部誌5 | ナノ

放課後の教室にて



走る、走る、走る。
冬の季節は陽が落ちるのも早い。暗い校内の、わずかな光を頼りにしながら、緑間真太郎は走っていた。
部活終わりで、着替えたばかりの体は火照り、学ランを着ていて暑いくらいだ。走るから余計に暑く感じ、額には汗が滲んでいた。いつもは対処する不快感も気にせず、緑間は走った。

目的の教室に辿り着く。扉を開ける前に荒い息を調えるが、そう簡単には調わない。重い荷物を持っての全力疾走なのだから、当然といえば当然だった。
ある程度調えると、ゆっくりと扉を開いた。待ち人はおそらく、緑間の一連の行動に気づいているに違いない。急がなくてもよかったのに。そう微笑むだろう姿を想像して、つられるように微笑む。

「ーー、」

名前を呼ぼうとして、目に入った光景に口をつぐむ。待ち人はいた。ただ、緑間の想像したような状態ではなかった。

「っくし」

聞こえたくしゃみに慌てて駆け寄る。待ち人は、この寒さにも関わらず机に突っ伏して眠っていた。組んだ腕に伏せた顔が僅かに覗き見える。眉を少ししかめて眠っていて、誘われるように頬に触れると、テーピングが巻かれたその指にすり寄ってくる。

ぶわり、緑間の胸に広がったその感情を、なんと呼ぼう。
じわじわと熱を持っていく頬に、誰にも見られていないと知りながら俯く。ばくばくとうるさい心臓に、どうしようもなく彼が好きだと思った。

緑間真太郎は、目の前で眠るみょうじなまえに、どうしようもなく、恋をしていた。





みょうじを好きになったきっかけなんて些細なものだ。

緑間は自分の性格がどういうもので、周囲にどう思われるのかを正確に把握していた。それでも自らの言動を変えるつもりなどないのだから、大概だと自分でも思う。
高尾のような物好きのおかげで周囲と軋轢を生まずに済んでいるのだから、これでも高尾には感謝しているのである。中学時代は緑間以上にアクの強い面々といたから、緑間が突出して目立たなかっただけなのだと高校生になってから気づいた。

高尾のいないとき、緑間は腫れ物のように扱われた。緩衝材がいないと、どう対応していいかわからないらしい。緑間は全く構わなかったし、気にしてもいなかった。協調性が尊ばれる学生生活とはいえ、ある程度はひとりでなんとかなるもんである。まあ高尾がいない時の方が少ないので、長くひとりでいることはまれだったが。

高尾が体調不良で休んだ日のことだ。
その日は体育の授業があって、誰かとペアを組まねばならなかった。チラチラと緑間を気にしながらペアを作っていく周囲に、どうしたものかと他人事のように考えていた緑間に声をかけてきたのがみょうじだ。

「緑間、ペア組んでくんね?」

あぶれちゃってさ、と笑ったみょうじに、仕方がないなと返したのが、きっと始まりだった。ぶっきらぼうに許可を出した緑間に、みょうじは眉をしかめることなく微笑んだ。
気遣う訳でもなく、へつらう訳でもない。自然体で接してくる人間は高尾やチームメイト以外では初めてのことで、緑間は戸惑いを押し隠しながら、その授業を終えた。多分、これがきっかけ。

おはよう。翌日挨拶されて、みょうじに挨拶されることが初めてではないことに気づいた。いつもは、ああ、なんて一言で済ませていたことを惜しみ、惜しむ自分に驚いた。
みょうじの対応は、誰に対しても変わらない。分け隔てなく、人懐こく接している。高尾と同等のバランス力を持ち、いさかいや軋轢を生まさないように行動していた。親しい友人はいたようだが、親友というほどでもない。特別な人間は、男女含めていないように思えた。

ふと気づけば、みょうじに視線を向けることが増えていた。彼の特別になりたいと、願うようになっていた。この時点で、緑間の願う特別が友情としてか、恋愛としてかは緑間自身判っていかった。ただ、みょうじの特別になることが、何よりも重要なことのように思えていた。

みょうじと高尾の何が違うんだろう。

周囲と緑間の間をとりもつ、それはみょうじも高尾も変わらない。高尾は緑間の性格を面白がり、チームメイトのよしみもあってのことだろう。みょうじはどうしてだろうか。全くの善意から? その理由が知りたかった。

高尾が隣にいるとき、みょうじはあまり緑間に近寄ってこない。挨拶はくれる。言葉もかけてくれる。けれど高尾の役割を奪うことはなかった。
高尾がいないとき、みょうじは緑間が困っていればさりげなく手助けしてくれることが多かった。唯我独尊を地でいく緑間である。好きなことを思うままにすることが多く、困ることなど少ない。だが少なからず存在していて、高尾ですら気づかない緑間の戸惑いや困惑があればそれらを拾い上げ、緑間すら気づかないうちにみょうじの手によって解決されていることは少なくなかった。

みょうじのそうした手助けは、勿論緑間に対してだけではない。クラスメイトや友人たちにだって、みょうじの手は差し伸べられる。そのことに気づいてから、特別でありたいと願うようになったのだろうと、緑間は自己分析していた。

曖昧な感情が恋に変わったのは、みょうじが見知ららららぬ女子生徒と親しげに話していたのを見かけらだ。その光景に妙な焦燥を覚えてから、緑間がみょうじを恋慕うようになったのはすぐだった。
みょうじの特別が、恋人という形で現れてしまうことに、気づいてしまった。女という性別、たったその違いだけでみょうじの特別になれることに、どうしようもない嫉妬を覚えた。そうしてようやく、緑間は自身が抱く感情の名前を知ったのだ。

みょうじが好きだと気づいてから、煩悶とする日々が続いた。何せ緑間とみょうじは同性なのである。自分が同性を好きになるなんて想像もしていなかった。自分が女性と付き合うこともあまり意識したことはなかったが、男性相手など皆無だ。
緑間がそうであるように、みょうじだってそうなのだ。男の緑間に恋情を抱かれているなんて考えたことすらないに違いない。緑間が困ったと少しばかり眉をしかめるだけで、みょうじは手を差しのべてくれる。

みょうじが、みょうじなまえが、好きだ。
気づいたらその事実は緑間にとって当然のものになっていた。みょうじを恋慕う感情こそが、緑間真太郎という個を形成する一部となってしまっていた。
みょうじと女子生徒が仲が良さそうな姿を見ると、焦燥が止まらなかった。好きだと思う気持ちばかりが膨らんで、醜い嫉妬で目の前が真っ赤になってしまったりして。

みょうじが好きだと、端から見てわかるクラスメイトがいた。告白まで秒読みだと、そう噂で伝え聞いて、緑間は堪えきれず動き出してしまった。あとのことさえ考えず、思うままに突っ走って、それで。



「しんたろ?」

かかった声に我に返る。ぼんやりとした目を開けたみょうじと目が合い、自然に笑みが零れていた。

「なまえ」

「おつかれ〜。ごめん、おれ寝ちゃってたんだな」

ふにゃりとした笑顔に、胸がぎゅっとなってみょうじに覆い被さるように抱きついた。身長の高さゆえになかなか辛い体勢になってしまったが、構わなかった。

「なに、どったの」

くすくすと笑う気配がして、緑間の胸は幸福な痛みで満ちていた。苦しい。幸せで幸せで、苦しいくらいだ。
陽も落ちきった教室は寒く、お互いの熱が心地よい。

みょうじが好きだ。どうしようもなく、叫びだしたいくらいに、好きだ。想いが強すぎて涙が出そうになるくらいに、好きだ。

「しんたろ」

身を捩って顔を合わせてくれるみょうじが、緑間の唇にキスを落とす。へへ、と笑って、みょうじが告げる。

「好きだよ、しんたろ」

なんでもない放課後の教室。日本という小さな国の学校で。
緑間は自らが世界一幸せな人間であると、そう思った。




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