部誌7 | ナノ


確かに、愛だった



何気ない仕草のひとつひとつから、想いというものは案外伝わるものだ。
それは頭を撫でる手の優しさだったり、ふとした時に向けられる微笑みだったり、触れてくる時の、少しの躊躇いだったり。
もしかして、という期待の気持ちを、そんなわけがないと打ち消してきた。それでも――それでも。希望を捨てることはできなかった。熱のこもった瞳で見られていることを知っている。視線を感じる度に、彼はそこにいた。彼が私を見つめていることに、気付かないなずがない。

「山伏?」

呼びかければ、彼は我に返ったように目を瞬かせ、そして苦笑を浮かべる。

「あい、すまんな、主よ」

そう謝罪しては、私に背を向ける。急かしいその様子に最初は戸惑ったものだったが、それが何度も繰り返されていくうちに、意識するなという方が無理だった。
彼の本性が、刀であることを理解している。けれど付喪神として彼が人の体を得て顕現し、すぐそばで、人と変わらぬ姿で、想いで、存在するのだ。今更彼が物言わぬ一振りの刀であることを思い出せと言われても、難しい。私は彼がどんな顔で、どんな思考で、どんな風に笑い、悲しみ、喜び、怒るのか。どんな風に生きているのか、知ってしまったのだから。
いつしか向けられる想いに喜びを感じてしまった私を、狂っていると思うなら、思えばいい。所詮武器でしかない彼に、情愛を覚えた私を狂人だと笑えばいい。

愛してしまったのだ。
芽生えてしまった感情は私の意図せぬものであり、今更消すことなどできはしなかった。何より、同じ想いを返されていると思えば、留まる術などあろうものか。
本丸では、山伏と私以外にも、刀剣男士は存在する。彼らに抱く想いと、山伏に向ける想いは、異なっていた。刀剣男士たちにはよき主であろうと自らを律していたが、山伏の前では、私はひとりの愚かな人間に成り下がってしまう。

本当に、愚かであったのだ。
愛とは、非常に不可解で難解なものである。



山伏国広は、刀である。
ヒトの形を得、ヒトのように生きるようになっても、その本性は、刀なのだ。
山伏が知る「人間」というものは己の主である審神者たったひとりであり、ヒトとして生きるためにお手本とすべき人物もまた、主とするに他ならなかった。
山伏は他の刀剣男士と比べ、己がいささか不器用なことを知っていた。人ならざる者に囲まれた主が寂しがったりせぬよう、うまくヒトに擬態せねばならなかった。そのために主を参考にせねばならないのだから、本末転倒であるような気がしないこともない。ヒトとしての在り様を学ぶためであり、主を真似るためではない。真似るためでは、なかったのだ。

愛をくれ、と主は言う。
山伏には愛がなんなのか、判らなかった。どんなものか、主を見ていても理解できるはずがない。主が誰かと愛し合う様を見たことがないのだから、学習できようはずもない。
山伏は、学習のために主を観察していた。そのうち、主もまた、山伏を見てくるようになった。

お前の気持ちを知っている、と主は言う。
己の気持ちがなんなのか、山伏には判らない。山伏は刀だ。ようやくヒトに擬態することを覚え始めた、刀なのだ。ヒトである主とは何もかもが異なる。
よいことをした短刀の頭を主が寝出ていたので、山伏も主がよいことをすれば撫でるようにした。山伏と主では力の差があるので、撫でる強さも考えねばならなかった。笑みを絶やさない主であったので、山伏も微笑むようになった。触れる際には、力任せにして主を壊さぬよう、配慮せねばならなかった。
すべては主を観察した末の行動であり、そこに何かしらの感情が潜んでいるのかどうかすら、顕現して間もない山伏には判らない。

お前だけのものにしてくれと、主は言う。
その方法を、刀である山伏には判らない。刀である山伏の存在意義は、人を斬ることにある。
うまくヒトに擬態したとはいえ、山伏国広の本性は、刀なのである。




その日、一人の審神者が死に、一つの本丸が消滅した。
その原因が何なのか、知るものはすでに存在しない。
その根本にあったのが、確かに愛であったことも。



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