部誌6 | ナノ


主役は遅れてやって来る



レオナルド・ウォッチが事務所の扉を開けると、そこは真っ白な空間だった。扉を間違えたのかと慌ててバタンと閉じる。しかし、今日は確かにここのはずだった。試しに他の扉を開けてみたが、鍵が閉まっていたり明らかに違う家に繋がっており、事務所には行けないようだった。レオナルドはもう一度最初の扉に手をかけて大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐きながらノブを回していく。



「遅かったな、待ちくたびれたよ。今日は君がお客さんか」

そこはやはり真っ白な空間だったが、先ほどと違うのはイーゼルに置かれたキャンパスと、そばの椅子に腰かける青年がいることだった。イーゼルとキャンパスと椅子も全て真っ白で、青年の着ている服も白を基調としており、青年の黒髪が空間内で異様に目立っている。しかし、レオナルドはもう一色、異常なほど目立つ”赤色”を見ていた。それは青年から発せられている、羽根のような真っ赤なオーラだった。吸血鬼、それも恐らくエルダークラスが目の前にいるという事実を認識した瞬間、思わずレオナルドは入ってきたノブに手をかけていた。しかし、そのまま回そうとしてもびくともしない。

「あれっ、なんで」
「おいおい、まだ描いてないんだから出ていかないでおくれ。別にとって喰うつもりはないから安心してくれていい。絵に私情を持ち込まないってのが俺のポリシーなんだ。そこのお猿さんと一緒に寛いでくれたまえ」

ニコニコと微笑みながらレオナルドに声をかける青年の手にはいつの間にか筆とパレットが握られていた。レオナルドは肩に乗っていたソニックの頭を撫でながら、この現実を受け入れるために溜め息を一つ吐いた。



「あぁ、もう少し右を見ていてくれるかい?」
「こうですか?」
「そうそう。そのままで」

どのくらいの時間がたったのかレオナルドには分からなかった。真っ白な空間には時の流れなどないのではないかという考えが頭をよぎる。この空間ではレオナルドと青年の声と筆を動かす音しかしない。まるで世界と切り離されたような、そんな感覚に陥る。レオナルドはひどく不思議な気分だった。目の前にいるのは紛れもない吸血鬼なのに、なぜ自分は大人しく絵のモデルになっているのだろうか?いつかのレストランの一幕が脳裏に浮かぶ。吸血鬼、特に高位になればなるほど彼らは自分のポリシーを掲げているのかもしれない。根拠は全くなかったが、ここで絵のモデルになっている間は安全だと、漠然とそんなことをレオは考えていた。

「表情がリラックスしてきたね、俺のことを少しは信じてくれたかな?」
「貴方のことは全く信じていませんけど、絵が好きだってことは分かったので」
「ははは、そいつはどうも。俺としては描きたいものが描ければそれでいいんだよ。全く、近頃はただポージングするだけのことが出来ない輩が多くて困っていたんだ。レオナルド、君は実に優秀なモデルだよ。俺は嬉しい。あぁ、もちろん君もね、お猿さん」

そのポージングすらできなかった人達がどうなったかは聞かない方がいいかもしれないとレオナルドは思った。もくもくとキャンパスに向かう青年と吸血鬼は一見すると結び付かないのだが、彼のオーラが吸血鬼のそれであるということを”見て”理解しているレオナルドにとってはそれがなりよりの答えだった。



「うん、いい感じに仕上がったな。ありがとうレオナルド、君には感謝を示そう」
「はぁ、どうも。いたたた、首が」
「今日のここでの出来事は君達と俺との秘密にしておいてくれよ?趣味を邪魔されるのが一番嫌いなんだ」
「分かっていますよ」
「それは助かる。それではレオナルドとお猿さん、またいつか」

最後の一言を告げると青年はキャンパスを抱えてイーゼルのすぐ近くにあった扉から出ていく。いつからそこに扉があったのかレオナルドは全く気がつかなかった。取り残されたレオナルドも青年の後を追うようにして扉を押し開ける。





「おやレオ、今日は遅かったな」
「あれ、スティーブンさん?ここ事務所ですか?」
「何言ってるんだ?」

レオナルド・ウォッチが扉を開けると、そこはいつも通りの事務所だった。慌てて入ってきた扉のほうを振り向くが、やはりいつも通りの光景が広がっているだけだった。さっきまでの白い空間は、跡形もなく何処かへ消えてしまったらしい。わりと何でもありのヘルサレムズ・ロッドだが、さっきの出来事を証明するものは何もないし、ここでさっきの話をすると面倒なことになることは間違いない上、そもそも青年に口止めされている。いっそ夢でも見ていたと考えた方がいいのではないか、レオナルドはそんな気分になった。



しかし、レオナルドがこの体験をすっかり忘れた頃に、ライブラの事務所にレオナルドとソニックの絵が届き、実はあの青年がヘルサレムズ・ロッドでは有名な画家だったことをレオナルドが知って、ライブラ内でちょっとした騒動が起きるのはまた別の話である。

「この画風にこのサイン……レオナルド、これはどこで?」
「えっ、いや、急に呼び止められてモデルを頼まれたんですけど」
「もしこれが本人なら、とんでもない値打ちがつくかもしれないな。全く、これも君の義眼が引き寄せるのか……?」
「えっ?え、えええええええ!」



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