部誌5 | ナノ

言の葉の色



木葉秋道が、みょうじなまえを初めて認識したのは、入学式当日だった。
中学から上がったばかりで、高校生になったことへの興奮と不安から馬鹿騒ぎをする男子生徒と、一線を画していた。静かに、与えられた席に座り、頬杖をついて文庫本に読みふけっていた。その姿が何となく目についたのが始まりだった。

だからといって、木葉がみょうじに声をかけることはなかった。みょうじは見るからに事なかれ主義で、話しかけなければ話さない。自分から話しかけることは少ない。
それでも友達がいるのが不思議だった。独特のペースで生きるみょうじを受け入れて、ほどよい感じに交流を持っている人間がいて、みょうじは彼らによって孤立しないで済んだ。中学からの同級生らしく、よく付き合えるな、と冷やかす他のクラスメイトたちに、慣れたもんだとそいつらは苦笑で返した。

「だって仕方ない。みょうじだし」

その言葉の意味がよくわからず首を傾げる木葉たちに、回答が与えられることはなかった。

みょうじは、静かだ。頬杖をついて机の上に置かれた文庫本を読むその姿勢はいつだって変わらない。視線を下に向けているから、けぶるような睫毛に、女子たちが妬みの声をあげても、みょうじは変わらない。顔をあげることもせず、本を読み続けている。
何の本を読んでいるのかとクラス中で話題になった時も、みょうじが頓着することはなかった。濃紺のブックカバーに隠された本は様々で統一性がない。
なんであんなもん読んでんの。
みょうじがトイレや呼び出しで留守にしている間、本のタイトルを盗み見たクラスメイトはそう呟いた。小難しい哲学の本だったらしい。そのうちみょうじの読んでいる本が何なのか当てるクイズが流行りだした。みょうじには迷惑だろうが、随分と仲のいいクラスである。

木葉が一年生の時、みょうじと会話したのは、両手で足りる程度だった。バレー部での部活動が楽しい木葉は、クラスにあまりいることがなかったから、当然のことだった。朝練、昼休みはチームメイトと朝の反省、放課後は部活で全力を出す。チームメイトと過ごすのは楽しかった。だから、ただのクラスメイトで、接点の少ないみょうじとの会話が少ないのは仕方なかった。

二年になった時。
またみょうじと同じクラスになった。その時の感想はフーン、だった。チームメイトが何人かいたから、退屈せずに済みそうで安心した。逆にみょうじは中学からの同級生たちと離れてしまい、クラスで孤立したようだった。

「木葉。お前、みょうじと同じクラスだったろう」

だからといって、木葉がみょうじに何かするかと言えば、答えはノーだ。接点の少ない同級生に自分から働きかけるようなことをするつもりはなかったが、せざるを得ない状況になった。くそくらえである。
嫌な顔をする木葉に、新しい担任は苦笑を向けた。いつかのみょうじの中学からの同級生たちと同じ笑顔だった。

「他にもいるっしょ。今も昔もクラスメイトな奴」

「もちろん、そいつらにも頼むさ。ただ木葉、お前、人との距離の取り方がうまいだろう」

明言されてひやりとした。見抜かれているのは、さすが教師という職についただけはある。
木葉秋道という人間は、基本的にドライな人間だ。それでいて小心者だから、絶対に越えさせない一線を引いて、線の内側で世の中を眺めている。楽しければ一緒に騒ぐし、つまらなくても話には乗る。けれど俯瞰的に物を眺め、馬鹿だなあと嘲ったりすることもある。その間、決して線から出ることはない。
誰だってそうした一面を持っているだろうが、木葉に関しては殊顕著だった。ようやくバレー部のチームメイトたちに線の内側に足を入れることを許したぐらいで、それだって全てじゃない。自らの全てをさらけ出し、預けるような気にはなれなかったし、生涯そうするつもりもなかった。

「お前にもみょうじにも、いいと思うんだがなあ」

何がいいんだ。ぼやけた主張は勿論木葉には響かない。まあ、気が向いたら頼む。担任はそれだけ告げて、木葉を置いてその場を去った。置いて行かれた木葉は、なんだか胸くそ悪くなって、みょうじとの接触を減らすことを決めた。まあ、元から接触する気なんてなかったのだが。


きっかけは文化祭だった。
梟谷の文化祭は、私立だけあって賑やかだ。バレー部で焼きそばを焼く羽目になり、木葉はげんなりした。飲食店は体育会系部の恒例とはいえ、残暑の厳しい季節に熱の籠もった鉄板は堪える。
その場を熱血で騒がしいチームメイトの木兎に任せて逃げ出した木葉、他のチームメイトに見つからないよう、校舎に入って人気の少ない方向へと足を進めた。冴えない文化部の展示ばかりが目立つ。見つかったらやべえなあ、そう思いながらも歩みは止めない。異色の漫研部に驚き、見たことも聞いたこともない部活や同好会に驚き、そして――文芸部で、足を止めた。

何故かスーツ姿の男性や女性の姿が目立った。ありがとうございます、大の大人が頭を下げて、藁半紙で作られた小冊子を大事そうに抱えて行く。不思議な光景に眉を寄せ、こそこそと扉の外から中を覗く。
そこには、みょうじなまえがいた。

いつものように席につき、頬杖をついて文庫本のページをめくっている。スーツの大人に話かけられると頭を上げ、頷き、目礼するとまた本に戻る。あれで大丈夫かよ。木葉が心配になるくらいには、みょうじの態度は舐めきっているように思えた。

「おっと、すまないね」

「あ、いや、すんません」

覗いているとスーツ姿の男性とぶつかりかけて、謝罪。その様はあっさりとみょうじに見つかった。

「木葉」

「あー、えっと……匿ってくれ」

部活でやってる焼きそば屋から逃げて来たんだ。
木葉の一言に、みょうじがきょとんとした顔になる。そんな顔は初めて見たなあ、と木葉は思った。みょうじの表情が変わることなんて滅多にない気がする。それだけ木葉がみょうじに興味がなかっただけかもしれないが。
頷くみょうじにほっとしつつ、文芸部部室に足を踏み入れる。埃と紙のにおい。日差しを浴びてキラキラと埃が輝いている。初めて入った部屋だが、妙に落ち着く場所だ。見れば机や椅子はともかく、小さなソファベッドに給湯器まであって、完璧なサボリ場所に思えた。

「いいな、ここ」

「そうか」

目で促されてソファに腰を下ろす。代わるように立ち上がったみょうじが電気ポットに近づき、ティーポットに茶葉を適当に入れてお湯を流し入れていた。雑だ。
出されたマグカップには部長と書かれていて、使っていいのか迷っていると、「大丈夫、洗ってある」と返ってきた。病原菌扱いでもされてんのかと、見知らぬ文芸部部長が心配になる木葉である。

時折スーツ姿の大人や、大学生くらいの人々が訪れ、みょうじに頭を下げては詰まれた小冊子を手に帰って行く。たまにみょうじにサインを求めていて、ぎょっとしてしまった。なんだ、なんなんだみょうじ。何者だ。

「お前、有名なの」

「そうなのか?」

いや、おめーのことだろうがよ。
なんとなく察してはいたが、みょうじは天然のような気がする。相手にするのと疲れる。はぁ、と溜め息をつき、立ち上がってみょうじの近くまで行くと、謎の原因である小冊子を手にとり、またソファに腰を下ろした。

「読むのか」

「たまにはな」

行儀悪くソファに寝転び、目的のものを探す。読んでいて惹かれない文章は早々に見切りをつけ、次へ次へとページを捲る。ラノベめいた文体が多く、ラノベを好まない木葉はげんなりした。

――――終わりは始まりだ。始まりは終わりで、つまりすべては続く。永遠に続くメビウスの輪だよ。

そんな出だしから始まる文章が目についた。作者は知らない人物で、みょうじではないのかと思いながらも読み進めて行く。不老の青年と、時代を逆流する少女。2人が出会い、別れ、また再会し。想いの量が反比例していく。
想いが対等である時はよかった。時の経過につれ、少女を愛した青年はいつしか少女を知らなかった頃に戻り、青年に愛された少女は、愛を失っても想い続けた。そうして少女は、老いた姿で青年になるはずの赤子を抱くのだ。自らの腹から生み出した、その子供を。

卵が先か鶏が先か、よくわからない話だった。時間の経過もよくわからない。ただどうしようもなく惹かれ、読み進んでしまった。ここにいたのね、愛しい貴方。少女だった女が腕に抱いた赤子に告げたセリフに、いつしか涙が滲んでいた。

「――――メビウス」

「読んだのか」

タイトルを声に出せば、みょうじのきょとん顔がそこにあった。本日2度目だ。思わぬ反応にぽろりと涙が零れた。
差し出されたハンカチを受け取る。なんとなく頭が働かなくてソファに寝転ぶみょうじを呆然と見上げた。

「まさ、か」

「? メビウスはおれが書いた」

衝撃。
美しい物語を目の前の唐変木が書いたことに驚きを隠せない。
こんなにも、美しい物語なのに。
言葉の一つ一つが、色づいて見えたのに。

世は無情だと木葉は思った。




prev / next

[ back to top ]


第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -