部誌7 | ナノ


運命の選択



ロンドンの裏通り、注意して見ていなければ通り過ぎてしまう小さなお店がルバートの目的地だった。ドアを押して中へ入るとチリンとベルの音が鳴る。その音に気が付いたのか、奥から人がやってくる気配がした。現れた空色のエプロンをつけた小柄な青年は、ルバートを見て笑顔を浮かべる。

「いらっしゃい、今日も来てくれたんだ」
「えぇ、ここは仕事場に行くときに通る道ですから」

人通りの少ない裏路地の、更に奥まったところにあるこの店が仕事場の通り道になることはまずないのではと店主は思ったが、敢えてそれを尋ねることはしなかった。ルバートはカウンターの端の席に腰を掛けると、新聞を広げはじめる。店主はその姿を視界の隅に収めて、黙ってコーヒーを淹れはじめた。ポットを火にかけて温まるのを待つ間、店主はルバートと初めて出会った日を思い出していた。



***



「お兄さん、雨宿りしていくかい?」
「カフェ?こんなところにお店があったとは……」
「ここに来るお客さんはみんなそう言うんだ。なんだか秘密基地みたいでいいだろ?」
「いっそのこと店名を秘密基地と改めたほうがいいのでは?」
「それもよく言われる。まぁ、好きな席に座ってくれよ。ハンガーとタオルくらいなら貸してやるし、コーヒーでよければ奢るさ」

その日は急な夕立があり、店主は看板をしまおうと外に出たところだった。丁度目の前の通りを小走りにかける白いスーツが目に入ったので、店主は思わず声をかけていた。店主に気が付いた白スーツの男は店に駆け込んでくると、シルクハットとジャケットを脱ぎ、ハンカチで雨滴を拭いだした。店主はハンガーとタオルを男に渡すと、カウンターでお湯を沸かし始めた。

「ところでお兄さん、お腹減ってる?」
「そうですね、それなりに」
「じゃあ新商品の試食でも、どう?」
「いいんですか?折角ですからお言葉に甘えて」
「そうこなくっちゃ」

カウンターに座った男の返事に気を良くした店主は、笑顔を浮かべてキッチンへ向かう。男はそのまっすぐな瞳が自分に向けられた瞬間、僅かに胸が高鳴ったことを感じた。初めて会った、しかも男になぜ?という疑問はその時の男には浮かばなかった。多分これが一目惚れというものなのだろう。もっとこの人のことが知りたい、もっとこの人と話したい、そう思ったのは今まで生きてきて初めてのように思えた。幼いころは生きることに必死で、そんな日々が嫌になって偉くなるために必死になって、最近ようやく日常に余裕ができてきたからかもしれない。考えているうちに頬が緩んでいくのを抑えられそうになかった男は、カウンターに置かれていた新聞を手に取り、店主の姿を遮るようにして読み始めた。



***



「そういえばお兄さん、初めて会った時もそんな風に新聞を読んでいたな」
「そうでしたか?あまり覚えていませんが」
「今まで言わなかったが、思いっきり広げて読んでるもんだから、読みにくそうだなっていつも思ってるんだよ」
「癖みたいなものなんですよ」

現在が過去の記憶と繋がり、懐かしい思い出は再び記憶の彼方へとしまわれていく。店主はルバートの前にコーヒーカップを置いた。豆のなんともいえないいい香りがふわっと漂う。ルバートは新聞をカウンターに置くと、カップを手に取り口を付けた。柑橘系の爽やかな香りが鼻をくすぐり、雑味のない透明感のある味わいが口の中に広がる。贔屓目なしに、いつ飲んでもここのコーヒーが一番美味しいとルバートは感じていた。ルバートがこの店に通うようになったのは、店主のことが知りたかったこともあるが、純粋に美味しいコーヒーをまた飲みたいと思ったからだった。

「やはりここのコーヒーは美味しいですね」
「味に自信がなきゃ、こんな裏路地でお店出せないよ」
「貴方が淹れるから、でしょうか」
「嬉しいこと言ってくれるな!じゃあ今日も新商品の試食してもらっちゃおうかな」
「なんだかんだ理由をつけていつも私に食べさせてくれますよね」
「そうだっけ?ほら、今回はこの二種類な」

店長はそう言ってルバートの前にプレートを差し出す。プレートには卵の乗ったマフィンが二つ置かれている。どちらにも黄色いソースがかかっているが、片方にはベーコンがのせられ、もう片方にはスモークサーモンがのせられていた。

「これは?」
「エッグベネディクトっていう、朝食にぴったりなメニューらしい。うちの常連の一人が今ロンドンで流行ってるからここでも出したら?って言ってくれてさ」
「エッグベネディクトですか……」
「どうやらベーコンかスモークサーモンを挟むらしいんだけど、どっちでいこうか悩んでてな。意見を伺いたくて」
「毎回思っていたんですが、私の一存で決めてしまっていいものなんですか?」
「お兄さんの味覚は俺が保証する!というわけで頼む!」

頭を下げる店長とプレートに置かれた二つのエッグベネディクトを交互に眺め、ルバートはこっそりため息を吐いた。



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