部誌6 | ナノ


傷痕



「痛むかい」

盛り上がった肉の淵は小さな谷と山が連なって、首筋から背中へと降りていく。人の肌の色の下に鮮やかな桃色が覗いてみえる。彼女はその事を知らないのだろう。背中等みえやしないから。この色は自分だけのもののように思えて、静かに笑みがこぼれる。

「やめてよ」

歪な肉の溝に爪を柔く引っ掛けると、彼女がそれを咎めた。引っ掛けた爪がカリッと鳴いた。彼女が呆れて押さえていた手を離すと、長い黒髪が傷を隠した。ほどけた髪をふるりと振って、彼女は衣服を身に着ける。最後に髪の上から傷を撫でると、彼女が笑った。

「面白いものじゃないでしょ。ただの古い傷よ」
「君の傷だと思うととても楽しいよ」
「悪趣味」

いい趣味じゃないか。心の中で抗議してみる。
この血の通った肌を刃物が裂いて、肉を割り、血潮が噴き出し、彼女が痛みで喘ぎながら汗を浮かべ悶えたのかと思うと、幼い頃の自分がはしゃぎ出す。捕らえた虫を慈しみ、育てて殺したあの時の穏やかで純粋な興奮が胸の内を叩く。処置をして、薬で濡れ、白い布に覆われた柘榴のような赤い傷を何度となく想像する。白い布を薄黄色の体液で濡らし、ばりばりと薄い泥の様な音を立て、白い悪臭を放つ粘液に塗れた傷。

「貴方、本当に悪趣味」
「君の事が好きなんだ」
「嘘よ」
「本当さ」

彼女は本当に疑り深い。
どれだけ愛の言葉を伝えようと「うん」と言って受け入れた事はない。「好きだ」と告げる度に彼女の指は肉に埋もれた傷に触れる。思考の跡をなぞるように肉の淵を指が撫でて、そのまま腰へと降りていく。たまらなく扇情的な眺めだ。彼女の伏せた瞳が何を思うのかは知らないが、指先はきっとあのとき、その傷の痛みを辿っているのだろう。白く血の気の引いた指さきが赤みがかった肉と並ぶのが容易に想像できた。服の皺を歪めながら、指は流れていく。

「貴方の気持ちが、」

腰にたどり着いた指は胸へ登って、彼女の心臓を押さえる。たゆんだ肉の下の熱い固まりはどんな鼓動を繰り返すのか。その鼓動に合わせて、彼女の傷は血を噴き出し、ぴゅうぴゅう、と地面を赤く描いたのだろうか。

「本当だとしても」

短く整えられた爪が獣のように服に、彼女の肌に食い込む。その瞬間も彼女の爪は地面を掻き、掌に爪を立て、血を滲ませながら痛みにのたうつ自分に鞭を打ったのだろうか。それはきっと美しい光景だっただろう。

「嘘つきは嫌いよ」

彼女が好きだ。これは愛だ。彼女の傷痕を愛している。彼女のすべてを愛している。
この傷がどんな風に、誰に、どうしてつけられたのかを知らない。知る必要もないと思っている。だのに彼女はそれを「嘘」と呼ぶ。

「だって、貴方は嘘を愛しただけだもの」
自分を好きでいてくれる人間しか愛せない人間だと彼女は言う。何を馬鹿なと笑えば、彼女も笑った。忘れたのか、と。彼女はからころと笑い声を立てて、首を揺らす。黒髪が合わせるように尻尾を振る。忘れるもなにも覚えがないのだ。困ってしまってそう返す。

「うそつき」

彼女は見上げるように振り返って、唇の端を持ち上げた。傷とも血とも違う紅に心臓が軋むように動いた。




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