部誌6 | ナノ


幸福の必須項目



鈴のような音がする。鈴よりも高い硝子の音。日陰に通る音が、ひらり、押しては返り、返ってはひらめく。りりん、りり、りりん。
風が、吹いた。
涼しいことはありがたいことだと、やっと動いた空気というものを耳に感じて、ほっと息を吐いた。きっと涼しくなるだろう。
誰が風鈴を吊るしたのだっけ、と、寝起きの頭でぼんやりと考えた。ごそごそと手足を動かしてみて、全身がぐっしょりと濡れていることに気付いた。酷い寝汗だ。おまけに、なんだか暗い。そんなに眠ってしまったのか、と思いながらゆっくりと目を開けると、夕陽の赤さはない。代わりに、簾が降ろされていて、なまえの眠っている場所だけが日陰になっていた。
誰が、下ろしたのだろう。それをやってくれそうなものの顔を幾つか思い浮かべながら寝返りをうつと、どうにも何かが身体にかかっている。掛布だ。腹が冷えるとか、そういう気遣いだろうが、寝汗が酷いせいで掛けられている布まで湿っている。申し訳ないな、と思いながらのったりと身体を起こした。
酷く渇いている。喉がガラガラして、気怠い。水分不足だろう。やれ、子供の身体は不便だ、とそう思った。夜に仕事をしようとしても、活動時間が限られていて、就寝時間になればコテッと寝てしまう。文机で眠ってしまって、近侍に布団に運ばれていたのは一度や二度の話ではない。
昼寝をしてみれば、体温が高くて寝汗が酷い。
それなりに、良い所はあるのだが、どうにも馴染みづらいとなまえは思っていた。
「お目覚めですか」
「……ああ、」
するりと室に入ってきたのは、近侍のへし切長谷部だった。姿を見ずとも、声でわかる。ここはなまえの室ではなく共用のリビングのように使っている場所だから、へし切長谷部も「失礼します」とは言わない。なまえの室だと、彼はなまえが「良い」と言うまで室に入ることはない。少し固すぎるようなところが、なまえは気に入っていた。
「ひどい声だね」
くつくつと笑いながら、へし切長谷部の後ろから現れたのは燭台切光忠だ。その手にある盆をみとめて、なまえは内心ででかした、と思った。
「はい、どうぞ」
手渡されたのは小振りの湯のみで、冷たい飲み物をビールジョッキのようなもので流し込みたいなまえは少し、がっかりする。その落胆を見抜いて燭台切光忠は「おかわりもあるからね」と言った。彼が示したのは硝子製の急須で黄緑色の液体が並々と入っている。そして何より、そこには氷が浮いていて、カランと音を立てた。
「よくやった」
「お褒めにあずかり光栄です」
くすくす笑いを混ぜて燭台切光忠が答えた。冷たい緑茶を飲み干して、次をと催促をすると、はいはい、と燭台切光忠が継ぎ足してくれる。それを横で見ていたへし切長谷部がなまえの前髪から滴る汗を見ながら「にしても、酷い汗ですね」と言った。
「……ああ、酷いものだよ」
ウンザリと頭を振るだけでぱらぱらと汗が散る。子供のかく汗などこんなものだ。
「……短刀はこんなことは無いんだかがな」
「付喪神だからね」
「面倒だよ本当に」
「中々いいと思うけどね、似合ってると思うよ」
燭台切光忠の言葉に、なまえはフンと鼻を鳴らした。
モミジのようなと称される手のひら。ふわふわと柔らかい脂肪をまとっている。齢にして六、か七の少年の身体。それがなまえの今の身体だ。しかし、なまえの実年齢は五十を超える辺りだった。
審神者をしていたなまえの身体は不治の病に冒された。しかし、局面として審神者の能力を持つなまえに死なれるのは得策ではないとした政府は、なまえに新しい身体を与えた。
科学的なアプローチからの、クローン体への憑依術だったか、そんな説明を受けたが、実際のところ何が行われたのかはなまえは知らない。興味をあえて持たない、というのが処世術だと知っていた。
大方実験体にされたのだろうということは予想がついたが、身体を変えることにも、審神者としての能力を引き継ぐことにも成功した。
「その身体、これから大きくなるんでしょう?」
「そういう話だな。クローン体の寿命が如何程かは知らないが」
「じゃあ、まだまだ主は色んなことができるね」
燭台切光忠は、そう言いながら、なまえの緑茶のおかわりを拒んだ。
「これ以上はお腹が水で膨れてしまうからダメだよ」
ちらりと応援を求めてへし切長谷部の方に目を向けると、少しだけ戸惑うように瞳を揺らす様が見えた。身体を換える前には見たことのない表情だ。
「どうした、長谷部」
「……いえ、何も」
「きちんと言葉にしないとわからないぞ」
「本当に何も」
頑なに何もないと言うへし切長谷部に訝しむ。その様子を横で見ていた燭台切光忠が、くすと笑いを漏らす。
「……主、長谷部はね、主があんまりにも可愛いので困ってるんだ」
「なに?」
「光忠!」
ゴツゴツと燭台切光忠の背中を小突くへし切長谷部に、どうやら図星だったらしいと思いながら、なまえはへし切長谷部をまじまじと見た。
「……子供が、好きなのか」
「主、それでは語弊がありますよ」
横から助け舟のように言葉を出した燭台切光忠に、それもそうだと思いながらもう一度、へし切長谷部を見た。
「……中年の主が、いきなり子供の姿になったので、少し、戸惑っているだけです」
「うん。主の我が儘をついつい聞いてしまいそうになるんだよね」
「光忠!」
二人の会話聞きながら、そんなものかとなまえは顎に手を当てた。そういえば、自分の身体に馴染むことに夢中で、周りの反応をあまり見ていなかった。
「そういえば光忠『色んなことができる』は具体的にどんなことだ?」
やけになって小突いていたへし切長谷部が手を止める。それによって、燭台切光忠がなまえの方を向いた。
「なんでも出来るよ。新しい人生だと思えばいい。――恋なんてのもいいんじゃないかな。僕が思うに、主はもう少し水気があった方がいいし」
「恋、か」
五十年ちょっとの人生だった。厳密にはまだ続いているのだが。仕事、仕事仕事と走り抜けて、そして、未婚のまま、終えてしまった。
「主はもっと、人生を楽しんだほうがいい」
燭台切光忠はそう言って、あ、そうだ、と脈絡もなく顔を上げた。
「水羊羹があるんだ」
「水羊羹、が?」
「うん。良い餡を手に入れたからね。作ってみたんだ」
お前が作ったのか、と思いながら、甘味を思い浮かべると正直に腹が減ったような気がしてくる身体に苦笑する。
「貰いたいな」
「よろこんで」
じゃあ、準備してくるから、と燭台切光忠が立って、気まずそうなへし切長谷部だけが残される。
「長谷部、この掛布」
どこかで見たことのある布だが、それが誰によってかけられたものなのか、うまく思い出せない。
「……ああ、大倶利伽羅の腰布ですね」
「なるほど」
そういえば、そんな色だった気がする、と思いながら、少し夏には暑そうな布に彼の不器用さを感じる。
「汗で、少し濡れてしまった」
「彼は気にしないと思いますよ」
へし切長谷部はそう言いながら、なまえから掛布を取り上げて、手元でちょうどいい大きさに畳んだ。
「さあ、行こう長谷部。来ないと長谷部の分も俺が食べてしまうぞ」
なまえが立ち上がって呼ぶとまた、困ったようにへし切長谷部が顔を歪めた。事情を聞いてしまうと、本当にその内心がわかってしまうような気がするから不思議だった。
今はまだ慣れないかもしれないが、少しづつ、慣れていけばいい。

そう、思った。



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