部誌7 | ナノ


ジェラシー・ゲーム



意識してるのか、無意識なのか。
煽ってるんだろう、俺のことを。
とっくの昔に気付いてるんだろう。俺が君に抱くこの気持ちを。
気づかぬ振りで他人と体を重ねる君が、憎らしくて、だけど愛しい。



みょうじなまえという存在を知ったのは、潜入捜査中のことだった。
潜入捜査、なんて言っても、たんにマフィアのアジトに潜り込んで、何かしらの情報を得る程度のものだ。標的を抹殺できれば御の字で、スティーブン・A・スターフェイズは、進展を期待していた訳ではなかった。マフィアを潰すのは、スティーブンの仕事ではない。ヒーローに相応しい人物は他にいるのだ。
敵対組織の振りをしてマフィアに攻撃し、迎撃のためにほとんどの人間がアジトを空けるのを待つ。それでも一部の幹部とボスはアジトに残る。彼らの目をかいくぐり、どれほどの情報を得られるか。まあ期待はしないさ。そう一人ごち、アジトに足を踏み入れたのが、30分ほど前のことだ。

これは、一体なんだ。

目の前の光景に衝撃を隠せない。
焦点の合わない瞳で、ナイフを握りしめる少年。その裸体には無数のあざや傷があり、日常的に暴力を振るわれていたのがわかる。鼻をつく臭いは血臭と、性の臭い。足元に転がる死体のせいで不快に思う隙もない。死んでいるのは、組織のボスで。スティーブンが殺せれば御の字だと思っていた人物で。

「……だ、れ」

掠れた声が部屋に響く。我に返ったスティーブンは、向けられたナイフの切っ先は震えていることに気付いた。スティーブンを見つめながら、スティーブンを映していない瞳。無感動のそこには、絶望が滲んでいる。明らかな被虐待者に、スティーブンは彼を保護することに決めた。

「誰だろう。正義のヒーローかな」

「……ヒーロー」

スティーブンの一言に、少年は嘲笑した。それはスティーブンに向けられたというよりは、自嘲めいていて。

「いちばんつらいときに、たすけてくれなかったくせに」

舌足らずに呟かれた一言に、スティーブンは言葉を詰まらせた。その通りだと思う。すべてが少年の手によって終わってからでは、なんの意味もない。それでも、彼の助けになりたいと思う。ヒーローなんて柄ではない。でも、あしながおじさんくらいにはなれる。
このまま少年がここにいても殺されるだけだ。人生に絶望していたとしても、まだ死ぬには早い。いつでも死ねる。でも生きることは今しかできないから。

「情けないヒーローだけど、次こそは、助けてみせるよ」

だから、と少年に向かって手を差し出す。うつろな瞳が、差し出したスティーブンの手に向けられる。ナイフを持ったまま震える少年の手は血まみれで、それでも触れることに躊躇いはなかった。
ぐい、と少年の腕を掴んで引き寄せる。ベッドの上からシーツを一枚拝借すると、少年の体に巻きつけた。緊張に筋肉が固まってしまったのか、少年の手からナイフは離れない。彼の緊張が解れるまでそばについて抱きしめてやりたかったが、そうも言ってられない現状だ。残った誰かがいつこの事態に気付くかわからない。その前にこの場から撤退しなければならない。
スティーブンは懐から携帯を取り出すと、いざという時のためにと短縮ダイヤルで設定した番号へ電話を掛ける。コール音が切れたのはすぐ。どうした、その言葉を聞く前に、スティーブンは言葉を紡いだ。

「ハロー、クラウス。ちょっと予定変更だ。こっちにきてくれないか」

目的、達成しちゃったよ。
スティーブンの電話から、我らがヒーローが駆け付けたのは間もなくで。
圧倒的な力でわずかばかりしか残っていなかった幹部たちを血祭りに上げる姿を、少年と共にスティーブンは見守ったのだった。



少年がその名を明かしたのは、ライブラに引き取られてから1週間ほど経ってからだった。
警戒心のようなものもなく、されるがままなすがままな姿は、彼がどうやってこの街で生きてきたのかを知れた。抵抗しないことが、彼の処世術だった。マフィアのボスを殺したのだって、恐らくは衝動的なものだろう。彼の首に残っていた絞め痕から、その経緯は簡単に推察できた。それでも名を明かさなかったのは、なすがままの生き方だとしても、彼にも矜持のようなものが存在していたからだろう。

人生に絶望したような顔ばかりしているから、ライブラの人間の誰もが少年を心配した。ことスティーブンたちのリーダーたるクラウス・V・ラインヘルツなどその最たるもので、自らの育てる植物を彼に差し出しては撃沈している。子供相手にどう対処すればいいのかわからないのだろう。その様子に苦笑しながら、スティーブンもまた、少年との距離を縮めていった。そうしてようやく告げられた名前に、スティーブンもクラウスも安堵したのだ。ようやく心を許して貰えたのだと思ったから。

みょうじなまえがライブラを飛び出したのは、それから間もなくだった。
どうしてか、なんてスティーブンにもクラウスにも想像がつかなかった。ここの生活が嫌になったのだろうか。そう呟くクラウスに、そんなはずはないとスティーブンは告げた。だってそうだろう。なまえはきっと、搾取されて生きてきた。そうでない生活を、楽しんでいたし、安堵していたはずだ。

なまえ、どうして。

なまえを見つけるのに、そう時間はかからなかった。スティーブンの情報網は狭くない。少しの情報で、容易くなまえの場所はわかった。
なまえは案の定、己の体を対価に糧を得ていた。売春行為で金を稼ぎ、生きていた。もうそんなことはしなくても、よかったのに。

「だって、おれこれ以外知らない」

どうして。そう問うスティーブンに、相変わらずうつろな瞳でなまえは答えた。

「これしか、知らない」

ライブラでの自分は役立たずだった。自分の体で何かできればよかったけど、クラウスもスティーブンも、そうした『におい』がしなかった。欲らしい欲を抱かず、なまえにそうした意味で触れないライブラという場所は、なまえに混乱をもたらしたのだと。
何か仕事を与えたくても、なまえは頑なに拒んだ。搾取されるだけだった自分が何かを出来るとは思わない、と。あまりの拒絶ぶりに無理を強いる訳にも行かず、スティーブンもクラウスも、なまえを見守ることしかできなかった。せめて、と部屋を与えても、なまえがそこに長居することはなかった。

男に抱かれ、性を糧に生きていた。体が成長すると、女たちとも体を交わすようになった。女を抱くことを覚えてからは、女のヒモやジゴロとして生活するようになっていた。その頃には少年だったなまえは青年へと成長し、今のなまえになっていた。
本心を隠し、黒髪を金髪に染め、本来のみょうじなまえという人物の痕跡を消すように振る舞った。軽薄な姿も、セックスが好きだと宣う口振りも、全てがまやかしだ。けれど時が経つにつれ、彼の本来の姿は忘れ去られ、覚えているのはスティーブンとクラウスくらいのものになった。

女に飼われて生きている間は、スティーブンも安心していた。女は情に脆い。よっぽどのことがない限り、ひどい目には合わないだろうと。
2週間に一度はなまえの様子を見るようにはしていたが、スティーブンも忙しい身の上だ。そうこまめに彼を訪れることもできず、ライブラという組織から抜け出したなまえのために、ライブラの人間を使って監視させるわけにはいかなかった。

「ねえ、スティーブンさん」

滅多に訪れないライブラを訪ねたなまえは、歓迎したスティーブンに小さな頷きで応えた後、USBメモリを差し出した。首を傾げたスティーブンに、重要じゃないかと思って、と告げるなまえの手首には、派手な金の時計に隠れるように絞められたような痕があって。思わずその腕を掴み、痕を凝視するスティーブンを、なまえが急かす。

「それ、重要なんじゃないの」

渡されたUSBメモリには、スティーブンたちが今追っている組織の、重要な情報がごまんと出てきた。データではなく会話を録音したものまで出てきて、ヘルサレムズ・ロットでなければ、このデータだけで裁判で圧勝できるほどの代物だ。
愛用のノートPCに映る情報のるつぼに茫然となる。言葉もなく、驚愕のままなまえを見やれば、ライブラに初めて足を踏み入れた頃のような幼さがそこにあり、そしてその瞳の中には虚無があった。

「おれ、やくにたてた?」

体がどれだけ成長しようとも、なまえの心はあの頃のままだ。
そう気づいてしまって、スティーブンの胸の奥底に、言葉にできない重い何かが生まれた。
重い重い、何か。たとえばそれは、後悔のような。

なまえに何か言葉をかけてやりたくても、スティーブンの語彙に、かけるべき言葉もなかった。クラウスであれば、何かが違ったんだろうか。けれど、その場にいたのは、スティーブンとなまえだけで。
スティーブンができたのは、なまえをライブラという巨大組織の庇護下におくことくらいだ。以前のような方法では、なまえはまた逃げてしまう。そうならないように、スカウトという形でなまえを誘い込んだ。その体と、その能力で、ライブラのために働かないか、と。

ライブラのために働く人間は、もちろんライブラに守られる。聞けばなまえの飼い主がマフィアの情婦で、その女を足掛かりに、組織の中で愛玩されていたらしい。その中で必要な情報を盗むなまえは、有能だった。スティーブンがその情報網でもっても調べきれなかったことまで調べつくしていた。敵組織に潜入するだけの能力が、哀しいことになまえにはあった。
スティーブンの誘いに、なまえは嬉しそうに微笑んだ。おれでも、やくにたてる? そう訊ねるスティーブンは、もちろん、と微笑みを返した。泣きそうな自分を、なまえに悟られないといいと、思った。

ヘルサレムズ・ロットでライブラを統括するボスたるクラウスの説得は困難を極めたが、なまえの在り様を丁寧に説明すれば、不快さを隠しもせずに、納得してくれた。スティーブンとて、なまえの役割に納得している訳ではない。けれどなまえを囲い込むには、これしかないのだ。でないとなまえは、またスティーブンたちから逃げてしまう。
少しずつ、なまえの認識を変えていこう。そうすればいつか、今のような無茶も、自分を粗末に扱うこともなくなるかもしれない。それは欺瞞のようにも聞こえたが、それ以外の方法はなかった。なかったのだ。

ライブラになまえが所属するようになって、なまえと出会う機会が増えた。その度にクラウスも、スティーブンも、なまえと言葉を交わすように努めた。仕事という認識からか、二人の前でも、なまえは軽薄な男を演じていた。幼さや虚無をうまく隠して、同僚とも接するようになった。いつのまにか、『セックスが好きで、それを仕事にしているなまえ』が、ライブラの中で共通認識となった。
同僚と関係を持つことを進んではしなかったなまえだが、誘われればそれに応じていたようだった。今まで愛人やジゴロとして生きてきたために、なまえは人との距離の取り方が絶妙だった。だからこそ、ライブラ内でも揉め事を起こすことはなかった。その有様を、スティーブンは歯がゆい思いで眺めることしかできなかった。恐らくは、クラウスも。

それでも、世界は危機に瀕している。
目の前にやるべきことがあって、それに追われてしまう。
なまえのことばかりを気にする訳にはいかず、そしてなまえはその情報収集能力でもってして、ライブラを助けた。なまえの在り様を一概に否定するわけにはいかないほど、なまえは有能だった。こうなるように仕向けたのは他の誰でもなく、スティーブンで。一緒に働く中でなまえを変えられたら、という甘い認識は、なまえの高い能力の故に、幻想となった。

スティーブンの胸には、常に後悔があった。なまえに対する、負い目があった。それをなまえは知っていたのだろう。
ベッドへと誘いをかけられて、スティーブンは戸惑った。スティーブンにとって、なまえは庇護すべき子供だった。セックスに明け暮れる毎日を送るなまえに苦い思いを抱いていたが、自分がその相手を務めることなど、想像したこともなかったのだ。

「スティーブンさん」

男にしては少し高い声。少年の面影を残す癖に、寄越す視線は艶やかで。指先で煽られ、スティーブンは息を飲んだ。生きるために築かれたなまえの財産たるその手管は、こなれたスティーブンにも、過ぎたもので。
やめなさい。拒絶の言葉はいつしか途切れた。触れる唇は柔らかく、煽られるままに、スティーブンはなまえを抱いた。初めて抱く男の体は、抱かれるために磨かれた体だった。同性であることの違和感を抱くこともなく、さんざんに抱いた。

精根使い果たしたころには、スティーブンに残されたのは、疲労感と、自責の念だった。自分くらいは、なまえに触れることのない、一線を越えない存在でいたかった。体の関係を持たないことで、なまえが現状に嫌になったとき、逃げ場所になってやりたかったのに。
スティーブンの隣で眠るあどけないなまえの寝顔に、スティーブンは涙を零した。
そうして思い知るのだ。決して乗るまいと誓っていた誘いにこうして乗ってしまうくらいに、なまえを想っていたのだと。

一度寝たからと言ってもちろん、スティーブンとなまえが恋仲になったわけでもない。なまえにそんなつもりがないのはわかっていたし、過ぎた関係はなまえの仕事に支障をきたす。
スティーブンとしてはいつでも辞めてもらってもいい仕事だったが、ライブラでの仕事はなまえのアンデンティティーになっていたし、精神的な支柱でもあった。またなまえの情報収集能力はライブラでも重要視されるようになり、簡単に辞められなくなってもいた。

たまに誘われては、情を交わす。なまえはスティーブンを誘うのは彼が精神的に不安定なときだと気付いてからは、殊更なまえを大切に抱くようになった。スティーブンとてなまえほどではないが、体を使って情報を引き出す。そのことをなまえに隠さないようにあってからは、まるで共犯者のような関係を築きつつあった。スティーブンとなまえは、同士なのだと、そうなまえに思わせた。

なまえと関係を持つようになっても、なまえが今の仕事を辞めるわけでもなければ、仕事以外でのセックスを止めるわけでもなかった。
その頃にはスティーブンはなまえへの想いを自覚していたし、なまえも恐らくは、察していたように思う。

たまに、なまえはなんでもないときにスティーブンを誘う。
精神的に不安定でもない。なにか切羽詰るように、温もりを求めているのでもない。
戯れのようにスティーブンに誘いをかけては、ひらりと交わす。そうした駆け引きを楽しむように。そんなときのセックスは享楽的で、快感をひたすらに追い求めるものだった。快感に従順ななまえの姿に、仕事の時もこんな風に抱かれているのだろうかと、思う日もあった。
スティーブンをからかうようにセックスに興じては、なまえは他の男や女たちと関係を持つ。遊ばれているな、と思いはしても、スティーブンがなまえを見限ることはない。そう試されているのだと、察してもいた。

(でも、なまえ。嫉妬しない訳じゃあ、ないんだよ)

手のひらのなかで遊ばせているのは、乳首専用のピアスだった。
スティーブンを試してばかりのなまえに、これくらいはしてもいいんじゃないかと購入したものだ。ブルーサファイヤのそのピアスは、スティーブンのちょっとした独占欲の表れでもある。
仕事に支障が出るかもしれないが、なまえほどの手管があれば、なんとでもなるだろう。

(これくらいは、駆け引きのひとつさ、そうだろう?)

スティーブンの襟元の口紅に、果たしてなまえはどんな反応を示すのか。
それを楽しみにしながら、スティーブンはメールに指定された待ち合わせ場所へと足を運ぶのだった。



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