部誌5 | ナノ

放課後の教室にて



入り日が陰る。日の光がどんどん赤くなっていく。少しずつ暗くなっていく。つるつるの机に書かれたシャープペンの薄い文字が、次第に読みづらくなっていく。
何度繰り返し読んでも、読んでも、内容が変わるわけではないのに、その文字から目が離せない。今、何時ごろだろうか、ということを調べる気ですら起きなかった。
「終わりにしよう。さよなら」
文字を読み上げても読み上げても、内容は変わらなかった。よく知っている筆跡。間違えるはずがなかった。指を添えると、添えた場所が微かに薄くなってピリッと走るような痛みが胸に走った。ら、の少しだけが消えただけで、たまらなくなる。いっそ、全部消してしまえば、楽になるんだろうか。そうおもって、指を少し動かして、それから、視界が滲むのを感じて、動きを止めた。
目頭が熱くなって、止めるまもなく雫がこぼれていった。

「……みょうじなまえ……?」
突然かけられた声に驚いて、なまえは慌てて振り返った。振り返って、まだまだ瞼の中にたまっていた涙が、ぼろっと溢れて飛んだ。パチン、と、スイッチが入る音がして、蛍光灯が点滅する。
焦りはあるのに、どうにかしなくては、とか、そういうことを考える部分が空っぽになっていて、なまえは白い光が明るくなるのを、ただ、見ていた。
途端にくっきりとした輪郭の中で、入ってきた人物を確認してから窓の方を慌てて向いた。
及川。下の名前は知らない。クラスメイトというだけで、よくモテてバレー部ということとは知っているけれども、会話らしい会話をした覚えもなかった。何か、悪いうわさを立てられるだろうか。何か聞かれるだろうか。そんなことを思いながら、なまえは手の甲で強引に涙を拭おうとした。
「……擦らないほうがいいよ」
気まずいだろうに、近づいてきた及川がそういって、あの、文字の書かれた机を挟んで、なまえの目の前に立った。及川に見られたくなくて、なまえは慌てて、その机を涙で濡れた手のひらで擦った。
「忘れ物、しちゃってさ」
軽い口調で言いながら、及川はなまえに向かってタオルを差し出した。
「さっきまで使ってたやつだけど、まだそんなに、」
「……ちょっと、借りる」
及川が言い終わる途中で、差し出されたタオルを受け取って顔に押し当てた。少しだけ汗っぽいにおいがして、でも嫌いではないか、と思いながらうつむくと、及川がぎょっとしたように机を動かした。
「だから擦っちゃダメだって!!」
押し当てた手を掴まれて、あっという間に引き剥がされる。スポーツ部だから、力が強いとかそんなことを思いながら、顔を上げる。
目があった。確かに、ハンサムとか、言われそうな顔をしているな、とぼんやり考えながら、恥だとかそういう感情も全部からっぽになったのかもしれないと、思った。頭が重くて、それが悲しくて、涙が、止まらなくなる。
「ごめん、」
「……なんでみょうじが謝るわけ」
なまえがタオルを握りしめた手を更に握る手に、及川は力を込めた。酷く近い距離が、不自然なことはわかっても、それについて考えることができなくなって、また涙が溢れてくる。それを及川に見られていることも、それを見ている及川が、不思議な顔をしていることも、他人ごとみたいな気がしてくる。
「冷やしたほうが、いいね」
押さえたような声で、及川が言って、慰められているのだとわかる。やっぱり、ごめん以外に何を言っていいのかわからなくて、なまえはもう一度ごめんと言いかけて、口を閉ざした。
それっきり何も言わなくなった及川が、なまえの手をもう一度強く握った。
陰る。ゆっくり、日が堕ちていくのよりももっとはやく。
唇に、淡い感触がして、タオルの汗の匂いと、同じ匂いがした。
「……なんで」
「つい」
用意してあった言葉を、そのまま、というように悪びれない及川に顔を顰めながら、なまえは少し表情を険しくした。
「つい、ですんだら、警察は要らないな」
さっきまでの思考のつまり具合が嘘みたいにするすると言葉が出てきて、不思議だった。それから、あの、涙も止まった。
馬鹿みたいだ、と思った。
「……ほっとけないって、思って」
及川が言う。ほっとけなかったら、男が男にキスをする、なんて理屈はこの世には存在しない。そう、言ってやろうと思って、でも、どこかで聞いたことのある言葉だと思って、それから、思い出した。
ああ、と、なまえは溜息をつく。本当に、馬鹿みたいだ。
――あのひとも、同じことをなまえに言った。
「……慰めて、くれるわけ」
「……うん」
俺はお前の名前も知らないのに。






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