部誌8 | ナノ


Marry me?



イルミネーション。話し声。笑い声。お飾りの街灯から流れるBGM。毛皮のコート。香水の匂い。
ふわふわの襟巻きから顔を出した女性がなまえを見て首を傾げて笑う。赤くなった耳からぶら下がった耳飾りが揺れた。こんなに寒くては、ピアスホールから凍傷になってしまいそうだ、と思って、離れていた手を掴んで引き寄せて「そろそろ行こうか」と囁いた。
彼女が嬉しそうに頷いて、なまえの右腕に腕をからませた。ふわりと当てられた柔らかさが、コートの上からもわかる。

ずっと、自分はゲイだと思っていた。そう思って、ひた隠しにしてきた。こんな、目立つ場所で誰かと身を寄せ合うことが、こんなに開放感に満ちていて、気分がいいものだと、想像したこともなかった。
多分、ゲイだというのは正しいのだろう。実際、なまえはこの隣にいる彼女に対して、恋愛感情を持っていない。それは彼女も同じで、お互いがお互いにアクセサリーなのだ。
そして、それで良いと思っている。

なまえは、もう二度と、誰も、好きにならないだろう。

もう、ひとりぼっちで、隠れて待つのはつかれた。そう思っていた。

「あ、見てみて、バーナビー・ブルックスJr.! 復活したんだね。でも2部リーグ。バーナビーだけなら1部リーグでも良さそうなのに」
ビルの高い場所に設置された大画面で赤いヒーロースーツがはねる。キラキラとまばゆく光を弾く金髪が揺れた。私、ファンだからテレビで見れないのは淋しいなぁ、とそういう彼女は、一瞬なまえが顔を歪めてその画面から顔を逸らしたことに気づかなかった。
「そうだな」
適当な相槌をうちながら、バーナビー特集に釘付けになっている彼女を急かしたりせずに、立ち止まった。
「バーナビーってばどこに行ってたんだろうね」
「……どこだろうな」
はやくCMに入れば、この場所から抜け出せる。と、なまえはそんなことを考えながら、彼女の質問の答えに考えを巡らせた。

バーナビーからの連絡が途絶えたのは、マーベリック事件が解決する少しばかり前のことだった。その前に、なにか大きな問題に行き当たって悩んでいるようだったから、マーベリック事件の報道があったあと、彼が、この事件に自分を巻き込まないようにしていたのだ、とそんな風に思った。

でも、その後も、バーナビーからの連絡はないままだった。

なまえと、バーナビーはいわゆる恋人関係という関係だった。ふたりともが男であるがゆえに、秘密の関係で、それはバーナビーがヒーローとしてデビューしてからさらに、巧妙にかくされるようになった。なまえはバーナビーの部屋には行かなかったし、逢瀬の時間も減った。
それは、わかっていたことだったし、すべてが終わったら、とバーナビーと交わした約束をなまえは胸に抱いて、待っていた。

はじめは、ヤケだったと思う。無理だと思っていた女性と付き合ってみて、ホテルで恥をかくだろうと、覚悟の上だった。思いの外うまくいってから、雪崩を打つように女性関係が派手になっていった。

それで、彼を忘れられるなら良かった。なんで今更ヒーローとして戻ってきたのだろう。復讐の日々と一緒に、自分を捨てたと、そう思っていられたら良かったのに。

吐いた息は白く濁って溶けた。
ブルーローズの歌が流れて、CMに入る。右腕にしがみついたまま画面を見上げていた彼女が、なまえの顔を見上げて「いこっか」と言った。

その顔を見ようとして、ふろうとした首は動かないままだった。

見覚えのある金髪。いつもの、赤いジャケット。細いフレームの眼鏡。緑色の目が少し潤んで。まっすぐにこっちを見ていた。
心臓が逸る。
腕にしがみついている彼女に、自分の心音が聞こえているのではないかと、そう思った。
隣の彼女は、突如目の前に現れた「画面のなかのヒーロー」に釘付けで、それどころではなさそうだった。バーナビーはその彼女に視線を向けながら、握りしめた箱を突き出しながら、つかつかと歩み寄る。
ジュエリーの箱だ、とひとめでわかった。

「……結婚してください」

バーナビーは勢い良く頭を下げると、その箱を開けて指輪を見せた。
椿事に周辺にいた人間がざっと退いてクレーターが開くように取り囲まれ、見世物めいた雰囲気に包まれる。なまえは自分の頬が引きつるのを感じた。
隣にいた彼女が、バーナビーが見せている指輪となまえの右腕を見比べる。そういえば、彼女はバーナビーに助けられたことがあると、そう言っていた。胸が軋む。
そして、忘れていた後ろめたさが背中を這い上がってくる。

「……今更、なに。邪魔をしないでもらえるかな。レストランを予約してあるんだ。どれだけ前から予約してたかわかるか」
かなり前からレストランを予約してあるの事実だった。が、言いたいことは「今更」の部分だけだった。
「忘れていたんです。今日、やっと思い出したんです」
記憶の書き換えがあったのだと、なまえはその言葉を薄情な言葉だとは受け取らなかった。でも、ひとりぼっちで、忘れられていた時間を何もなかったと思えるほどに、純情でもなかった。
それでも、彼の顔を見て、わかってしまった。
「……今、どういう状況かわかっていますか。バーナビーさん」
ぱしゃ、ぱしゃ、とシャッターの音がする。SNSに今この光景が書き込まれているだろうことは想像にかたくない。彼がゲイだと謗られることになることを、なまえは恐れた。いまなら、隣に居る彼女に指輪を渡している光景にも、見えなくはない。

「……わかっています」

心は決まっているのだと、その言葉でわかった。ずっと、ずっと、彼を思ってきたわけではないのだと、理解した。たった一言で、すべて、わかってしまう。
「今、貴方を見て、ここでこうしなければいけないと確信しました」

人混みで、腕を組みたい。目を合わせて微笑みあいたい。男同士だと、スキャンダルが怖いと、そんなこともできない。
一言でなまえがバーナビーの心のなかを悟ったように。バーナビーもまた、なまえが何を思っているのか知ったのだろう。

ため息と一緒に笑うと、淀んだ感情が掻き消えた。

左手を伸ばして、指輪を受け取る。くるりと指の中で回してその指輪を吟味してから、左手の薬指にはめた。ざわめきは、驚きに満ちている。それは、隣からも聞こえた。
「……少し、大きいな」
「また痩せたんですか」
案じるような声がする。目頭が熱くなる。右腕の拘束がするりと解けるのを感じた。
「……バーナビー」
「はい」
声が喜びに満ちている。
「おかえりなさい」
その言葉と同時に抱きすくめられる。二度目の「はい」は耳元で聞こえた。シャッターの音が激しくなって、なまえは顔を彼の赤いジャケットにうずめながら、この後のことを考えた。



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