部誌5 | ナノ

いつまでも一緒に



聖母のように彼は怒ら無いのだと思っていた。その彼が、とても悲しそうな顔をしているが、腹の底ではかなり腹を立てているのだとアンリにだってよくわかった。
「君のせいだよ全部」
一瞬でそれを図星だと判断して、逆上する。それは、アンリにとっては絶対にみとめてはいけないことだった。それを認めることというのは、アンリのプライドが粉々になって、アンリの価値がすべて消えてしまって、アンリには死しかなくなるということだった。
「貴方なら分かってくれると思ったのに、」
アンリの眦から涙が流れていく。涙は確かに、アンリの悲しみから来ていたが、それはエゴイスティックな悲しみだった。そして、それを彼は容易く看破していた。それを彼は眉根を寄せて眺めながら、何かを言おうとして、それから唇を閉ざした。それが、失望を意味することをアンリは直感した。彼の心が自分から離れていくことが、アンリには挟持が粉々になることよりもずっとずっと絶望的な出来事であるように、アンリはその時はじめて気付いた。そして、彼の心がアンリが思っているよりずっと遠くに行ってしまったことにも。その可能性に今まで一つだって気付かなかったことを走馬灯のように思い出しながら、後悔という名の自己愛的な悲劇性に溺れた。
「ごめん、ごめんよ、悪かった、」
彼の腕にしがみつきながら、謝る。それを困ったような目で見ながら、彼は思案していた。
「だって、僕はどうすればよかったんだ、他になにか、」
「……君にはいくらだって選べたはずだ」
ピシャリと冷たい声音でアンリの言葉を遮った彼は、少ししゃがれた声で、続けた。
「君が選ぶのは、いつだって君だけが気持ちのいい選択肢だった。君は、人を傷つけることをなんとも思わないのに、君自身が傷つくことには我慢ならない。そんな人間と、誰が一緒に居てくれるっていうんだ」
そう、誰も、君なんかと一緒に居たがる人は居ないよ。彼はそう言った。それを聞きながら、アンリは、「貴方だけは、一緒にいてくれると思っていた」と思った。
「貴方は違うと思っていたんだ。他の人たちと、」
彼は顔を顰めながら、もう御免だ、と吐き捨てる。
「俺だって、他の誰とも何も変わらない、只の人間だよ。君は、自分に都合の良い人間をほしがってるだけで、俺を欲しがっているわけではない」
代わりを探すといいよ、とそう言って彼はくるりとアンリに背を向けた。その拒絶を見ながら、アンリは、証明してやろうと思った。
この命一つで、彼の代わりは存在しないと、アンリにとって彼は唯一の特別だったと証明しようと思った。
さあ、遺書が必要だ。アンリは気分を切り替えるように軽い足取りで机の引き出しを開けた。遺書にピッタリの紙と言うのは中々見つからなかった。人生で最後の手紙になるのだから、とびっきりいい紙であるべきなのに、出てくるのは切れ端のゴミみたいな紙ばかりだった。この切れ端のゴミみたいな人生だったのだからぴったりかもしれない、と自分に言い聞かせながら、アンリはその中から一番マシな紙を一枚選んで、何の変哲もないボールペンを取り出し、そして、インクを確かめるために別の紙に書付をした。一つ目のボールペンはハズレだった。書きたいときにインクが出ないようなボールペンは遺書を書くためにはふさわしくなかった。4本目でアンリはようやく、インクの出るボールペンを見つけることができたが、それは、少し青みのかかったインクで、黒で書こうと思っていたアンリは少し顔を顰めて、どんどんとずれる自分の理想的な結末からずれていっているのを不快に思った。
まァいい、と思いながら宛名を書く。宛名が必要だ。彼のために命を差し出すのだから勿論のことだ。彼の名前を書こうとして、スペルの見直しをする必要があった。
文面はもう決めてあった。
『いつまでも一緒だと、君がそう言ったのは嘘だったんだ』
アンリはその言葉選びに非常に満足して、それからそれをたたんでシャツのポケットに入れてから、試し書きをした紙を丸めてゴミ箱に入れた。
アンリはとても高揚していた。今までに無いくらいの高揚だった。この行為が、彼の気を引くだろうことは容易に想像出来た。きっと彼は後悔するだろう。彼は自身の誤りを悔いるだろう。それを見届ける事が出来ないことだけが、残念だった。




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