものが仕上がるんじゃないかと思うんだが、どうだろうか」
 しれっと真顔でとんでもないことを言うライネスに、ルヴィアゼリッタ以外の者が凍りつく。ライネスの言葉は明らかに冗談だが、氷のごとく怜悧な美少女が普段のトーンで言うものだから、冗談にきこえない。
 するり、ルヴィアゼリッタが片手の手袋から指を抜き、ライネスの前に放り投げた。――決闘の合図である。

 その後は恐ろしかったと目撃者は語った。ルヴィアゼリッタの宝石魔術と戦闘モードに入ったトリムマウの術式と(ついでに悪ノリしたフラットの加勢)で、見るも無惨な有様だったという。



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