部誌5 | ナノ

放課後の教室にて




夕陽に照らされる教室の中、プリントにシャーペンを走らせる音だけが響く。

「ねぇ、要くん」
「ん?」

向い側から掛けられた声にシャーペンを止め、要は顔を上げた。
茉莉花はじぃっと要を見つめてからにっこりと笑い、それに釣られるように要も笑みを返す。

「ねぇ、もしもこのまま世界中に私たちだけの二人っきりになっちゃったらどうする?」
「そうだなぁ…」

茉莉花の問いかけを聞きながらゆっくりと瞬きをした要は、プリントに視線を戻しながら頭を掻いた。
ややあってからゆっくりとしたペースでプリントに数式が書き込まれていく。

「……うーん。茉莉花と二人っきりかぁ」
「なぁに?不満?」
「全然。ただ、どうやって生きていこうかなぁって」
「どういうこと?」
「だってさ、」

不満げに頬を膨らませた茉莉花をちらりと見上げ、要は愛おしげに眼を細めて笑った。

「茉莉花も、俺も、料理下手だから、すぐに餓死しちゃうんじゃない?レトルトとかで乗り切れる機関にも限度があるし、二人っきりになったら、電気もガスもすぐになくなっちゃうよ。きっと」
「あー……確かに。最低でも料理が出来る優くんとか拓海くんが一緒じゃなきゃ困っちゃうね」
「だろ?」
「じゃあ、二人っきりにはならない方がいいかぁ」

プリントに書き込みを増やしながら要は言い、茉莉花は少しだけ拗ねたような表情で相槌を打ち、机の上に転がっている消しゴムをつついた。

「あ、でもさぁ、」
「ん?」
「すぐに、一緒に、死んじゃえばそんな心配ないだろ」
「……それもそうね」
「そうしたら、寂しくないだろ?」

無邪気に笑いながら言う要に、茉莉花は少しだけ大人びた表情で笑い、そんな二人の邪魔をするように風で広がったカーテンが視界を遮った。

「でも、世界中で二人っきりにならなくても、私が死んでも、それでも要くんはずっと生きてるのね」

カーテンの向こう側で茉莉花は囁くような声で言い、要はかすかに青ざめた。

「大丈夫。心配しないで。怒ってなんかないわ。ちゃんと私が要くんのそばにずっと、ずーっと居てあげるから。ねぇ、大好きよ。要くん」

風が止み、二人を遮っていたカーテンがなくなった要の向かい側の席には、誰も居なかった。
茉莉花はそこで、微笑んでいるはずなのに。

「ま…まり、っ……茉莉花っ」

立ち上がろうとするが、足が縫い付けられてしまったかのように動かない。
どんなに頑張っても、椅子から、机から、離れることができない。
茉莉花を抱きしめて、伝えたい言葉がいっぱいあるのに。
茉莉花と一緒に、やりたいことがいっぱいあるのに。
まだ、何にも、返すことが出来ていないのに。


ガラァン…ガラァン…ガラァン…ガラァン…ガラァン…ガラァン…


不意に鳴り響いた不気味な鐘の音にびくりと要は身体を震わせた。
心臓はバクバクと脈を打ち、耳鳴りが激しい。
どうやら、寝てしまっていたらしい。

「……夢?」

ゆっくりと深呼吸をし、顔を上げ、思わず呟く。
けれど答えてくれる相手は誰もおらず、夕陽に照らされた教室の壁に掛けられた時計が規則正しく時を刻む音が響くだけだった。
放課後、しばらく休んでいた代りに出されたプリント課題をやっている間に、寝てしまっていたのだろう。
数学の問題を解いている間に眠くなってしまうのが要の悪い癖だ。
一先ず解いている途中だった最後の一問を片付け、ググッと伸びをする。
休んでいる間は怪我をしたのも相まって何も出来なかったから、すっかり身体が鈍っているし、なんだか重い。
今度の大会までに調子が戻ればいいけれど、そんな簡単にはいかないだろうなぁなどとぼんやり考えながら、開いていた窓を閉め、窓の外を見る。
窓の外には、夕陽に照らされた時計塔の黒い影が伸びている。
さっきの鐘の音は、きっとあの時計塔から聞こえてきたのだろう。
時計は6時を指しているのだから、さっきの鐘の音にも何の不思議もない。

「要くん!」
「茉莉花」

がらりと勢いよく扉が開き、茉莉花がぴょこんと顔を覗かせる。
一瞬どきりとしたが、楽しそうに笑っている茉莉花につられるように思わず要の表情も緩んだ。

「プリント、終わったの?」
「あぁ。後は出しに行くだけ」
「そう。じゃあ、そのまま帰ろう?」
「そうだな」

鞄に筆記用具を入れ、プリントを片手に茉莉花の隣に立った要を見上げて茉莉花は無邪気に笑い、要の手を取った。
少しだけひんやりとしたその感覚に要は少しだけ目を細めて茉莉花を見つめ、そんな要を不思議そうに茉莉花は見つめ返し、にっこりと笑う。

「そういえば、さっき、鐘の音がしたけど、あれって時計塔の鐘の音なのか?ていうか、いつも鳴ってたっけ?」
「えー?何言ってるの。要くん」
「何が」
「あの時計塔の鐘、壊れてるから鳴らないんだよ?」
「は?」

きょとんとした表情で茉莉花を見下ろす要を見上げ、茉莉花はおかしそうに笑った。

「要くん、七不思議とか興味ないタイプだもんねぇ」
「七不思議なのか?」
「そうだよー。『壊れた時計塔の鐘が鳴る時、夢と現の境が淡くなる』とか『黄泉の世界が近くなる』とか『友人と会っても、それが本人とは限らない』とか。ま、人によって言うこと違うんだよねぇ…」
「……ふぅん」
「あー、信じちゃった?信じちゃった?怖い?怖いのかなぁ、要くん」
「そんなんじゃないし」

少しだけ顔をしかめた要の横顔を眺めてからかうように茉莉花はくすくすと笑い、要は茉莉花の頭を軽く小突いた。

「……きっと、一人で帰るのが寂しいから、そういう七不思議が出来たんだよ」
「ふぅん…」
「あれあれ?興味なさそうですねぇ、要くん」
「だって、俺にはお前がいるから、一人で帰る心配なんていらないだろ」
「へへへ。そうだね」

反応の薄い要に少しだけ不満げな茉莉花に要はため息交じりで返し、茉莉花は繋いだ手をぎゅっと握り、楽しそうに笑う。
ゆっくりと二人が歩く廊下には、差し込む夕陽に照らされた黒い影が一つ、長く長く伸びていた。




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