部誌7 | ナノ


運命の選択

差し出された手を掴んだあの瞬間からすべては始まり、そして、決定されたのだ。




ザップ・レンフロの最も古い記憶は、師匠と呼ぶ裸獣汁外衛賤巌の試練から始まる。
彼と修行をしていた記憶が最古の記憶であり、自らの親がどういう人物であったのか、定かではない。一応は人間のつもりなので、女の胎から生まれてきたはずなのだが。親がいなくて拾われたのか、親に捨てられたのか、親に売られたのか。それすらザップにはわからない。わからないが、気にしている暇などなかった。それほど、師匠の修行は苛烈を極めていた。親のことが些細だと、そう思えるほどには死ぬギリギリだった。人外師匠は、幼いザップ相手だろうと容赦がなかったのだ。
人外師匠はその様相故に、人前に出ることは少ない。修行の場はもっぱら人気のない秘境めいた場所で、生活に必要な衣類なんかはザップの仕事だった。

幼いザップにとって、下界は異世界のようなものだった。幼い頃から秘境で暮らしていたものだから、世間でいうところの「普通」など、ザップにわかる由もない。
メモを片手に、薄汚れた少年が買い物に来る様子は、いつも訪れた店にどよめきを落とした。物怖じしない性格であり、旅の途中だからこそ、虐待と疑われても仕方ない生活が露呈することもなかった。
幼いザップは人外師匠との生活以外を知らず、その生活から逃れるという考えにも至らなかった。

血を吐くような――実際に血を吐きながらの修行は、唐突に終わりを迎えた。
教えられるままに覚えた斗流血法をある程度は習得したと、そう判断された少し前に、紐育は異界と繋がり、ヘルサレムズ・ロットとなった。あとは実戦だけだとそう告げられ、出来たばかりのヘルサレムズ・ロットに、その身一つで置き去りにされたのだ。

唖然となったザップは、頼る相手も術もないまま、異界人の行き交う元・紐育の街に立ちすくんでいた。あんなに憎たらしく思っていた人外師匠ですら恋しいくらいに、その別れは唐突だった。

「坊や、大丈夫?」

優しい声をかけられて、見上げた先に異界人がいて、ザップは慌ててそこから逃げ出した。
ヘルサレムズ・ロットの外では殺すばかりだった異形のものが、この街では普通に生活している。異界人に戸惑いも覚えないヒト型の人々に、この街では己が異常なのだと、混乱の中でザップは感じ取っていた。今のザップにできるのは、逃げ出すことくらい。

訳もわからず駆け出して、走って、走って、走って。そうしてたどり着いたのは、スラム街だった。
そこがどんな場所かもわかっていなかった。言葉は少なく、暴力が支配するその場所は、分かり易くて、生きやすかった。修行のお陰で弱くはなかったザップは、スラム街の隅で独りで生きていた。誰を信用していいのかもわからない。それならひとりで生きた方がましだった。

かっぱらいとカツアゲで飢えを凌ぐ日々。金さえなかったザップだったので、仕方ないといえば仕方ない。生きていく上では必要な行為だった。

変化は、突然訪れる。
ヘルサレムズ・ロットに置き去りにされた時のように、いつだってザップの意識の外だ。

「アーハン? キミがここらを騒がしてる銀猿?」

路地裏、廃れた店の軒下で雨を凌いでいたザップの頭上から、声が降ってきた。
見上げればそこには傘を差した一人の男。黄色い傘に、黒ずくめの服は目に痛い。紫がかった丸いレンズのグラサンをかけた男は見るからに胡散臭く、ザップは眉をしかめた。悟られないように迎撃体勢に入る。

「オー、こわいこわい。野生のサルは警戒心が強くていかんよ。生きるために必死ってやつな」

にまにまと口元が笑みに歪んでいる姿が見えて、とても不快だった。隠していたはずの殺気を押し出す。師匠とともに【血界の眷属】らを倒してきたザップにとって、ヒト型のニンゲンなど恐れるに足りぬ。脅しの意味も込めて殺気を漂わせるも。男は気にした様子もなく、でもねえ、と言葉を続けた。

「うちのオンナたちの荷物をひったくるのはちょっといただけないかなあ〜」

にまにま、にまにま。
ザップのありったけの殺気を気にした様子もなく、男はいやらしく笑んでいた。その得体の知れなさに、寒気すら感じる。こいつは、誰だ。人外師匠とは違う、恐怖を感じ、ザップはぎりりと歯を食いしばる。この場所から逃げなければならないかもしれない。そう感じ取り、行動に移そうとするザップに構わず、男はすいと腕を差し出した。

「仕方ないから、楽して生きる方法を教えてあげよう。だからせめてうちのオンナたちからひったくりすんのは止めなさい」

他のやつらだったらいいのか。
思わず突っ込みかけたが、それよりもザップは差し出された手に驚愕していた。無造作に、無防備に差し出された手。何かもののやりとりをする訳でもないその手が待つのは、きっとザップの手だ。

今まで生きてきて、手を繋ぐのなんて、数えるほどしかなかった。
初めてできた友達は、人外師匠のせいでお別れするしかなかった。
ザップに親切にしてくれた女は、次の日には【血界の眷属】に殺された。
人外師匠が手を繋いでくれたことなんて、記憶の限りではなかった。
親の記憶すらないザップに、ぬくもりが与えられることなんてほとんどなかった。

だから。
憧れすら抱いていたかもしれないその行為に、ザップはろくに考えもせず手を伸ばした。

「いいこ」

掴んだ手を握り返される。見上げればレンズの向こうで、男の青い瞳が笑んでいて、ザップの心臓は大きく跳ねたのだった。



とまあ、ここまでなかなか波乱万丈で、感動的な話かもしれない、とザップは思う。

結論から言うと、この時ザップを拾った男、なまえ・みょうじは、クソだった。
この男、なかなかに頭がおかしい。俺の周りはこんなんばっかりかとザップが悲観してしまうくらいには、頭のネジはゆるゆるだった。
まずザップがはじめに連れてこられたのは、なまえの経営する売春宿だった。体はそれなりに大きかったものの、性に疎く、精神が未熟だったザップは精通をなんとか迎えたばかりだった。そんな幼いザップに「まだ童貞?」と尋ね、無理矢理唇を重ね、あまりの嫌悪に舌に噛みついたザップに「なるほど、男は無理ね」と呟くと、商売女たちの部屋に放り込んだのだ。

「そいつ、初物のだよ〜男にしてやって」

イテテ、と舌を出しながら告げたなまえの一言に、黄色い声が上がる。カワイイだの若いだのとひとしきり撫でまわされ、風呂に連れ込まれて色々いじくられた。気持ちよくなろうねえ、とにこやかに告げた性のプロフェッショナルたちの手ほどきは、ほとんど初めて他人の肌に触れるザップに嫌悪感を抱かせることもなく、初体験を迎えさせた。おかげでザップは女の体がいかに柔らかく、またセックスがいかに気持ちいいものかを知れた。

次にザップが覚えさせられたのは、女を気持ちよくさせる方法である。自らの快感を追うだけでなく、女の体を悦ばせてやることが肝要なのだ、と。セックスの最中にその方法を教わることもあれば、なまえを交えて乱交する場合もあった。

「ようく見てろ? こうすんだよ」

そう言いながらなまえが女を抱いて見せれば、ザップと何度もセックスをしたことがあるはずの女は、ザップが見たこともない反応を見せた。悔しさにザップはなまえの性技を見て覚え、そうして競うように女を喘がせていった。

「はい、じゃあセックスも上手になったことだし、立派なヒモになれるよ!」

おめでとう!
クラッカーを鳴らされ、祝われて、ザップはそのまま売春宿を追い出された。
もう頭の中はクエスチョン・マークでいっぱいである。茫然と売春宿の裏口で立ちすくむザップを拾ったのは、他の売春宿から移ってきたばかりの商売女だった。驚きすぎて逆に何の反応もできなかったザップはそのまま女の部屋に連れられ、女と生活を共にした。
女に養われる生活に、これがヒモかとザップは悟った。なるほど、無益な争いもなく、楽な生き方である。その代わり芯の部分がぐずぐずに腐っていきそうな感じがする。しかし一度吸った甘い汁の味を忘れられる訳もなく、ザップはヒモとして女たちの間を渡り歩いた。暴力沙汰にも強かったので、女たちには重宝された。商売女を雇う者たちからすればザップの存在は目の上のたんこぶのようなものだったろうが、用心棒として頼るになるザップを無碍にすることはなかった。

何より、ヘルサレムズ・ロットでも有名な売春組織の長であるなまえの庇護下にあった、というだけで、売春宿を営む者たちがザップを雑に扱えないのだ。
その事実に気付いたとき、ザップは驚きを隠せなかった。

なまえに追い出されたとき感じたのは、「ああ、またか」だった。
もしかしたら親に捨てられたかもしれないザップを、人外師匠は戦う術を与えてから、この街に放り出した。
茫然とするザップを拾い上げたなまえは、ザップに生きる術を与えてから、またこの街に放り出した。
女たちはザップに甘く、優しかったけれど、結局は決裂し、この街で一人歩くことになるのだ。
だからザップは誰かといても期待しないようにした。孤独になることを恐れなくなった。

けれど、ひとりで生きていたつもりでも、ザップは人外師匠に、なまえに、間接的に守られていたのだ。

一番初めは選べなかった。でも、よっぽどのことでなければ死なない力を身に着けた。
二番目は、自分で選んだ。選んだ結果、思っていたのと違ったところに行きついたけど、悪くはなかった。

「ごっめーん、ザップくん。キミ探されてたわ。ねえ、世界救う気ある? ない?」

昼中の喫茶店。
女を迎えにきたザップの前に、なまえが立っていた。相変わらず真っ黒の服装に、今度は真っ黒の日傘をさしている。テヘペロ、とほざきながらなまえが差し出したのは、黒く塗りつぶされた場所の目立つ、機密文書とやらだ。

「おれの知り合いが所属してる、秘密結社ライブラってとこがね、キミの師匠から託されたはずのキミを探してるんだって。とりあえず、会うだけ会ってみない?」

三番目、は。
一番目と二番目の合わせ技だった。この先どうなるかわからない。ぬるま湯に浸かった今の自分では、駄目かもしれない。

けれど。

「しゃーねえなあ、なまえさんの頼みだもんな」

けれど、何かの予感に、鼓動が強く脈打ったから。

ザップは差し出されたその運命を掴みとるのだった。



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