部誌8 | ナノ


挽歌



 これは夢だ。
 先の見えない、長く続く道程を歩きながら、サイタマはそう自覚していた。だってそうだろう、現実でこんなにも夜目がきかないことなど、サイタマにはない。目なんか鍛えたつもりは更々ないんだがなあ、と独り言を宣いながら、鼻歌混じりに前に進む。
 何もない真っ暗なこの場所で、道があるのは足の裏の感触から確認できていた。道を逸れると、瓦礫のようなものが存在しているのだ。歩けないこともなかったが、わざわざ避けるのも粉砕するのも面倒だった。どちらに進むべきかもわからない状態ではあったが、サイタマはひとまず、その道を歩くことに決めたのだ。
鍛え抜かれた体は疲れることを知らない。だりぃなあ、と思うことはあってもそれは精神的なものであり、ちょっとやそっとじゃ疲れることもない。面倒だとは思うものの、目覚める気配もない。夢の中で眠るというのも変な話だが、歩く前に一度挑戦して失敗していた。
 どれぐらい歩いてきただろう。そろそろ飽きてきているのだが、足は勝手に先に進む。一体どこに向かっているのかも定かではないまま、ただひたすらに歩いていた。走ってもいいのだが、やっぱり面倒だ。ゴールが見えない状態で走り続けるは体力の無駄な気がするし、今は走るべきではないと、そんな気がしていた。

「でもまあ、飽きるな」

 ハハ、と笑い声をあげれば、声が反響する。歪んで聞こえる自分の声で地形がどんなものは判断しようにも、そんな造詣もなければ、反響した声は不協和音そのもので把握できそうもない状態だった。同時に不快な音でもあるため、サイタマは声を出すことを諦めた。
 はあ、という溜息とともに響く反響。不快さに眉を顰め、つるりとした頭を掻きながら、また一歩、足を進める。
 そうして何時間も、サイタマはひたすらに歩いた。気が狂いそうなほどの距離だ。途中で苛立ちが勝って結局は走ってしまったが、それでもゴールなんてものはなく、暗闇のままだ。足元だけがわずかに見えるかどうか。目が慣れてきてもいいはずなのに、一寸先も見えやしない。やっぱりこれは夢だな、と改めて確信しながらも前進。もしや自分は真逆の道に進んでおり、ゴールから遠ざかっているのではと振り返っても、こう真っ暗では確認のしようもない。何が正解かもわからないし、正解があるかどうかもわからないのだから、迷うだけ無駄だ。
 段々と無言で歩くのにも飽きてしまって、サイタマは鼻歌で自分を誤魔化すことにした。ノリノリで踊りながら歩くのも楽しそうだが、まあそれも面倒くさい。テレビで流れていた、誰が歌っているのかも知らない流行の歌を口ずさむ。歌詞なんか覚えてないからフンフンとメロディーをなぞるだけである。それでも気を紛らわすには十分だった。

「――、――、――」

 どうせ誰も聞いてないし、と鼻歌だったり口笛だったり、覚えていない部分を創作したりと適当に楽しむ。不快だった反響にも慣れてきて、逆に楽しめるようになった。
 おぉん、とサイタマの声がひずんで響く。どんな反響が返ってくるのか楽しみにすらなった頃に、かしゃん、と何かを蹴った気配がした。

 ――どうして?

 響く。誰とも知れぬ声での問いかけが、幾重にも重なって響く。暗闇の中、わずかに確認できたのは、異形の頭蓋骨だった。まるでどこかの、怪人の。

「………」

 きょとりと目を瞬かせたサイタマは、足元のそれに見覚えを感じていた。思考を巡らすが思い出せずに諦めた。疲れたような溜息を吐いて、ぐしゃりと白くて丸いそれを踏み潰す。悲鳴に似た声が上がり、響き、やがて消えた。

「なんだったんだ」

 そう呟く声がまたひずむ。答えはもちろん返ってくることなどなく、ひずんだ声は歪み、轟き、怨嗟の声をサイタマに届ける。

 ――どうして。

「何がだよ」

 思わず返答してしまったが、何が起こる訳でもない。また何かを蹴って、踏み潰して、声が上がって、また消えて。何度も何度も繰り返す。終わりなんてないと、サイタマに伝えるかのように。頭蓋骨だったものが、肉を得、皮を得、髪を得る。その頃には足元に転がる頭部がなんなのか、ぼんやりと把握していた。

「あ」

 何度目かに足に当たった頭蓋骨が誰のものなのか、すぐに思い至ったのは、彼がまだ強い部類にあったからだ。

「よう、ボロス」

 一つ目の怪人は、その大きな瞳を閉じてそこにあった。ひょいと片手で持ち上げて、目の高さまで持ち上げる。呼吸をしている様子はなかった。鮮やかな桃色の髪は思ったよりサラサラしていて、こんな感触だったのかと、変に感心した。頬を叩いても髪を引っ張っても反応のないボロスに首を傾げ、そこらへんに放り投げようかと周囲を見渡す。相変わらず暗い。何か多少の変化でもあればいいものを。

「――何故だ」

 声が聞こえて、見下ろすと抱えた生首の大きな瞳が薄く開いていた。こちらを見ているように思えたが、けれどもその瞳にサイタマを映してはいなかった。うつろな瞳には生を感じさせる何かがない。
 恐らく、それは、ボロスではなかった。

「何故我らを殺したのだ」

 何故。何故かと問われれば、答えなんかひとつしかない。

「俺が、ヒーローだからだ」

 それ以外に理由なんてないし、必要もない。
 強敵を求めていた。呆気なく死んでいく敵の存在は退屈で仕方がなかった。心を震わせる強敵の存在を、いつだって求めていた。強い敵と戦いたいからヒーローでいる。でもヒーローになりたいと願い、行動したのは強くなる前からだった。
 ヒーローになりたいと願った原因は自分でもよくわからない。誰かの助けになりたいというだけではもうなくなってきている気がする。自分でもよく分からないままにヒーローとして生きている。
 過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったもので、度が過ぎた強さは虚しさしか生まないことを知った。己の力を確かめたいのに、それに値する相手がいない。目の前のボロスとはいい勝負ができたものだが、それでも本気を出すまでもなかった。
 飢えは神経を麻痺させる。強くなりすぎたサイタマは、ヒーローという大義名分の背負いながら、宛てもなく立ち尽くしたままだ。かつての自分がそうしていたように、遮二無二になって誰かを助けるということがなくなってしまった。うっかりでひとつの市を消滅させてしまったことがあるのだから、よっぽどだろう。

「何故、ヒーローなのだ」

 即答は、できなかった。
 怪人が出るようになって、子供の頃に憧れたヒーロー像は変質してしまった。テレビドラマのヒーローと現実のヒーローは違う。どうしてヒーローというものに固執しているのか、自分でもわからないでいる。
 知らず知らずのうちに、拳を強く握っていた。ぎゅう、という音で、己が手袋をしていることを知り、ヒーロースーツを着ているのだと知った。
 明確な理由があってもなくても、現実のサイタマはヒーローとして存在している。今更別の生き方ができるほど器用でもない。強敵がいない虚しさは確かにあるけれど、でも。
 それでも。

「知らねえよ。そう生まれついたからじゃないのか」

 言うなりボロスの頭部を高く放り投げ、落ちてきたそれに拳をぶつける。衝撃波と共に霧散した破片を手で避けながら、サイタマは虚無の広がる黒い空を見上げた。

「だりぃ……さっさと目ぇ覚めねえかな」

 怨嗟の声はまだやまない。どうして。どうして。なんにもわるいことしてないのに、どうして? それは倒した怪人のものだったかもしれないし、消滅させてしまったA市の誰かの声だったのかもしれない。
 現実の自分は、うなされたりしてないだろうか。そうすりゃあジェノスが起こしてくれそうなのになあ。
 そうは言っても、現状のサイタマは苦しんでもいなければ辛いとも思っていないので、期待薄にも程がある。なんか変に疲れた、と肩を落としていると、遠くで光が瞬いた。

「え」

 星の瞬きにも似たそれは、弱く儚く光っている。この夢で初めてのまともな変化に、サイタマは駆け出した。よく分からないが、走らなければと、思った。
 走って、走って、走って。サイタマの脚力を以てしても、すぐにはたどり着けない距離を、ひたすらに走って。珍しく息切れを起こしながらゴールに到達すれば、そこには金髪の子供が眠っていた。

「は?」

 怪人のものだろう骨の瓦礫の山の頂上で、幼い子供が、丸くなって眠っているのだ。唖然とするサイタマに構わず、子供は目覚める気配もない。ほんとに何の夢なんだよ一体、とうんざりしながら金の前髪をかき分けてやれば、どこか見覚えのある顔で。

「ジェノス?」

 答えはない。触れても目覚めない子供の頬は暖かくて、柔らかかった。ここに置いておくのも忍びないと抱き上げてやれば、先ほどよりも穏やかな寝顔になった。揺らさないように注意しながら瓦礫の山から飛び降り、注意深くその顔を観察する。見れば見るほど、その子供はジェノスにしか思えなかった。
 ジェノスのことを考えていたから、彼が現れたのだろうか。ジェノスのことを考えたのは、この訳が判らない夢から脱出する手助けが欲しかったからだ。本末転倒にもほどがあるだろ、と呆れながら、サイタマはまた歩き出した。この子供がジェノスであれどうであれ、ここにいてもきっと何も変わらないに違いない。
 腕の中の子供に気を配りながら歩く。気付けば怨嗟の声は聞こえなくなっていた。走ったせいで、怨嗟のする地域から抜けたからだろうか。理由はどうあれ、うるさくないのはいい。子供も起こさずに済む。
 例えばこれがジェノスではなく、目が覚めたときに誘拐だなんだと騒ぎ立てられたら面倒だなあ、と思ったが、子供を下ろすという選択肢は、サイタマの中にはなかった。そのことを自分でも不思議に思いながら、不意にジェノスのことを考える。
 サイタマにとってジェノスはよくわからない人間だった。全身サイボーグであるようなので、人間というには語弊があるのかもしれないが、元は人間なのだし、構わないだろう。出会ったばかりの頃に生い立ちやら何やら聞いた気もするが、よく覚えてはいない。ドラマにでもなりそうなくらいの波乱万丈っぷりだったような気がする。
 サイタマが知っていることと言えば、強くなりたいと願っていて、教える気もないサイタマを師匠と慕い、押しかけ弟子をやっていることぐらいだ。

「お前も変なやつだよなあ」

 うりうりと頬をつついてやりながら呟く。本当に、変な奴だ。真面目なくせに、だらだらやる気のないサイタマを怒るでもない。何かを教える気なんてないことに気付いているだろうに、サイタマには献身的で。世の中の弟子ってこんなもんかと思うが、ジェノスが特別なだけな気がする。バングの一番弟子はこう……なんだったか。忘れてしまったが、ジェノスのような人間では多分なかった。
 サイタマにとってジェノスは便利な人間だ。頼まなくても献身的にサイタマの面倒を見てくれる。最初は煩わしい気持ちもあったし、申し訳ない気持ちもあった。ジェノスの行動の対価となるべきものをサイタマが差し出せるか謎だったからだ。何も差し出せないサイタマにジェノスがどんな反応を寄越すのか、考えるだけでうんざりした。けれどジェノスは、そう悪い弟子でもなかった。嬉しそうにサイタマの面倒を見、些細な一言ですら熱心にメモを取るのだから、感心したものだった。
 ジェノスは、強くなることに貪欲だった。教える気もないサイタマに師事することはどう考えても遠回りのような気がしてならないが、ジェノスはそんなことを気に掛けるでもなく、サイタマの実力を把握し、受け止め、敬った。まっすぐに向けられる敬意はくすぐったく、求められれば模擬戦くらいはしてやってもいいと思えるようになった。
 ひとりきりで生活していた時と比べれば雲泥の差だ。快適に生活できるようになったし、行動範囲や知り合いも増えた。ジェノスが訪れてから、何もかもが変わった気さえする。
 何もかも、すべて。ジェノスが変えてしまった。
 途方もない力を得た虚しさはいつもそこにあって、消えることはない。全力で戦うことも、強敵に出会って胸躍らせることもない。けれど、ジェノスがサイタマを師と仰ぎ、讃え、追いつこうとすることで、癒された何かがある。かつてのサイタマは孤独だったのだと、今になってわかる。隣に並ぼうとしてくれるジェノスによって、完全なる孤独ではなくなったからこそ。

「……まあ、いつか言ってやるよ」

 ありがとうとか、そういう言葉を口にするのは照れくさいし恥ずかしい。だから、いつか。言ってやってもいいと、思う。
 自分がどうしてヒーローをやっているのか、自分にだってわからない。けれどジェノスがサイタマをヒーローと認めてくれていることで、サイタマというヒーローが確立されている気もするから、だから。

「なかなかお前も、すげえヒーローだな」

 自分より高位の弟子らしい子供の頭を撫でてやると、その瞼が震えた。そういえばサイボーグになる前のジェノスの瞳は、どんな色だったんだろうと、そう思ったところで、夢から覚めた。


「先生?」

 眩しい。この眩しいは。天井の照明のせいなのだろうか。思いのほか近くにあるジェノスの顔を、光に眩んだ目で見つめると、また先生、と心配そうな声がかかる。

「大丈夫ですか、先生」
「ん、おお。なんか変な……夢? 見てたみたいだ」

 体を起こそうとすると、ジェノスの体が離れた。光から逃げるように目元を手のひらで覆うと力が抜けた。変に体がこわばっていたらしいと気付く。

「夢、ですか。差支えなければお聞きしても?」
「あー……あれ? なんだっけ」
「覚えておられないのですか」

 心配そうな色を宿すその虹彩は金色で、本来白くあるはずの眼球は黒い。普通の人間ではありえない瞳をしている。サイボーグなのだから、当然といえば当然なのだけど。

「まあその程度の夢だったんだろ」

 釈然としてなさそうなジェノスに苦笑する。本当に、その程度の夢だった。

「ならばいいのですが。夕飯の支度ができましたから、食べましょう」
「おお、食う食う」
「じゃあ準備しますね」

 さっと台所に向かうジェノスの後ろ姿に声をかけようとして、口を閉じた。今でなくてもいいだろう。まずは空腹を満たしてからでも。
 食卓に向かおうと立ち上がる。一歩踏み出せば、ぐしゃりと何かを踏み潰したような、錯覚。

「………」

 足元を見ても何かあるはずがない。足元を見下ろし、その場で軽く足踏みをして、キッチンに向かう。
 無意識に漏れ出た鼻歌が鎮魂歌だと知るのは、ジェノスの指摘を受けてからだった。



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